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「ま、撒いたのか?」
さすがに全員息が上がっている。膝に手を突き呼吸を整えるガウェインの横でアーサーが木の影から周囲を隙のない目で見渡した。
「どうやらそのようだ」
「どぅあー!疲れたー!何だ、ありゃ!?槍ぶっ刺したのに元に戻ったぞ!」
ガウェインは地べたに座り込み、降参と言わんばかりに両手をあげている。マーリンも額の汗を拭って呼吸を整えた。
ただ一人アーサーだけは、今隠れている大樹の根に佐和を座らせるとその足元に跪いた。
「あ…アーサー、ありが……って、ちょっと!」
「触れるぞ」
戸惑う佐和に構いもせず、アーサーは佐和の右足をそっと手に取ると、靴を丁寧に脱がせた。その手つきは限りなく優しい。
なぜかその光景にマーリンの胸にさざ波が立った。
「捻ったようだな。しばらくは動かさない方が良い」
佐和の怪我の具合を見聞したアーサーは、自分の膝に佐和の足を載せ、自身のシャツの腕を千切った。千切った切れ端を交互に割き、簡易包帯を作り上げ、佐和の足首を固定するように巻き上げていく。
「あ、アーサー、殿下!お洋服が!」
「気にするな。どうせ、繕うのはお前だ」
顔を赤くし、動揺していた佐和の表情がその一言で突然遠い目に変わった。
顔に思い切り、「そういえばそうですね」と呆れかえっている気持ちが浮き出ている。
「もう、追ってこねぇみたいだな。地響きもしねぇし」
「とにかく一刻も早く城に戻り、父上に報告せねば」
「そうは言ってもここどこだよ?がむしゃらに走って来ちまったから、今、森のどこらへんにいるのかもわからねえぞ。城も全然見えねえし」
「心配するな。カバルがいる。こいつは狩場のどこからでも城に戻れるよう訓練させてある。カバル」
アーサーの命令で四人の周りをうろうろしていたカバルが空中や地面の匂いをしばらく嗅ぎ回り、方向を確かめるように何週か辺りを回ると、一定の方向へ歩き出した。
「賢い……!」
サワはカバルの賢さに感動して目を輝かせている。だが、その足首に巻かれた布は痛々しかった。
「マーリン、サワをおぶれ。俺が先導する」
言われなくとも、そのつもりだった……。
アーサーの命令は不服だ。まるで言われたからやるように思われそうで嫌だ。
けれど、サワの怪我の具合が心配なのは本当の事だ。
マーリンは根に腰掛けたままのサワの前に片膝をついた。
「大丈夫?サワ」
「う、うん。ごめんね。単に捻っただけだと思うんだけど……私、運動音痴で……」
「背負う。乗って」
「え!でも、重いし!歩くよ!」
「無理だろうが。御託はいいから早くしろ」
遠慮したサワにアーサーの容赦ない一言が飛ぶ。その言葉にサワは唇を尖らせた。
「本当に気にしなくていいから、サワ」
「ご、ごめんね。マーリン……」
アーサーに対する態度から急にしおらしくなったサワはおずおずと「失礼します……」と言いながらマーリンの背に乗った。温かな重みが背中にかかる。
カーマ―ゼンにいた頃は自分を力持ちだと思ったことはない。けれど、王都に来てからは安定して食事もとれるようになり、また、毎日アーサーにいじめと同義の剣の特訓も受けている。そのせいかサワの身体はマーリンが思ったよりも軽かった。
細い……。
いざとなれば意志魔術で自分の筋力を増強するか、こっそり佐和を持ち上げるようにして運ぶつもりだったがその必要は無さそうだ。
「ごめんなー。サワ、マーリン。俺がサワを運べりゃ一番良かったんだろうけど……」
「気にしないで、ガウェイン。そもそも転んだ私が悪いんだし……」
珍しくしょげた様子のガウェインにサワがマーリンの頭上で手を振っている。その風圧を首筋に感じるとサワとの距離の近さを一気に実感した。
近い……。
以前、戦場に駆けつけるためにサワと馬に同乗した事がある。その時もこれほどの距離感だったはずだ。だが、あの時とは違い、今日はなぜか背中の温もりをどうしても意識してしまう。
何だろう……、落ち着かない。
けれど、さっきよりも心は軽い。
先導するアーサーに続きながら、マーリンはアーサーの背をそっと盗み見た。
マーリンよりも後に駆けつけたが何もできなかった自分と違い、颯爽とサワを抱き上げたアーサーのしっかりとした横顔と、抱き上げられたサワの戸惑った表情が脳裏にこびりついて離れない。
そして、その光景を思い出すたびに、胃のあたりに言葉にならない不快感を感じるのだ。
お腹の調子でも、悪いんだろうか……。
「っていうか!ガウェイン。街で馬車に下敷きにされた人を助けた時も思ったけど、ちょっと力持ち過ぎじゃない!?すご過ぎ!」
「だはは!まーなー!!」
マーリンの背ではしゃぐサワの褒め言葉にガウェインは気を良くし、腰に手を当てた。
「純粋な力比べなら、アーサーにだって負けないぜ!」
「キャメロットにお前より力持ちの人間がいるわけがないだろう……」
先頭を歩いているアーサーの呆れた声が答える。ガウェインはその言葉にも嬉しそうに胸を張った。
「もしかして、アーサーが前に言ってたガウェインの『本領は剣じゃない』って言うのは……」
「その通りだ。こいつはこの馬鹿力を活用した槍の扱いが上手い。投擲においてガウェインの右に出る騎士はキャメロットにもそうそういない」
褒められてガウェインはとても嬉しそうに鼻の下をかいている。
けれど、マーリンには別の事が気になっていた。ガウェインが槍に力を込めた瞬間、マーリンの目には確かにガウェインの腕から迸るオーラのような物を感じ取ったのだ。あれは恐らく純粋な筋力とは別の種類の物だ。
「ガウェインの力って……」
「ん?ああ、俺の家系はな。皆、馬鹿力らしい」
「え?でも、アーサーは別に馬鹿力じゃないですよね?」
マーリンの聞きたい事がガウェインにはすぐにわかったらしい。その返答に背中でサワが首を傾げた気配がした。サワの言う通り、いとこであるアーサーや伯父であるウーサーは普通の力しか持っていない。
「なんか、長兄にだけ受け継がれるらしくて、俺にもよくわからないんだけどな!俺の親父も馬鹿力だったらしいぞ。なんだっけ…太陽がどうとか」
「ガウェイン、つまり、我が家系の祖先が太陽神であり、その恩恵を受けて長兄には陽の出ている内は力が増すという特殊な体質が受け継がれるという伝承がある。ガウェイン。なぜお前、自分の家の事なのに理解していない」
「だってめんどくさくてよー。俺、勉強嫌いだったし」
だとすれば、あの異常なオーラも納得できる。あの時ガウェインから放たれたものはモルガンの魔法やバリンの呪の剣とは違い、マーリンにとって居心地の悪いような物ではなかった。それ以上にもっと高度な存在の力のような物を感じ取ったのだ。
それから先は雑談もそこそこに一同は森を抜けることに集中した。カバルが時々立ち止まっては方向を確認している様子を見守り、その後に続いていく。
静かになってしまうと余計に背中の温かみと重みに意識が向いてしまう。
ブリーセンを小さい頃、おぶったのとはわけが違う。
自分でも理由のつけられない感情を持て余しながら、マーリンはとにかく森を出るまでサワを担ぎきる事だけを強く決意して歩き続けた。