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ぼやけた視界が段々とはっきりしてくる。
閉じていた瞼を薄く開けたマーリンは目の前の光景を確かめた。
……どこかの協会?
協会特有の長イスがいくつも並び、自分の前からは中央の通路が伸びていて、その先に大きな扉が閉まっていた。
「目が覚めたか。創世の魔術師」
声のする方に顔を向けようとして、初めて自分の身体が拘束されている事に気が付いた。
手足に何重もの鉄の鎖が巻かれ、背後の十字架に磔にされている。
「お前は……」
一番手前の長椅子に腰掛けていたボーディガンがゆっくりと立ち上がった。数歩マーリンに近付いたボーディガンは顎に手を当て、マーリンを観察している。
「悪く思うな。これも我が望みを叶えるため」
「ここは……どこだ?」
ようやく頭がはっきりしてきた。
そうだ。俺はカラドリウスを森に帰す直前、この男の部下に襲われたんだ。
その時、魔術師だとばれた事だけは直感的にわかった。
その後の記憶は意識が朦朧としていてかなり曖昧だが、近寄ってきたケイにこっそりサワの身の安全を頼んだ事と、俺を生贄にするとウーサーが判決を下した事はぼんやりと覚えている。
謁見室でアーサーがこちらを見下ろして何かを言っていたような気がしたが、それはよく聞こえなかった。
「エリス山といえば、わかるかね?」
「カリバーンがある……」
「そう。君の目の前にある剣がそれだよ」
マーリンの足元に石の台座に突き刺さった剣が光り輝いている。
見る者の目を奪うような黄金の柄と鍔に繊細な装飾が施されている剣だ。
「なんで……ここに、俺の代わりにウーサーに返したんじゃ……」
「あれは偽物だ。哀れな兄上だ。あの人は耄碌し、最早かつての栄光ある英雄は見る影も無い。弟の甘言を疑う事もせず、甘んじて偽物を喜び抱いているのだから」
「……騙したのか」
ボーディガンは肩をすくめた。
何が悪いとその仕草が語っている。
「なら、どうして俺を攫った?一体何が目的だ」
「このような危機的状況においても冷静に自分の状況を把握しようとしている。中々見上げたものだな」
「答えろ」
マーリンを観察していたボーディガンはカリバーンの柄に手をかけた。
「こういうことだ」
ボーディガンが力を込めるが、カリバーンはびくともしない。しばらくボーディガンは力をこめていたが、やがて諦め手首を振り回した。
「この剣の伝説は本当でな。王に相応しき者しか抜くことができぬ。しかし、この剣さえあれば私はもう一度、王として返り咲く事ができる」
「それが俺と何の関係がある」
「カリバーンは通常なら王たる者にしか抜けぬ。しかし、一つだけ。私でも手に入れる方法があるのだよ」
ボーディガンはマーリンに近寄るとマーリンの頬を撫でた。開かれたその手には殴られた時のものか自分の血が付いている。
「創世の魔術師、君の生き血を全てこの台座に注げば、カリバーンを引き抜くに値する力を補う事ができる。―――君は私が玉座に着く礎となるのだ」
「あなた」
妙に鼻にかかった声に呼ばれたボーディガンが振り返ると、唯一の扉から女が歩いてくる所だった。
忘れられないその姿にマーリンは女を思いきり睨みつけた。
「モルガン・ル・フェイ……!」
「久しぶりね、マーリン」
モルガンはボーディガンに並び立つと、ボーディガンの腕を取り、甘えるように保たれかかった。
「全部、お前の仕業か」
「ええ、カラドスに武器を与えたのも、そなたが魔術師だとボーディガン卿に教えたのも、カリバーンを抜く秘儀を授けたのも私よ」
モルガンはボーディガンをうっとりと見つめあげると、濡れた瞳で囁いた。
「ねぇ、あなた。志は異なれど、この者はまた私と同じ魔術の申し子。少し二人きりにしてくださらない?」
「お前の気の済むまで」
「ありがとうございます」
モルガンが艶やかに笑いかけ、ボーディガンはこちらを振り返ることもせず、扉から出て行った。残されたマーリンはモルガンを睨みつけた。
「俺を一体どうするつもりだ?」
「ボーディガンから聞いたのではなくて?そなたは生贄になるの。カリバーンを抜くためのね」
モルガンの言葉にマーリンは引っかかりを覚えた。
「それはボーディガンの目的だ。お前の目的は一体何なんだ?この前は俺に共闘を持ちかけてきたくせに、今度は俺を殺すのか?」
「仕方ないじゃない。そなた、私の言う事を聞かなかったのだから」
モルガンは自分のウェーブのかかった髪を指でくるくると弄んだ。
「そなたが味方になってくれればそれが一番良かったのだけれど、その気はないようだし。そうなれば生贄になってもらい、その身体だけを手に入れた方が早いわ」
「俺の身体……?」
どういうことなのかわからない。
ボーディガンの言う通り生贄として生き血を抜くなら、その後の自分の身体なんて、ただの死体だ。
「俺の死体に用があるってことか?」
「全ては終わった時にはわかるわ。あなたは偉大なる父上の元に還るのよ」
益々意味がわからない。
マーリンに家族はいない。例えいたとしても死んで還るという言葉が理解できない。
「残念だったわね。そなたが導こうとしていた王。そなたが魔術師だと知って、さぞかしショックを受けたようじゃない。最早関係の修復は不可能ね」
そう言ってモルガンが楽しそうに笑うのが不愉快で、マーリンはモルガンを睨みつけた。
「儀式は明日の晩、それまでに諦めをつけておくことね。そうそう、その鎖は我が魔法で創りしもの。意志魔術ではどうにもならないわよ」
部屋を出て行ったモルガンを見送り、マーリンは一人溜息をついた。
アーサーに知られてしまった……。自分が魔術師である事を。
いつかは言わなければならない事だとは頭では分かっていた。でも、それは今じゃない。
もっとあいつに信頼してもらって、自分個人を認めてもらった上で明かす方が良かったはずなのに。
もう、あの城には戻れない。
魔術師として生まれた意味。それがあるのかもしれないと最近では考えるようになっていた。その事が自分の心をどれだけ支えていたのか今になってよくわかる。
……もう、俺はこの世から用済みなのか……。
マーリンはそっと目を閉じて、見慣れた顔を思い浮かべた。
サワ……。
アーサー……。