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城の裏手には広大な森が広がっている。この森は王族専用の狩場で、一般市民の立ち入りは禁じられているが、アーサーの従者である自分には許可が下りている。
森の入り口に立ち、マーリンは城を振り返った。
王族を、ウーサーを憎み、苛立つ気持ちは自分の中にまだ確かにくすぶっている。
けれど、それ以上に。
今度は……助けたい。
もう二度と自分に関わったせいで誰かが死ぬなんて、そんなのは御免だ。
マーリンは深い森に足を踏み入れる。何度かここにはアーサーの狩のお供で来ているが、カラドリウスなんて魔鳥は見たことがない。いるとすればもっと森の奥深くだろう。
先生を、ミルディンを、ブリーセンを助けられなかった自分。なぜ魔術師なんかに生まれて来たのか悩んだ日ばかりだった。
ミルディンの「いつかこの力が役に立つ日が来るかもしれない」その言葉に希望を抱きながら、同時にそんなことは有り得ないと諦めていた日々。
けれど、サワに出会って、ミルディンの遺言を受け取って、先生の真実を知って。
そしてサワと話していて気付かされた。
もし本当にサワの言う通り、アーサーが俺を認め、魔術師も生きられる世の中になったらと。そう想像した時、胸が震えた。
まるで現実のように鮮明に情景を思い浮かべる事ができた。全ての民の賞賛をうけ、希望に輝く世界の中心に立つアーサーと、その背を見守る自分の姿が。
あんなにむかつく奴なのに……。
さらに森の奥深くへと分け入って行く。奥へ進めば進むほど木が覆い繁り、僅かな木漏れ日だけが苔だらけの地面を照らしている。
時々微かに聞こえてくる草むらをかき分ける音を聞きつけては追いかけるが、大抵はノウサギやキツネ、鹿などだ。
全然見つからない……。
一刻の猶予もない。今、この瞬間にもあいつは闘っている。
その時、マーリンの視界に白く淡く輝く物が飛び込んで来た。それは木々の隙間を縫い、音もなく飛んでいる。
あれが、もしかしてカラドリウス?
急いで後を追いかける。足場が悪いマーリンと違って、白い光はすいすいと木立の合間を縫うように飛んで行く。
このままじゃ、突き放される……!
「待ってくれ!」
叫んだ瞬間、光が振り返った気がした。
そして、自分の視界が一気に落下した。
***
「うっ……」
起き上がろうとして足と背中に痛みが走った。見上げると、小さな崖から落ちたようだ。大きな木の根本に倒れこんでいた。
「くそっ……」
服も身体もぼろぼろになっている。立ち上がるとあちこちが痛んだ。
けれど、立ち止まっている時間はない。
「早く、早くカラドリウスを見つけないと……」
立ち上がったマーリンは目の前の光景に息を飲んだ。
先程まで追いかけていた白い光が、マーリンの目線の高さで宙に浮いている。
「……カラドリウス?」
マーリンの呼びかけに光の中から純白の鳥が現れた。
「創世の魔術師。私に何か御用ですか?」
見た目は真っ白な鳩に近い。黒曜石のような不思議な輝きの小さな漆黒の瞳がマーリンを見つめている。
落ち着いた女性の声で目の前の鳥は話しかけて来た。
「本当にカラドリウス?」
「はい。人間からはそう呼ばれております。創世の魔術師、そこまで必死に私にどのような御用ですか」
カラドリウスは鳥であるはずなのに、羽ばたく事もせず宙に留まっている。魔鳥というのも納得する不思議な雰囲気と美しさを持つ鳥だ。
「頼みが、あるんだ。魔法で怪我をした人がいる。あなたなら助けられると聞いた。力を貸してはくれないか?」
マーリンの言葉にカラドリウスはつぶらな瞳を二、三度瞬かせた。
「なぜですか?」
「なぜって……」
カラドリウスは心底不思議そうに首を傾げた。
「なぜ、私が人間を助けなければならないのですか?」
「なっ……」
確かにカラドリウスにアーサーを助ける義理はない。だが……。
「人が死にかけてる!理由がいるのか?」
生き死にに関わる問題で理由なんて必要ないはずだ。
ただ、目の前で死にそうな人がいれば誰だって無条件に手を貸す。
それが普通の考えのはずだ。
「それは私に関係のあることですか?」
「何言って……お前に良心はないのか?」
「それはそちらのことでしょう」
「何の事を言っているんだ?」
「あなたが助けたいのはどうせ人間でしょう。ならば、我々が人間に手を貸す義理など存在しません」
「なんで……?」
「何も知らないのですね、創世の魔術師。人間は昔から我々を狩って来たのですよ」
カラドリウスは怒り狂うわけでもなく、ただ淡々と話し続けた。
「本来の生存戦争に則り、食物として狩られるのであればそれは自然の定理。何ら問題はありません。しかし、人間は我々を魔に精通しているという事だけで殺戮を繰り返してきました。なぜそのような経緯を持つ我々が人間を助ける必要があるのですか?」
カラドリウスの言うことが本当なら主張はあまりにも正当だ。
「なら、なんで俺の前には現れたんだ?」
「あなたは人間ではない。創世の魔術師、この世に1人にしてただ1つの存在。故にです」
人間じゃない。その言葉がマーリンの心に突き刺さった。
「それは俺が魔術師だから?」
「いいえ、あなたは他の魔術師とも違う。我らからすれば魔術師も人間。しかし、あなたは唯一無二の存在なのです」
マーリンは言葉を失った。
俺は本当に人間ですら……ない?
「創世の魔術師よ、それでは私はこれで」
「待ってくれ!」
そうだ。今は自分の出自について悩んでいる場合ではない。どうにかして説得しないと。
「頼む。どうか力を貸してくれ。俺を特別だと思ってくれているなら、どうか」
「例え創世の魔術師からして特別な存在の者といえど、私からすれば等しくその者も人間。助ける必然はありません」
静かに告げるカラドリウスにマーリンは少しずつ苛立ちを募らせた。
なんで、わからない。
人間にも様々な人間がいる。あいつは―――アーサーは違う。
なんでわからない。どうして個性を排除して、集団として、人間という大きな括りでしか見ることをしない。
一人一人それぞれに人生があり、ここで自分がしたことで、その人の人生が落ちて行くことをどうして想像できない。
いつか、似たような事があった気がする。
そう。これは……そうだ。カラドリウスの考えは以前の自分だ。
アーサーを王族としてしか見ず、助けることを悩んだ自分。
人間は魔術師を助けないのに、魔術師はなぜ人間を助ける必要があるのかと。
カラドリウスの主張はあの時のマーリンの気持ちそのものだった。
「カラドリウス。俺もお前と同じように考えてた。どうして俺の家族を奪った王族を、魔術師っていうだけで人を殺すような人達を助けなきゃならないんだって。でも」
それは―――そう思ってしまう気持ちは痛いほどわかる。でも、そのままなら。
自分にとっての味方だけを助け、記号上敵に所属した人間は個性とは関係なく見捨てるというのなら。
優しい世界などできるはずがないのだ。
サワに砦で怒られて、バリンの事件で悔やむアーサーの背を見て、ようやく気付けた事。
「ただ、人間だから、魔術師だから。そんな枠で、個人を見ることもしないでいたら、いつまで経っても何も変わらない。やって、やり返してを繰り返すだけだ。だから、頼む。あいつを助けてくれ。あいつはきっとそれができる王になる。……いや、俺がそんな王にする。もう二度と理不尽な淘汰には合わせないそんな世界を創ると誓う。だから、あいつの命だけじゃない。未来のために力を貸してくれ!」
マーリンはカラドリウスに頭を下げた。
「その言葉は真となりますか?」
カラドリウスの問いかけにマーリンは顔をあげた。
「その者を救うことが我々の未来に繋がると、あなたはどうして言い切れるのですか?」
「確かに……普段のあいつのことを考えれば信じられないのも無理はない。だけど、あいつは後悔したんだ。自分が、自分のせいで罪もない魔術師に関わった兄弟を失った時、あいつは魔術師という枠でしか物事を捉えられなくなった自分に気づき、変わろうともがいている。カラドリウス、あいつは確かに未熟な王かもしれない。でも誰よりも気高い王になる。なぜなら、あいつがそう望んでいるからだ」
カラドリウスは答えない。ただ音もなくマーリンに近寄る。
「創世の魔術師、あなたは恐らく私の治癒の力を誤解しています」
「誤解……?」
「はい。私の力は無条件に呪いを解く訳ではありません」
初めて聞く情報にマーリンは戸惑った。
「そうなのか?」
「ええ、私がこの眼で見つめれば、呪いを解くことは可能です。しかし、それはその者が生きるに相応しい者の場合です。あなたは先程彼の王を助ける理由を私に伝えましたね?もしも、それが嘘であれば、彼の王はその場で息を引き取ります」
「そんな……」
「生には生を、死には死を。本来死すべき運命の者を救うことはあなたが思うより遥かに重大な事なのです。あなたの魂をかけて、誓えますか。あなたが必ず彼の王を全ての命あるものに心を砕く王にすると」
バリンの墓の前にいるアーサーを見た時から、心は決まっている。
あいつは間違いを間違いと認められる。
他人を思いやれる。
そこに魔術師を入れるのは自分の仕事だ。
だから、
マーリンは震える唇を一度噛みしめた。
「誓うよ。俺の―――命に懸けて」