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大丈夫かな……マーリンとアーサー。今、どうなってるんだろう。
佐和は一人、アーサーの私室の中を行ったり来たりしながらそわそわしていた。
アーサーの部屋の窓から広場が見えるが、戦いの様子までは見て取れない。戦況は不明だ。
単純な剣の腕ならアーサーはきっと強い。単純な魔法の腕ならマーリンも強い。だが、バリンの使っていた剣というのが胸を騒がしてしょうがない。
どうか二人とも無事に帰ってきますように。
祈っていた佐和の背後で扉がけたたましい音で開いた。
お帰りなさいと言おうとして、佐和は固まった。
「殿下!?」
複数の騎士に抱えられてぐったりとしたアーサーが運ばれて来る。その後ろから続いて真っ青な顔のマーリンが入って来た。
「ベッドを!」
「あ!はい!」
アーサーを抱えていた騎士の言葉に、佐和は慌ててアーサーを寝かせられるように掛け布団をめくった。騎士がアーサーをそっとベッドに横たえる。
「な、何が起きて……」
「誰か!ボードウィン卿をここに!」
騎士の一人がその言葉に駆け出す。ウーサー王の騎士で医術に秀でた彼を呼ぶということは。
「怪我したの!?」
佐和はマーリンに詰め寄った。アーサーの周りは騎士が囲んでいて佐和達が近寄る隙はない。
「逃げ遅れた子供を庇って……カラドスの剣を一太刀受けて……」
「カラドスは?」
「傷を負いながらも殿下が倒した」
「殿下のご容態は?」
騎士に呼びつけられたボードウィンはアーサーに駆け寄るとジャケットを脱がし、傷を確かめた。
傷口自体はそこまで大きくはない。だが、以前マーリンが呪われたリボンの蛇に噛まれた時と同じように、アーサーも汗をかき、苦しそうに呼吸している。
魔法の傷……。
場が混乱を極める中、立場上侍従である佐和とマーリンに何かをする事は許可されない。
治療の邪魔にならないよう、橋の壁によりただただアーサーを見守った。
***
「アーサー!」
けたたましく扉を開き、部屋に入って来たのはウーサー王だった。焦燥し、アーサーのベッドの傍に近寄るとボードウィン卿を問いただした。
「何があった!?ボードウィン!」
「落ち着いてください。陛下」
「これが落ち着いていられるか!アーサーは唯一の跡継ぎだぞ!」
ボードウィンがなんとかウーサーをなだめているが、佐和は信じられない心地でいた。
何それ、跡継ぎだからとかいう前に、息子だからでしょうが!
「傷自体は命に関わりはありません。しかし、傷口に得体の知れない黒い靄のような物が漂い、それが殿下を苦しめているようです」
「遠回しな言い方はせんでいい!はっきり物申せ!」
「では、単刀直入に。これは魔法でつけられた傷です。陛下」
「治るのか?」
「……魔法の傷は魔法でしか癒せません」
「余に魔術師を頼れというのか!!」
ウーサーの怒鳴り声に控えていた他の騎士の肩がびくつく。しかし、ボードウィンはただ淡々と事実を述べた。
「そもそもキャメロットの都に魔術師がいるとは考え辛いかと」
「何が言いたい?ボードウィン」
その後に続く言葉を彼は口にしない。それでも言いたいことはわかった。
助かる方法はない。
彼はそう言いたいのだ。
***
猛り狂ったウーサーが部屋から出て行き、アーサーの私室に残ったのは佐和、マーリン、ボードウィンの三人だ。騎士も既に各自持ち場に戻っている。
息子のピンチなのに、自分のプライド優先なんて……どうかしてる。
「ボードウィン卿、殿下は魔法でなら治せるのですか?」
一人ウーサーに苛立っていた佐和と違い、マーリンはただアーサーを静かに見つめている。
「以前少年兄弟が陛下を襲った事件の時、そちらの侍女には伝えたが、私の知識は古い。だが……」
「あるんですね?助ける方法が」
……マーリン?
マーリンの顔色にはっとした。真っ直ぐ曇りのない目でボードウィンの答えを待っている。
「……キャメロットの裏手の王族の狩猟場にカラドリウスという魔鳥が生息しているらしい……伝承ではその鳥には不思議な力があり、カラドリウスに見つめられれば、あらゆる呪いを吸い取ってもらえると」
「なら、その鳥を見つけて来ます」
マーリンの力強い宣言にボードウィン卿が力なく首を振った。
「それは不可能だ」
「なぜですか?」
「カラドリウスは魔術師の前にしか姿を現さないと言われている。キャメロットに魔術師はいない」
「だから、陛下にはその事を言わなかったんですね……」
佐和の確認にボードウィン卿はゆっくりと頷いた。
「魔術師の話をすれば陛下は冷静にはご判断できなくなるだろう。殿下をお救いしたい気持ちは山々なのだが……今、私にできる事は苦痛を和らげる薬草を煎じる事だけだ」
アーサーの看護をマーリンと佐和に任せ、ボードウィン卿は部屋を後にした。城の中に与えられているボードウィン卿の研究室に戻り、薬草を調合してくるとの事だった。
ボードウィンの代わりにアーサーの傍に座って額のタオルを取り替える。これぐらいしか、佐和にはできない。
「……サワ、俺はカラドリウスを探して来る」
「マーリン!?何を言ってるの!?」
そんな伝説本当かどうかもわからないのに。
「それに、マーリンなら魔法でこっそりアーサーを助けられるでしょ?」
人に害を成す魔術があるように、もちろん治癒する魔術も存在する。佐和の預かっている杖を使えば、マーリンならこの呪いもきっと治せるはずだ。
「……俺は治癒魔法だけは、使えないんだ」
「え?どういうこと?」
マーリンほどの魔術師に使えない術など存在するとは思えない。しかし、マーリンの目は真剣で嘘をついているようには見えなかった。
「……あの日、院長先生を治して以来どうしても治癒魔法が使えないんだ」
「なんで?」
「わからない……多分、怖かったんだ。また誰かを狂わせてしまうんじゃないかって」
「でも、院長先生は結局マーリンの魔法のせいでおかしくなったわけじゃないんでしょ?なら、もう……」
「俺も……そう思う。でも、駄目なんだ。ここに来るまでにもやってみたけど、何度試してみても駄目だった」
「マーリン……」
「魔法が使えたから院長先生を亡くした。今度は魔法が使えなくてこいつを亡くすなんて……悔しい。悔しいんだ。サワは言ってくれた。こいつに魔術師を認めさせるのが俺の役割なのかもって。俺も最近、そう思って来た。だから、諦めず、魔術師で、こいつの傍にいる俺だからこそできることをしたいんだ」
「……なら、私も行くよ」
マーリンを見守るのは佐和の役目だ。
そう決意して立ち上がった佐和をマーリンは肩をつかんで座らせた。
「サワはこいつに付いてて。看病する人がいる」
「そんなのボードウィン卿に任せて……」
「サワ、魔法の事、魔法使いの事を知っているのは俺とサワだけ。モルガンがこいつを襲わないとも限らない。どちらかはこいつの側にいなくちゃ」
マーリンの言っている事は正しい。
それに何もできない佐和が付いて行っても邪魔になるだけだ。
「それにこいつは……俺が子どもを助けようとして、そのせいでこうなったんだ。だから……俺が」
決意をこめたマーリンの眼差しに、佐和は何も言うことができなかった。