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「マーリン、お前は下がっていろよ。まだ下手くそなんだからな」
剣を抜いたアーサーの言葉にマーリンは大人しく門の扉の影にそっと身を隠した。
魔法を使わないと佐和に約束した以上、今ここで自分にできることはアーサーを見守ることだけだ。
相変わらず訓練と称していびられているせいで、多少剣の扱いは心得たが、まだ実戦で通用するレベルに達していない事は自分が一番わかっている。
一応、保険として剣を持ち、マーリンはアーサーの言葉に頷いた。
それを確認したアーサーは他の騎士や兵士に合図をすると、一気に広場へ躍り出た。
敵は五人。全員漆黒の剣を掲げている。その中の1人、一番大きな剣を構えた男の顔を見てマーリンは驚いた。
「カラドス……?」
その男は以前、アーサーがケイと偽名を名乗っていた時にアーサーを攫った奴隷商人の元締めの貴族だった。ただ、あの時とはあまりにも雰囲気が違う。以前は整然と整えていた髪も服もぼろぼろで、その目は狂気に満ちていた。
「見つけたぞ!!アーサー!!殺してやる!殺してやる!」
「はっ、また貴様か。よくも城の牢から逃げ出せたな。だが、お前は以前の戦いで俺との実力差を思い知ったと思っていたが?」
アーサーが怒り狂っているカラドスをさらに挑発した。アーサーの言葉にカラドスの顔に朱が指す。
「この糞野郎が!貴様のせいで!私の計画は全て台無しだ!!この罪は万死に値する!!」
カラドスが興奮しながら構えた剣から黒い靄が立ち上った。
間違いなく、バリンの使っていた魔法の剣と同じ物だ。
「かかれ!!」
アーサーの合図で他の兵士が散った。アーサーは剣を構え直し、カラドスとの距離を測る。
「この時を待っていた!!」
「それは俺のセリフだな。脱獄及び奴隷商売、そして魔術に関わった罪で貴様を切る。カラドス」
アーサーとカラドスが斬り合う。カラドスが猛攻を仕掛けているが、アーサーも負けじと打ち返す。その斬撃と激しい金属音を見守っていたマーリンの視界の端に何か動く物が飛びこんできた。
広場の端、荷馬車の影に誰かいる。
広場は混戦している。巻き起こる土埃の中、目を細め見てみると、それは二人の幼い少年だった。おそらくこの戦いが始まった時に逃げそびれてしまったのだろう。
マーリンは慌てて周囲を観察した。
カラドス以外の襲撃犯も同じように黒い靄のかかった剣を使っている。どの兵士の剣も襲撃犯に届く前に靄に払われてしまう。1人、また1人と凶刃に倒れていく。
少年たちを助ける余裕は兵士たちには無さそうだった。
自分が行くしかない。
マーリンはタイミングを見量り、門から少年たちのいる荷馬車へ駆け寄った。驚いた少年たちの肩を抱える。
「立て。逃げるんだ!」
「あいつ……何して……、マーリン!!気をつけろ!」
カラドスと刃を交えていたアーサーの視界に、荷馬車の影で震える少年とそれに駆け寄ったマーリン、そして彼らに襲い掛かる男が飛び込んできた。マーリンは少年たちに気を取られている。
「マーリン!!」
アーサーの声にマーリンは急いで手に持っていた剣で男の太刀を受けた。異常な振動が柄から腕に伝わってくる。
これも魔法の影響か?
両腕に力をこめなんとか剣を防ぎながら、マーリンは背後を見やった。
未だ少年たちが震えたまま地べたに座り込んでいる。
「早く!!」
「この……!」
マーリンに切りかかっている男が小さく呪文を呟いた。その途端、剣の周りを停滞していた霧がまるで生き物のようにうねり出す。
「こいつを切れ!」
剣の主の命令に黒い霧がマーリンに切りかかろうとした瞬間、いつの間に駆け寄って来たのかアーサーが背後から男を切り倒した。
「殿下!」
「マーリン、早くそいつらを非難させろ」
アーサーが油断なく剣を構えなおす。広場にはカラドス以外に後二人、敵がいる。三人は倒したようだが、マーリンとアーサー以外の味方の兵士は既に全員倒れていた。
「立てる?」
「あ、足が……」
少年たちはすっかり目の前の光景に脅えきってしまっていて、足が震えている。身体に力が入らないようだった。
「早くしろ!」
アーサーがカラドス以外の男に斬りかかる。黒い靄を発動しようと男達が呪文を唱える前にアーサーはその剣技で次々と敵を沈めて行った。残るのは後方でその様子を見ていたカラドスだけだ。
「どうした?もはやお前一人だけだぞ。降参したらどうだ?」
「馬鹿を言うな。貴様を殺すのは私だ!」
カラドスの剣が禍々しく歪み、アーサーに襲いかかった。マーリンは戦いの邪魔にならぬよう、とにかく少年をここから移動させようと少年の肩を持つが、二人を同時に抱えるのは無理そうだ。
「殿下!」
「わかっている!こうなったらお前らはそこから動くな!」
マーリンの意図を呼んだアーサーがマーリン達を背後に庇うようにカラドスと対峙する。それを見たカラドスが剣を振り回しながら愉快そうに笑った。
「お荷物を抱えたままでも私に勝てると?」
「ああ、ちょうどいいハンデだな」
「ふざけおって……!切り殺してやる」
カラドスの剣の霧は太刀筋とは関係なく、自在に飛び回りアーサーを襲う。その一撃、一撃を見極め、アーサーは剣で弾き返しながらカラドスとの距離を詰めた。
……強い。
初めて会った時の戦いを見ていても思ったが、本当にアーサーは強い。
それは天賦の才というよりは長年の努力の結果だ。
アーサーに仕えるようになってわかったことがある。
それはアーサーは王子として、果たすべき責務を果たすためにどんな努力も惜しまないということだ。
もちろん、性格や態度をマーリンは毛嫌いしているし、導きたいと思っていてもこの性格が本当にどうにかなり、ちゃんとした王になるか不安に思うときもある。
だが、それでも一つだけ揺るがないのはアーサーの自分自身への厳しさだ。
マーリンが従者になってからアーサーが毎日の訓練を休んだ所どころか、手を抜いている所も見たことがない。
自分にできる事を自分を甘やかさず成し遂げる。
それは簡単なようでいて、実際にはひどく困難なことだ。
だからこそ、俺はこいつを認めてもいいって思ったんだ……。
魔法というハンデをものともせず、アーサーはカラドスの懐に飛び込むと、一気にカラドスを切りつけた。
狂気に歪んでいたカラドスの顔が驚愕に変わり、それからどっと音を立てて広場に倒れた。
倒れたカラドスが起き上がらないことを確認したアーサーが腰に剣を戻す。
「無事か?マーリン?それから、そこのお前たち」
「は、はい!殿下!ありがとうございます!ありがとうございます!」
まだ座り込んだままの兄弟は何度も頭を下げた。その目には涙が浮かんでいる。よほど怖かったのだろう。
「全く、マーリン。お前はなんて無茶をするんだ。他の兵士が皆やられた中を駆け抜けるなんて……だが、よくやった」
文句に続けられたねぎらいは聞こえるか聞こえないかというほど小さい。
まさか褒められるとは思っていなかったので驚いてアーサーの顔を見返す。
「……いえ」
「おい、お前ら立てるな?急いでここを離れるんだ」
「は、はい」
ようやく動けるようになった兄弟が立ち上がった。二人ともが小さな頭をアーサーに下げる。兄弟を見守るアーサーの眼は優しい。
もしかしてバリンとバランを思い出しているのだろうか。
アーサーが……自分が助けられなかった兄弟。
その無念を今、アーサーは重ね合わせているのかもしれない。
「さて、マーリン、急いでお前はボードウィン卿と医師を呼んでくるんだ。まだ助かる者がいるかもしれない」
その時、アーサーの背後で地面に伏せたカラドスが笑った。弱々しく持っていた剣を少しだけ持ち上げると、その切っ先から薄い霧が漏れ出す。
「殿下!」
「お前は自分が切られるよりもこっちの方が悔しいだろう?自分のふがいなさに絶望しろ!!」
霧は歩き出した兄弟目掛けて石畳を滑る。二人は背後から迫る脅威に全く気付いていない。それどころか立ち止まって振り返り、アーサーにお辞儀をした。
「逃げろ!!」
アーサーの叫びと不可思議な何かを焼く音が広場に響き渡った。