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生き物の死体が出てきます。苦手な方はご注意を。
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佐和はただ何もできずアーサーの顔を伺った。多少驚いたようだったが、腕を組み直しボーディガンを厳しい目で見返している。
「ボーディガン卿。何か証拠があってこのような事を訴えているんでしょうね?私の侍従が魔術師などあり得ない。もしも事実無根であれば、許し難い恥辱です」
「勿論です。殿下。殿下の傷を治すためにはカラドリウスという魔鳥が必要なのです。しかし、その魔鳥と意思の疎通が図れるのは魔術師のみ。忌み嫌うべき力です。そうですよね?ボードウィン卿?」
「そうなのか?ボードウィン」
ウーサーに尋ねられたボードウィンはほんの少しだけ沈黙していたが、やがて静かに頷いた。
「はい。陛下」
「そしてこの侍従はその忌むべき力を使い、あろうことか殿下の傷を魔法の力によって回復させたのです」
「ボーディガン卿。良い加減にしていただきたい。あなたの話は全て推察だ。マーリンが魔術師だという証拠はどこにも無い」
アーサーの言葉を聞いたボーディガンがまた別の部下に目配せをした。
後ろに控えていた部下は手にしていた麻袋を部屋の中心でひっくり返した。そこからどさっと落ちた物に佐和は息を飲んだ。
それは、カラドリウスの亡骸だった。
純白だった羽は血で汚れ、最早見る影も無い。つぶらな漆黒の瞳に光はなく、虚空を見つめたまま、瞼が開いていた。
……ひどすぎる……!!
「森の入口にてこの魔物と言葉を交わす姿を見つけました。これが動かぬ証拠です」
謁見室中が静まり返った。
誰一人動かない中、アーサーがマーリンを見下ろした。
「……マーリン。嘘だろう?お前が魔術師なわけがない。なぁ?そうだろう?」
「…………」
マーリンは答えない。
ただ薄く開いた瞼がアーサーを一瞬捉えて、ゆっくりと閉じた。
「……マーリン……」
「答えは明らかなようですね。殿下」
「いや、待ってくれボーディガン卿。こいつは……」
「アーサー!何を言っておる!騎士であるボーディガンの言う事よりも単なる侍従を優先するなど王族として言語道断だ!」
アーサーの歯切れの悪い言葉をウーサーが一喝する。その影でボーディガンが笑ったのが佐和には見て取れた。
「しかし、父上。もし……もし万が一、マーリンが魔術師だとしても、彼は私の命の恩人という事ではないですか!?」
「余の言う事に逆らうつもりか!?アーサー!そもそも魔術師に命を救われた等と公言する事自体、恥と思え!」
「しかし!」
「お可哀想に。殿下。心中お察しいたします。ですが、兄上。殿下に非は無いのですよ」
「どういう事だ?ボーディガン」
ウーサーとアーサーの応酬を見ていたボーディガンの仲介にウーサーが目を怒らせた。
「殿下もまた、被害者なのです。全てはこの者―――魔術師マーリンの計略。カラドスに殿下に傷を負わせ、それを自分で治す事により、殿下の信頼を勝ち取り、行く行くは国家の掌握を目論んでいたのです」
何を言い出すんだ!あのくそ野郎!!
身体の内側で炎が荒れ狂っているように熱い。怒りで頭の中が膨張するような感覚がする。
確かにマーリンはアーサーの傍にいて最終的にはこの国を変えたいと思っている。しかし、それをまるで自分の利益のためのように薄汚い言葉で言われるのは腹が立った。
だが、佐和の手をケイがしっかり掴んでくれている。その事がかろうじて佐和の理性を繋ぎとめていた。
「嘘……だろう……。何を証拠に」
「アーサー、見苦しいぞ。ボーディガンの言った事が真実に決まっておる!」
「マーリン……」
アーサーの目が絶望の色に染まる。悲しげにマーリンを見つめていたが、やがて視線を逸らした。
「決まりだな。マーリン。そなたに沙汰を下す。本来ならばキャメロットの掟に乗っ取り、この場で切るか、もしくは極刑に処す所だが。……ボーディガン。この者をお前の城の土台とする生贄にするが良い」
「ありがとうございます、陛下」
待って。
待って。
待って。
マーリンが連れて行かれてしまう。追いかけたいのに、ケイの手は少しも緩まない。
アーサー!
アーサーは決して連れ去られるマーリンの方を見ようとしない。その顔は苦悩に歪んでいる。
「ボーディガン。約束は覚えているだろうな?」
部屋から出て行こうとしていたボーディガンがウーサーに笑いかけた。
「勿論です。兄上。後で部下の者にカリバーンを届けさせます。少々お待ちください」
「良いだろう」
「では、兄上。私は生贄の儀式が成功し、城が建築でき次第エリス山より撤退いたします。その際にはまたご連絡いたしますので」
「よかろう」
待って。
お願い、連れて行かないで。
マーリンがいなくなってしまったら、私、どうしたらいいの?
アーサー、お願い止めてよ。
そんな佐和の懇願も虚しく、マーリンはボーディガンの部下に抱えられて連れられて行ってしまった。
「……アーサー。お前は悪くない。悪いのはあの魔術師だ。これでわかっただろう。奴らがどれほど卑劣な存在か。これに懲りて対応を改めよ」
アーサーの肩を叩いたウーサーが部屋から出て行くと、呆然としていた他の騎士も散り散りに部屋から出て行く。
最後にアーサーも力なく扉から出て行った。
***
謁見室に残された佐和は掴んでいる手の主をゆっくり見上げた。
「……ケイ、なんで……?」
「少し強く掴みすぎたかもな。ごめんなー、跡、残ってないか?」
「ケイ、真面目に答えて」
佐和が問い詰めると、ケイは真面目な顔つきで佐和の肩を優しく掴んだ。
「……マーリンに頼まれた」
「マーリンに?」
「実はさっきボーディガン卿にマーリンが捕まった時、俺も偶々居合わせたんだ。その時にサワに被害が及ばないようにして欲しいってこっそり頼まれた」
「だからって……ケイ、マーリンを見殺しにしたの?何もしないでただ捕まるのを見てたの?」
ケイは答えない。でも、佐和にだってわかっていた。
ケイに言っても何にもならない。
アーサーですらどうにかできなかったことを一介の騎士のケイが王の弟にその場で異議を唱えるなんてできる筈がない。
私、八つ当たりしてるだけだ……。
自分の無力さを棚にあげて、ケイを責めている。
「……ごめんなさい。私、単なる八つ当たりだ……。ケイはできる事を精一杯してくれたのに……」
「……買い被りすぎだと思うけどな」
佐和は首を振った。
目頭が熱い。
マーリンがいなくなった事が悲しいのか。自分の無力さが悲しいのか。他人の悪意が悔しいのか。もう色んな感情がぐちゃぐちゃになってよくわからない。
ただ、わかっている事が一つだけある。
このままじゃ、マーリンが死んじゃう……。
何とかしなければ。
そして、それを何とかできるのはただ一人。
佐和ではない。
彼でなくてはいけないのだ。
「ケイ、私。アーサーの所に行ってくる」
***
「殿下、佐和です」
「……入れ」
返ってきた返事は弱々しい。部屋に入るとアーサーはぼんやりと窓枠に座って外を眺めていた。おそらく広場から出発するボーディガンの一行……マーリンを乗せた馬車を見ている。
「あの……殿下」
「サワ、お前は知っていたのか?」
「え?」
こちらを向いたアーサーの顔に佐和の胸が締め付けられた。
今にも泣きそうな顔で眉を歪め、自嘲している。
「知っていて、黙っていたのか?さぞ、愉快だったろうな。俺の阿呆ぶりを心の中で嘲笑っていたんだろう?」
「殿下……」
「いい気味だと思っていたんだろう?何も知らずにいる俺を。魔法使いがあれほど憎いと言いながら横にいる事にも気付かないでいる俺を。ああ、お前らの思った通り俺は阿呆だよ」
「殿下、話を聞いてください!」
「煩い!やはり所詮従者は従者だな。それどころか最低限の義理すら持ち合わせていないとは!」
「アーサー!!」
「お前らを少しでも信じたいなどと考えた俺が愚かだったんだ!お前らは違うと!」
アーサーは全く話を聞こうとはしない。
でも、それは彼の心の叫びだ。
今取り乱しているこのアーサーの心が本心なんだ。
本心では、私を、マーリンを信じたいと思ってくれていたんだ。
だったら、余計、このままマーリンとアーサーを引き離すわけにはいかない。
「殿下!マーリンは、殿下のために!」
「煩い!魔術師のくせに!」
その言葉で佐和の頭の中でぷちんと何かが弾けた。
「……話を聞けって言ってんだろうが!!この馬鹿王子!!」
佐和はアーサーの頭を思いっきりはたいた。
驚いたアーサーが二の句を次ぐ前に迫りよる。
「だったら、何だって言うんだよ!!もし、本当にマーリンが魔術師だったとして。アーサー、あなたをマーリンは命がけで助けたんじゃない!!」
こうなる可能性をマーリンだってわかっていたはずだ。
それでも危険を省みずアーサーを救うためにマーリンは動いたのだ。
「それなのに!見捨てるってわけ!?ボーディガンの言った事の方を信じて!アーサーの中のマーリンへの信頼はそんな程度の物だったのかよ?!」
「だってあいつは否定しなかった!」
「だから、なに!殿下、あなたはバリンが死んだ時、正しいことから目を逸らした自分を王子失格だと言いましたね。私……感動したんです」
あの時、盛り上がった二つの墓土を前にしたアーサーの背中は今でも鮮やかに蘇る。
「殿下、あなたの出自は魔術師を恨んでもしょうがないものだって、ぶっちゃけ私は思います。でも、あなたはそんな枠には捕らわれないでちゃんと個人を見れる人です。物の真偽を見極められる人です。本当に善い事を考えられる人です」
佐和の視界が滲んだ。
たくさんの気持ちや今までの光景がよぎっては消えて行く。
大勢の人間は佐和も含め、怠惰で自分に甘い生き物だ。
自分が理不尽な目に遭えば、他人も遭ってもしょうがないと思い込む。
やって、やられて、やり返して。
理不尽な連鎖はいつも、どこまでも繋がっていく。
でも、アーサーは違った。
マーリンは違った。
理不尽な目に遭っても、その不幸を自分も遭ったのだから他人も味わえばいいなんて思わなかった。
少しでも優しい世界を目指してもがくその姿は佐和の憧れそのものだった。
ただ集団に埋没し、大きな流れに漂うだけの自分とは違う彼らの背中は眩しくて、眩しくて。羨ましくてしょうがない。
「今、苦しいのはマーリンを信じたいからなんじゃないの?ねぇ、ならちゃんとマーリンと話して!周りの理不尽な策略なんかに惑わされないで!マーリンを見て!」
きっとアーサーを救えるのはマーリンだけで、マーリンを救えるのもアーサーだけだ。
もし、マーリンが魔術師だと知り、それでマーリンとの信頼関係を絶ってしまうようなら、所詮そこまでなのだ。
マーリンの性格や考えを鑑みず、ただ魔術師というだけで切り捨てるなら。
そんな人、新しい時代の王様に相応しくない。
だから、お願い。
マーリンを殺すというのなら、それは魔術師ではない『マーリン』を恨んだ時だけにして。
「マーリンを助けて……!」
アーサーは答えない。
力なく立ちすくむ佐和からアーサーが離れて行く。
「アーサー……」
「今日はもう下がれ」
それだけ言ったアーサーは寝室に消えて行った。