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創世の傍観者とマーリン  作者: 雪次さなえ
第四章 道なりは誠か
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       ***



 佐和は水桶で冷やしたタオルでアーサーの顔を拭いた。その顔は、以前傷ついた時のマーリンよりも深刻に苦痛に歪んでいる。

 マーリン……早く戻ってきて……。

 随分前に苦痛を和らげるといってボードウィン卿が調合してくれて飲ませた薬も一向に効いていないようだった。

 このままでは、アーサーは本当に死んでしまう。

 ……ダメダメ!こういうのは思ったり、言葉にすると力を持つんだから、考えない!

 マーリンもアーサーも死ぬわけない。

 マーリンが必ずカラドリウスを連れて帰って来てくれる。

 首を降って嫌な考えを払った瞬間、部屋の扉が開いた。


「マーリン!良かった……って、マーリン!どうしたの!?その格好!」


 マーリンは全身ぼろぼろだった。体中泥だらけで、顔にまで泥が付いている。


「転んだの!?手当しないと」

「サワ!俺の事は後でいい。早く……あいつに」

「え、それじゃあ……」


 マーリンに駆け寄った佐和は、マーリンの肩に純白の鳥が停まっている事に気付いた。つぶらな漆黒の目が佐和を捉えている。


「これがカラドリウス?」

「ああ、そうだ。頼む。カラドリウス」


 マーリンの頼みを聞いたカラドリウスはアーサーの横たわるベッドの足元の木枠まで飛んだ。


()の王の患部を私に」


 大人びた女性の声に驚くが、これは恐らくカラドリウスの声だとすぐ直感した。

 肉声ではない神秘的な響きを持つ声は杖で聞き慣れている。

 言われた通り、マーリンはアーサーの布団と袖をめくり患部をカラドリウスに見せた。

 最初に運ばれて来た時と傷の大きさや深刻さに悪化は見られない。しかし、その傷を取り巻く霧は先程よりも濃密にアーサーにまとわりついている。

 その霧をカラドリウスはただ見つめた。すると、初めはなんら変化のなかった霧が、少しずつ少しずつアーサーの左腕から離れて行く。離れた霧はゆっくりとしたスピードで宙に浮き、カラドリウスの周りに集まり出す。

 膿を出し切るように、霧を完全にアーサーから離したカラドリウスはその小さな目で自分にまとわりつく霧をただひたすら見つめた。すると、不思議なことに霧は少しずつ晴れて行き、最後には霞すら残さず消えた。


「すごい……」

「これが私の力です」

「こいつはどうなったんだ?」

「結果がどちらかはすぐにわかります」

「……どういうこと?」


 マーリンとカラドリウスの意味深な会話に佐和は首を捻った。

 これでアーサーは無事、回復。めでたし、めでたし、じゃないのだろうか。

 困ったように目を伏せていたマーリンがぽつぽつと語り出した。


「実は、ただ呪いを解くわけじゃないんだ……俺はカラドリウスにこいつを生かす意義を伝えた。もし、それが嘘だったら治るどころか……アーサーは死ぬ」

「なにそれ!?そ、そんな……。マーリン!何て言ったの?カラドリウスに!」

「こいつはいつか……どんな者に対しても理不尽な目に合わせない。個を見て考える気高い王になると、俺がさせると」

「マーリン……」


 改めて決意を語るマーリンの瞳は力強い。もう自分が生きていることに罪の意識だけを抱いて生きていた青年ではなかった。


「う……」

「アーサー!?」


 微かなうめき声に気付いて、佐和はアーサーの枕元に駆け寄った。ゆっくりアーサーの瞼が開いて行く。


「……サワ、か?」

「ああ!良かったです!マーリン!殿下、目が覚めたよ!良かったね!」

「マーリン?」


 アーサーに呼ばれたマーリンは佐和とは反対の枕元に立った。


「……殿下、ここです」

「マーリン……無事か?」


 その言葉にマーリンが詰まった。

 瞳が揺れている。

 アーサーが、マーリンを心配した……。

 今まで、誰に心配してもらうことも、身の安全を守ってもらうことも、マーリンにはなかった。

 でも、今確かにアーサーは、マーリンの身を一番初めに案じたのだ。

 嬉しい……に決まってるよね……。

 マーリンの表情からは言葉にならない想いが溢れている。


「……はい、殿下に救っていただいたおかげです」

「そうか……子どもは」

「あの子たちも無事です」

「そうか……」

「殿下?」


 アーサーは瞼を閉じるとゆっくりと呼吸し出した。

 どうやら眠ってしまったらしい。


 良かったね。

 マーリン、お疲れ様。


 佐和はそっとベッドから離れ、マーリンとアーサーを見守った。


 きっとこの二人ならうまく行く。


 この時、私はそんなことを思っていたんだ。



       ***



「ありがとう。カラドリウス」

「礼を言われる必然はありません。創世の魔術師。()の王を救ったのはあなたの誓いと運命です」

「それでも、ありがとう」


 マーリンが差し出した手にカラドリウスは停まると漆黒の瞳を細めた。


「あなたが魂を懸けし王の未来を私も楽しみにしていますよ。誓いが果たされんことを」

「ああ」


 マーリンはカラドリウスを肩に停まらせ、佐和を見た。


「俺はカラドリウスを森まで送って来る。かなり奥深かったから、少し時間がかかるかもしれない」

「うん。わかった。その間、アーサーのことは私が看ておくね」


 マーリンの顔は晴れやかだ。

 佐和も笑顔で部屋から出て行くマーリンを見送った。

 本当に良かった。

 ただ、アーサーの命が救われた事だけじゃなく、マーリンの中で確かなものが始まったのだ。

 人の心が揺れ動く瞬間というのは確かにある。それを今までの人生で数回見てきた事はあったけれど、あれほど暖かく優しく何かが始まる予感を感じたのは初めてだ。

 良かった……。

 その時、部屋の扉がノックされた。佐和はドアに近寄り耳を立てた。


「はい」

「失礼、ボードウィンです。殿下に追加の薬を」


 扉を開けるとボードウィン卿が薬を持って立っていた。部屋に招き入れ、ボードウィンがアーサーの横に立った瞬間、彼の顔色が変わった。


「……治っている?」


 ……やばい。

 治った後のことまでは考えていなかった。

 しかも、カラドリウスのことを教えてくれたのは彼だ。

 もし、ここでボードウィンが魔法でしか治せなかったはずのアーサーの傷が治ったと知れば、疑われるのはもちろん佐和とマーリンだ。

 ウーサーの騎士である彼が魔術師を生かしておくはずがない。

 さっきまでの幸せな気分が一気に吹っ飛び、佐和は焦りを表情に出さまいと決死に言い繕った。


「……そうなんです!!私も驚きました!!先程、急に殿下のご様子が良くなって……!今ボードウィン卿にお知らせに行こうかと!」


 佐和の弁明をボードウィンは冷ややかな目で見ている。

 これは完璧に疑われている。


「……もう一人の侍従はどうした?」

「……彼は殿下のために何かできることはないかと、調べものに……」

「五月蠅いな……誰だ……?」


 ボードウィンが何かを言いかけた瞬間、アーサーが目を覚ました。


「殿下。お目覚めですか?」

「ボードウィンか?お前が治療してくれたようだな。感謝する」


 まずい。まずい。まずい。

 これでボードウィンが事の真相を話せばアーサーに切られるのは佐和とマーリンだ。


「いえ、殿下。私の力ではありません」


 どうしよう……!!


「殿下の傷は魔法によるものでした。通常の治療方法ではまず回復の見込みのない。……しかし、さすがは殿下。自らの御力で悪しき魔法の力に勝たれてしまわれた。感服いたします」


 へ……?

 ちらりと佐和を見たボードウィンはアーサーの傷を確かめると、持ってきた薬を持って立ち上がった。


「すぐに力のつく薬を煎じて持って参ります。ご快復を心よりお待ちしております故」

「心配するな。むしろ倒れる前より調子が良い位だ。身体が軽い」

「それは何よりです。では、殿下。私はこれにて失礼いたします」

「ああ。感謝する。ボードウィン」


 ボードウィン卿はアーサーに一礼すると静かに扉から出て行った。

 佐和はただ茫然とその背中を見送る。

 ボードウィン卿……私とマーリンを追及しなかった。

 ウーサー王の騎士ならば魔術師の根絶は責務のはずだ。

 それなのに……。


「で、殿下。私ちょっとボードウィン卿にお話があるので……」


 アーサーに断りを入れ、佐和は部屋を飛び出した。誰もいない廊下の少し先をボードウィンが歩いている。


「ボードウィン卿!」

「……何か?」


 振り返ったボードウィンは特に変わった様子もなく、いつも通り淡々としている。


「あの……殿下が治られた奇跡すごいですよね。こんなことってあるんですね」


 どうして、私とマーリンが魔術師かもしれないことを殿下に告げ口しなかったんですか。

 本当はそう聞きたいが、それを言えばやぶ蛇になる可能性もある。

 でも、このまま聞かないのも怖い。

 考えあぐねた言葉にボードウィンは真面目な顔つきのまま佐和を見返した。


「そうだな。奇跡が起きたのかもしれぬし……どこかの誰かの尽力の賜物かもしれない。それは私にはわからない」


 誰かの尽力という所でドキッとした。

 しかし、ボードウィンはそのまま淡々と話し続ける。


「しかし、誰かの尽力に依る物なのだとすれば、見上げた忠誠心だと私は思う」


 佐和が顔を上げると、軽く会釈したボードウィンが歩き出す所だった。その背中に佐和は精一杯頭を下げた。

 あの人はもしかしたらマーリンと私が魔法に関係していることに感づいているのかもしれない。

 でも、それ以上にアーサーを助けようとした心を評価しているのだ。

 ……すっごく良い人!!

 佐和は下げていた頭をあげて、軽い足取りで踵を返した。

 ウーサー王の騎士とは思えないね!

 ほんと、素敵!

 ああいう人が上司だったらどんなにいいか……。

 似ている名前なのに魔術師を生贄にしようとしているボーディガンとは大違いだ。


「ただいま戻りました」

「戻ったか。おい、水」


 ベッドで上半身を起こしているアーサーの顔色はすっかり元通りだ。

 もう何もかもが安心だ。

 佐和は上機嫌に言われたとおり水差しを取りに向かった。


「はい。ただいまお持ちします」

「ところで、サワ。一体ボードウィンに何の用だったんだ?」


 佐和がコップに組んだ水をアーサーはぷはっと気持ち良さそうに一気に飲んだ。


「いえ、まぁ、お礼とかです。ボードウィン卿って素敵な方ですよねぇー」


 あんなに紳士な対応を取れる大人は元の世界にも中々いない。


「……お前、そんなに年上が好みだったのか?やめとけ。ボードウィン卿には奥方もいるし、第一、お前とは身分が違う」

「恋愛じゃなくて、人としてって事ですよ。本当によくできたお方です」


 アーサーが飲み終わったコップを受け取り、佐和は片付けを始めた。その行動をアーサーがにやけた顔で見てくる。


「それならお前の身近にいるじゃないか」

「え?マーリンはまだちょっと子供っぽい所ありますし、ケイはちゃらんぽらんですし。います?そんな人?」

「……お前、俺を前にしてよくそんな口がきけるな……。」


 アーサーの軽口を無視して佐和は道具を片付けた。もう少しすればマーリンも戻ってくるだろう。


「さて、サワ。仕度を手伝え」


 ベッドから降りたアーサーは肩を回しながら衝立の向こう側へ消えていく。


「陛下に自分の無事と事の経緯をご報告しに行く。服をすぐ準備しろ」

「あ、はい」


 佐和は気を取り直して洋服ダンスの扉を開いた。



       ***



 すっかり回復したアーサーに続いて佐和も謁見室に向かう。その足取りは軽い。

 ウーサーに報告するっていうのがちょっと不安だけど、ボードウィン卿もああ言ってくれたし、きっと平気だよね……。

 謁見室の前の兵士がアーサーに敬礼するのを受けてアーサーは謁見室に堂々と入って行った。


「父上」


 玉座の前で大勢の騎士に囲まれていたウーサーが振り返った。その顔が歓喜に湧き立つ。


「アーサー!」


 アーサーに歩み寄ったウーサーは息子の肩を力強く叩いた。


「余はもう駄目かと……」

「これぐらいではくたばりませんよ。父上」


 こんな風にただアーサーを心配している所だけを取れば良い父親なのにな……。

 佐和はこっそり礼をして壁際に下がった。

 謁見室には何人もの騎士が集まっている。佐和の見たことのない人物も何人かいた。


「サワ」


 小声で話しかけられ、ばれないように目線を動かすと、すぐ横にケイが立っていた。

 アーサーの第一の騎士とはいえ、彼は騎士勢の中では若輩者に当たる。謁見室の中では最も侍従達の立ち位置に近い下座が彼の定位置なのだろう。


「ケイ。これ、どういうこと?なんでこんないっぱい騎士が集まってるの?」

「アーサーの病気を治す方法はないか会議してたんだ。城中の騎士が今ここに集まってる」


「ま、無駄に終わったみたいで良かったけど」と彼は付け足したが、どことなくその表情が暗い気がした。

 ……ケイ?

 その時、謁見室にボードウィン卿も戻って来た。その手には薬のビンが握られている。


「こちらでしたか。殿下。これが失った体力を戻す薬になります」

「助かる。ボードウィン卿」


 アーサーは薬を受け取り、佐和に目配せをした。

 すぐに近寄ってその薬を受け取り、また下がる。


「ボードウィン。魔法でしか治せぬ傷とそなたは言っていたが、アーサーは回復したぞ。これはどういうことだ?」


 ウーサーは怪しんでいるというよりも、純粋に奇跡の詳細を知りたがっているようだ。

 ボードウィンは普段となんら変わらない平坦な口調でウーサーに向きなおった。


「陛下、長い間たくさんの患者を診てきましたが、往々にしてこのように説明のつかない回復というものも存在します。(ひとえ)に殿下御自身のお力の賜物かと」

「魔法に屈しぬとは、さすが我が息子。余は誇らしいぞ」


 アーサーも嬉しそう……。

 真実がどうあれ、アーサーがウーサーに褒めてもらえる事なんてほとんどない。

 本当の理由を明かす訳にはいかないわけだし、これはこれで大団円だね。


「陛下、少しよろしいでしょうか」


 祝福ムードの中、多くの騎士の中からボーディガンが進み出た。その顔がねっとりとした笑みを浮かべている。


「どうした?ボーディガン」

「実はその殿下のご回復の事でお耳に入れたい事がございます」

「なんだ?申してみよ」


 ウーサーはアーサーの回復にすっかりご機嫌だ。だが、その様子とは裏腹に佐和はボーディガンの笑みに何か嫌な予感を感じ取った。


「殿下の傷は魔法に依る物でした。そして、それを治す方法はただ一つ。魔術師が魔獣を用いることです」

「それがどうした?アーサーは自力で回復したのだろう?」

「それが(まこと)ではないとしたらどうしますか?兄上」

「何が言いたい?ボーディガン。ボードウィンの言葉を疑うと言うのか?例え我が弟であろうと私の騎士を侮辱することは許さんぞ」

「いいえ、兄上。私が訴えたいのはボードウィン卿ではありません。彼もまた騙された被害者の一人なのです」


 謁見室中の人の注目を集めたボーディガンは、扉の近くにいた自分の部下に目配せをした。


「兄上、これは仕組まれた事だったのです。―――この者によって」


 悲鳴を、あげてしまうかと思った。

 ボーディガンの部下に手荒に床に倒されたのは縛り上げられたマーリンだった。

 さっきまでの泥だけでない。かなり暴行を受けたようで痣と傷だらけだ。ぐったりと目を閉じている。

 マーリン!!

 思わず反応しそうになった佐和の手を誰かが強く握りしめた。その手の先でケイが微かに首を振っている。

 動くなって事……?でも……。


「ボーディガン卿!どういうことです!?この者は私の従者だ!一体何を!」

「殿下……お可哀想に。殿下はこの者に騙されていたのですよ」

「何を……!?」


 憤るアーサーに対し、ボーディガンは哀れみの目でアーサーにとんでもない事を語り出した。


「殿下の傷を治した者はこの者。―――つまり、この者は魔術師なのです」


 ボーディガンの一言に佐和の身体から血の気が一気にひいた。




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