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それは一瞬の出来事だった。
海音が振り返って笑いかけてきた途端、海音の体が真横に飛んだ。
そう思った次の瞬間には佐和も勢いよく、地面に思いっきり叩きつけられていた。
「う……な……に……」
何が起きたのか全くわからない。
何とか上体を起こそうとすると全身に激痛が走った。
霞んだ視界で見下ろすとスカートから出た足から血が流れている。タイツが破れてそこから出た膝が全部すりむけていた。
「うみ……ね……?」
よろよろと立ちあがると佐和から遠く離れた場所に海音が倒れていた。
「海音……!?」
足を引きずりながら近寄っていくが、倒れている海音はピクリとも動かない。
「海音!?……海音!!」
海音の傍にしゃがみ込み、倒れた海音の肩を抱いて起こすが、ぐったりと目を閉じたまま海音は返事もしない。
「ねえ、どうしたの!?海音!?何があったの!?」
「う……」
佐和が揺すると、気が付いた海音は苦しげにうめきながらも薄く目を開いた。
「よかった!海音!何が……」
「おねえ……ちゃ……」
「何が起きて……」
「う……しろ……」
「え……?」
背後を振り返った瞬間、甲高い鳴き声が目の前で響いた。
嘴が目の前で開かれ、そこから佐和に向かって叫び声がぶつかってくる。嘴が遠のくとその嘴の持ち主がようやくわかった。
さっきのサソリよりはるかに大きい。頭は鶏。体は蛇のような見上げるほど大きい怪物が佐和たちを見下ろしていた。
「あ……ああ……いや……」
さっきのサソリとは違う。
こいつはまずい。
血走った目が佐和たちを捉えている。
殺される。
死。
まるで静止画のように化け物の嘴が自分に向かってくるのがわかった。その嘴が自分を薙ぎ払うのを他人事のように見ている。
「かはっ……」
吹っ飛ばされた。苦しい。息が、うまくできない。
洞窟を転がったせいで体中が痛い。息をするたびに激痛が走る。
うまく見えない。視界が霞む。
遠くに寝転ぶ海音とその前に立つ怪物。その怪物が海音と佐和を交互に見比べた後、佐和を見つめなおした。そのまま地を這い佐和に向かってくる。
「い……や……」
逃げなくちゃと思うのに、体が全く動かない。倒れたまま怪物が近付いて来るのを見ることしかできない。
ああ、何これ。私こんなところで死ぬのかな。それともこれはやっぱり夢なのかな。
夢だったらいいのに。
目尻から涙が頬を伝う。霞んだ視界が白く染まると、靄がかかったような映像が流れだした。
その靄は次第に晴れていき、人の顔が次々と浮かんでくる。お母さん、お父さん、仲のいい友達。写真のように景色が流れ出す。
幼稚園の時のお泊り会で泣いたこと。小学生のプールで初めて泳げた時のこと。教室の片隅で空気のように過ごした中学時代。高校で仲のいい友達と出会えてバカな話にずっと話を咲かせたこと。行きたかった大学に受かった瞬間のこと。彼の声、彼の笑顔そして――海音。
霞んだ視界にベージュのマントが入ってきた。
「……う、みね……?」
倒れた佐和と近付く怪物の間にどう移動したのか、いつの間にか海音が立っていた。
辛そうに肩で息をしている。後ろから見ているからよくわからないが、片腕でお腹を押さえているように見えた。
「……う……み……」
「だいじょうぶ。おねえちゃん」
振り返った海音の頬を涙が流れた。
「ごめんね。わたし、いっつもおねえちゃんに言われてたのに。あんたはすぐに調子に乗るって、おねえちゃんが来てくれて浮かれてたんだ。おねえちゃんをこんな目に合わせるつもりじゃなかったの」
その間にも怪物が海音に迫ってくる。それなのに海音はこちらを向いたまましゃべり続けている。
「うみね……!」
「危険だってわかってたのに。そんなことも忘れて。ごめんね。ごめんね」
「うみね!!」
動かない。お願い、私の身体、動いて。海音のすぐ後ろに怪物がもう来てる。
何かできるわけじゃないけど、でもこのままじゃ海音が。
「いいんだ、おねえちゃん」
「なに言って」
「いいの、おねえちゃん。これで……いいんだからね」
「海音!海音!」
海音のすぐ背後に立った怪物が嘴を開けた。そのまま海音に覆いかぶさる。
「うみねえぇぇ!!」
その光景が瞼に焼付いた。
叫ぶことも、動くこともできず、佐和はそのまま意識を失った。