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「よ、調子はどうだ?」
「……ケイ、か」
マーリン達が出て行ってからも私室で書類に目を通していたアーサーは、紙から視線を少し上げて扉の傍に立っていたケイをちらりと見てからすぐに書類に目を戻した。
「別になんら変わらないが」
「そうかー?」
勝手知ったる様子で遠慮なく部屋に入って来たケイはテーブルの上の果物を取って、机に腰を下ろした。アーサーが見ていた机に散らかっていた書類を一枚手に取り、何気なく眺めている。
本来なら一介の騎士に見せて良いような書類ではないが、ケイの口の堅さはよく知っているし、信頼もしている。気にせずにアーサーは自分の持っていた書類の続きを読み進めた。
「……ボーディガン卿か」
「ああ」
さすが、一枚書類を見ただけでアーサーが何を調べているのか見当をつけたケイは書類を机に戻すと果物を頬張りだした。
「ケイ、お前も今回のボーディガン卿の滞在……不自然に思っているのだろう?」
マーリン達には言わなかったが、エリス山に籠っていたボーディガンがなぜ今さら王宮に出てきたのか、アーサーには引っ掛かっていた。果物を頬張って、飲み込み終わったケイが「あー」と気のない返事をした。
「ま、だな」
やはりケイも同じ事を疑問に感じていたらしい。
「このタイミングは、無いわな」
現在、王都では傭兵の盗難、暴力事件が相次いでいる。元を正せばその元凶はボーディガンの施策にある。それを非難されるかもしれないタイミングでウーサーの元を訪れて来たのは不自然だった。
「……何か、企みがあるのか……」
だが、それはウーサーも同じだ。ボーディガンの面倒をアーサーに一任したのには理由がある。
これは父上からの密命だ。
ボーディガンの根城エリス山には、カリバーンが眠っている。
その王の剣を手にする事ができれば、ウーサーの権威はより確固たるものとなるだろう。そのためにはボーディガンと交渉しなければならない。ボーディガンの思惑は置いといて、これはウーサーにとって権威を立て直す千載一遇のチャンスだ。アーサーにボーディガンの面倒を見させている真意はそこだ。
つまりは交渉の糸口を探れという事だな……。
これは、つい先日バリンの事件でウーサーの期待を裏切ったアーサーに対する汚名をすすぐ機会を与える意味もあるのかもしれない。失敗するわけにはいかなかった。
ふとケイがこちらを見ている気配に顔を上げると、案の定いつものへらへらとした笑顔が覗き込んできている。
「……なんだ?」
「いやー、なんでもー」
「……そういう割にはなんだか、嬉しそうだな」
いつも笑顔を絶やさない男ではあるが、本気で喜んでいる様子が不思議でアーサーは書類から一度手を放した。
「うーん、いい感じになってきたなーと」
ケイの言いたい事が何を指しているのかわかってしまい、居心地が悪くなる。小さい頃から自分を見てきた兄に等しい存在に何を言っても無駄だと頭では理解しているものの、反論せずにはいられなかった。
「何がだ、別に。俺は何も変わっていない」
「なんだ。自覚あるんだな」
照れ隠しで声が硬くなった事まで見通されて、アーサーは頭にカッと血が上った。見透かされている。
「何がいい感じだ。あいつら、本当に使えない。マーリンはいちいち俺に突っかかってくるし、サワの事になるとなりふり構わない。その上あれで自分の気持ちを無自覚だぞ。見ているこっちがもやもやする。それにサワ。なんだあいつは、本当に女か。恥じらいとかそういう感覚が欠陥しているだろう!美人でもないし!」
「確かにサワーは男が見て『かわいい』ってなるタイプじゃないね」
どうやらアーサーだけでなく、ケイの前でもあの調子らしい。何か思い出したのかケイは口を押えて忍び笑っている。
いや、俺に対してああという事はケイに対してはもっと不躾かもな。
サワが公私を使い分けているのはこの数日仕えられただけでもよくわかる。あいつはよく頭のまわる女だ。必要な時にはしゃしゃり出るが、必要でない時には一切我を出さない。
一方のマーリンは愚直としか言いようがない。元々の口下手のせいもあるが、公私の使い分けというものが一切存在しない。よく言えば表裏のない、悪くいえば失礼な男だ。そのくせ、農村出身とは思えないほど、アーサーの要求にはなんなく答えてくる。
「……ったく、一般農民を俺の従者にするなんて、前代未聞にも程がある……」
本来ならあり得ない処置だ。それをどういう手を使ったのかケイはあっさりやってのけた。ちょうど前の召使に暇を出し、手が足りなかった事は否定しないが。
「いいよなー。あの二人、見てて飽きないし」
「お前の楽しみのために従者を雇っているんじゃないんだぞ……」
「まんざらでもないんだろ?今回の事、マーリン達には言ったのか?」
「……言っていない」
アーサーの返事に意外そうにケイは片眉を挙げた。どうやらてっきりもう話したものだと思っていたらしい。
「言うわけないだろう。あいつらは……従者だ」
従者の務めはただ主人の影となり、空気のように仕事をこなす事。主人の意のままに動き、そこに召使の意志は存在しない。それが普通だ。主人も従者にそれ以上の物は求めていない。
従者は同じ人ではない。そう王宮に来て教え込まれた。本来なら軽く雑談をする事すら許されない。お互いに差し出しあうべきなのは給料と労働力であって、そこに信頼関係など存在しない。
ここ最近、事件が立て続いたことで意識が薄れていたが、主従関係とはそうあるべきだと父上に教えられている。
でも、本当にそうなのか……。
あいつらの意見には一考の価値がある時だってある。だから、俺はマーリン達に何かあれば言うように言った。
だけど、アーサーがマーリン達に何もかも打ち明けられるかと言えば、答えはNOだ。
正直に言えば……あいつらの事は嫌いじゃない。嫌いではないけれど、マーリン達は騎士ではない。アーサーに命をかけて忠誠を誓う義理はない。だからこそ、今回の事は言えなかった。
従者に貴族間の緊張を含んだ問題を漏らすなど、王族のするべき事ではない。
万が一、マーリンかサワがアーサーを裏切り、それを外に漏らせばアーサーの立場は今以上に悪くなる。あの二人がそんな事をするとは考えたくないが、アーサーの事を守る義理もあの二人にはない。
マーリンに素直に自分の考えを話しそうになったなんて……ケイには口が裂けても言えなかった。
あれは単なる気の迷いだ。そもそもあの二人が裏切るわけがないと、考えてる時点で俺らしくもない……。
「所詮、あいつらは従者なんだ」
自戒の念をこめてそう言ったアーサーを見ていたケイは苦笑すると、部屋から何も言わずに出て行ってしまった。
なんだよ、俺は間違っていない。
それなのに、どうしてそんながっかりした顔をするんだ。
俺だってあの二人が裏切るとは思いたくない。そう思う自分が不思議で、そんな事では駄目だと言い聞かせて、でも本当にそれでいいのかと。
ずっとその事だけが頭の中を繰り返している。