白銀の聖騎士 ~騎士と王女と悪魔と黄金~
これは英雄に為り損なった騎士の話。
主役に為れなかった王女の話。
――――
彼は強かった。
幼き頃より剣の腕を磨き、彼の師である人物からは神童と呼ばれた。
彼は賢かった。
一を聞けば十を知り、十を知れば百の解決法を頭に浮かべた。
そして……彼は、誠実であった。
彼が神童として名を知られる以前、幼き頃に【守る】と誓った主に彼は従い続けていた。
それは、彼の国の王女様。
継承権を持たぬ末姫でありながら、何かの才能を持っているわけではない。美しさでは姉に劣り、賢さでは兄に劣っていた。しかし誰より優しい王女様。誰にでも愛される王女様。
そんな彼女は騎士の誇りであり……何時か添い遂げたいと考える、愛しい女性でした。
少年から青年へと成長した彼は国で……いえ。その時代、世界で最も強い騎士へと成長していました。
青年へと成長したことで正式に王女様の【騎士】となった彼は、王女様が選んでくれた白銀に輝く長剣を携えた【王女の守り】や【白銀の騎士】と呼ばれる存在になっていました。
彼が振るう刃は一合を合わせる事すら難しい神速を体現し、一言で紡がれる魔術は優れた術者が三言で紡ぐ魔術と同じだけの威力を誇っていました。魔道にも精通し、様々な魔具を作り出し生活から人々を支えました。
常人では抗う事さえ難しい【魔】に属するモノたちを一刀の下に切り捨て、焼き払い、時には従えあらゆる戦いの先頭に立つその姿は、人々の思いが英雄が具現化したと思えるほどでした。
女たちの視線を集め、男たちの間では尊敬のまなざしが、子どもたちの間では憧れが、老人たちの間では未来への希望だと嬉しそうな声と共に語られました。
しかしある時……彼の人生の歯車が狂います。
世界全体から見れば小さく、しかし彼にとっては何よりも大きく。病と言う名の小さな闇が、彼が仕え、愛して止まない王女様を静かに蝕みました。
――
闇が深まり誰にも手の施しようがなくなった時、彼は生まれて初めて過ちを犯します。
王女様を救うため。彼は彼の国が封じ、彼の家が守り続けていた古い悪魔の封印を解いてしまいました。
そして彼は知ります。
彼が住む国の森で「永遠の命を約束する黄金の果実」を手に入れる事が出来るのだと。
――
森に入った聖騎士は必死の覚悟とその実力で持って「永遠の命を約束する黄金の果実」を……森の【魔】の力を吸って黄金へと変化した己の心臓を持ち帰ると決意します。
もちろん、それは簡単な事ではありません。
騎士は悪魔から聞いた虫食いの知識を己の経験で埋めました。危険な【魔】や植物を避けながら森を進み、しかし必要と判断すればあえてそちらに向かい切り捨てました。
当然そこには彼が紡いだ語られぬ物語がありますが……しかし、それはまた別の話。
ここで大事なのは彼が「永遠の命を約束する黄金の果実」を持ち帰ることが出来たという、その一点に尽きるでしょう。
そして幾多の困難の果て、森から戻った彼は、彼が愛する王女様にこう告げました。
――あなたの病を癒す法を見つけて参りました。
しかしその言葉を聞いた王女様は悲しそうな表情を見せました。
今騎士が天秤に乗せたのは才気溢れる聖騎士の命と凡百に過ぎぬ優しさだけが取り得の王女の命です。
どちらの命の方が人々にとって大切なのかなど、誰に聞くまでもなく王女様は理解していました。故に王女様はその事実を聖騎士に説き、その日の夕暮れに没しました。
しかし、そこで聖騎士は再び過ちを犯します。
何故なら彼に「永遠の命を約束する黄金の果実」の効果を説いた悪魔は、お前の心臓があれば王女を生き返らせる事ができると囁いたからです。
王女の死に耐えられなかった彼は悪魔の誘いに乗ってしまいます。
己の胸を裂き、黄金の血液を滴らせる黄金に輝く己の心臓を抉り出し彼女の心臓に重ねます。
そして己の力と様々な知と技を残した、彼の魂とでも言うべきものを己の剣に封じました。できるのであれば、それらが彼亡き後の彼女の助けとなる事を願いながら。
――しかし【魔】ですら恐れる強靭な意志力を持つ聖騎士ならばともかく、何処までも並である王女にそれは制御できませんでした。
どれほど神聖な言葉で飾ろうと、どれほど輝いた奇跡を起こせるモノだとしても。
騎士が持ち帰ったモノの本質は【魔】。
己を押さえ込んでいた騎士と言う名の鎖を失った猛獣は、ある意味において彼の願い通り王女の体に宿ります。
故に王女様は生き返りました。
植物操る【魔】の王、光を閉ざす深遠の森の主として。
――
王女であった魔王が町を滅ぼす。平等に、容赦なく。
聖騎士が従えた強大な【魔】である八椀の巨人すら一瞬で巨木へ変え、生物を植物へと変化させる変質の呪いを雨のごとく振りまき続ける。
立ち向かう者を木に変え、逃げる者を木に変え、隠れる者を木に変え、木に変えられぬ物は破壊した。
そんな「王女であったモノ」の所業に魂だけとなった「聖騎士」は憤激する。
何故だ何故だ何故なのだ。
何故彼女がこのような目に合わねばならぬ。私の行いは、彼女の意思を奪い彼女の骸を魔王へと変えてしまっただけではないか。
悔やみ、後悔し、彼女を助けたいと切に願う。
ああ、だがしかし彼は動けない。既にその身は失われ、意思を剣へと封じてしまっているが故に、憤るばかりで何も出来ない。
しかし転機は訪れる。
王宮で聖騎士に次いで力のある騎士が、王女の部屋に安置されていた聖騎士の剣を手に取った。
騎士は魔王に敵わぬと悟っていた。故に敵う人物に「なろう」とした。
聖騎士は騎士の想いに感謝と謝罪を述べ……騎士を乗っ取った。
決着はついた。
「彼」が「彼女」の力の源……すなわち、どちらにとっても自らの物であった「黄金の心臓」を抉り出す事で。
【魔】の根源を抉り出した事で正気に戻った王女は笑っていた。
聖騎士の想いを知り、彼の過ちを認めても笑っていた。……心臓を穿たれ、既に言葉を発する事ができない王女には、それぐらいしか出来なかった。
そして間もなく、王女は事切れた。しかし王女の笑顔は最期まで優しかった。
彼女の笑顔を見ているだけで、聖騎士は救われた気分になれた。傷ついた体を横たえ、このまま果てるのが至上の幸福であるようにも感じられる、そんな気分になる事ができた。
……そう、そんな気分になれただけだ。
自らがまいた種を摘み取らず、ここで果てる事は彼自身が許さなかった。
いや。飾る事無く言えば、彼は激怒していた。
誰に対しての怒りかなど、最早考えるのをやめている。
――このようになってしまった原因をすべて排除する。
先ほどそう誓った。
だから彼は、当然のように残った最期の元凶の元へ足を向けた。
しかし、悪魔は騎士の想像を超えて強かった。
無論、先の戦いでの傷が癒えていない事はある。だがそんな事は、悪魔が持つもう一つの強みに比べれば些細な問題であった。
悪魔の本体である蒼い炎を纏った馬は、彼の最も大切な人をその背に乗せていたのだ。
無論、偽者などでは無いと断じる事が出来る。
何故なら、彼女は先ほどまで彼が見ていた顔で笑っていた……逃げてくれと、泣きながら。
鎖に縛られ燃え盛る蒼炎に焼かれ、振るいたくないはずの「魔王」としての力を振るいながら、涙を流しながら笑っていた。
――私はもう手遅れです。だから、せめて貴方だけでも……
そんな彼女を目にした彼は、己の中の何かが焼ききれた事を自覚した。
悪魔は、彼が選択した事で死した存在の魂を取り込んでいたのだ。
「自らが手放した存在を悪魔に捧げる」
これが「永遠の命を約束する黄金の果実」の知識を悪魔に教えてもらう際に行った悪魔との契約だった。
だがこれに彼は条件をつけた。それは「知識を全て得ない代わりに、全ての対価を払わない」と言うものだった。
彼は己が切り捨てた【魔】が悪魔に取り込まれる事を警戒し、このような契約を行ったのだが……その選択は、ここに至って完全に裏目に出ていた。
彼が払う代償はたった一つでよかった。その一つが、絶対に無くしてはいけないものであっただけの話。
――何故この可能性を考慮しなかったのか?
賢い彼が無意識の内に「彼女」を失う未来を考えていなかった事を知る事ができぬまま、その日彼は、初めて敗北を知った。
――
彼は挑みました。
何度も何度も。
挑むたびに敗北し、新たな所有者が彼を手に取るまでは悪魔を滅する策を練りました。
そしてその頃には、彼は持ち主の体を乗っ取ることに何の抵抗も感じなくなっていました。
……何故ならかの剣は人々を守った聖騎士の剣ではなく、持つ者に災いをもたらす魔剣と化していたのですから。そして魔剣に宿るのは当然……人々が恐れる【魔】でした。
反転した英雄は強大な【魔】となりながら、度々歴史の表舞台にその力を見せつけます。
語られるのは彼ではない英雄の物語。
褒め称えられるのは彼ではない英雄。
しかしその力は全て過去の英雄のモノ。
故に結末は変えられない。
真実を知る事無く、そして自覚無きまま力をつけた英雄は、やがて何かを求めるように森の中へと消えていき、英雄と同じように死んでいく。
だからなのか。
出所の知れぬ廃れた英雄譚は、やがて魔王のモノと同一に語られてゆく。
――あの森には悪魔が住んでいる。
――狂った英雄が彷徨い続けている。
――永遠の命を約束する果実を、森の主は独占している。
荒唐無稽な噂を含め、誰もが想像で森を語ります。
何故ならその森からは、誰も生きて帰ってくることが出来ないのですから。
――
ある時、彼は思いつきました。
――結界を使いやつの力を削げばいいのではないか、と。
そう思った彼の行動は速かった。
朽ち果てた最初の自分の肉体とかつての思い出の地である国に生い茂る国民たちを人柱とし、かつて悪魔を封じてあった神殿に石版を再び作り出した。それは、何時か忘れてしまった時代に笑いあった人々を生贄として差し出すような行いであったが、彼の心は動きませんでした。
かつての配下である、巨木となっている巨人の心臓であったモノを抉り出し封印の鍵へと変化させました。死体を暴き切り刻むような邪悪としか言いようのない行いであったが、彼は何とも思いませんでした。
そして最後に、己の心臓を抉り出し最後の封印の鍵としました。
ここに必滅の布陣は完成し、誰に知られること無くひっそりと、この世界から一人の英雄の命が消えました。
――
その戦いは苛烈を極めた。
これまでどれだけ力と肉体を削ってもすぐさま再生する反則染みた無敵具合を誇っていた悪魔が、彼に削られる度に少しずつ石版に封印されていく。
悪魔の力が届かぬ石版の中で巨人に抑えつけられ、人々に恐れられ祈られる事で絵の中で悪魔はどんどんと鎖で縛られていく。そして絵の中の鎖が現実世界の悪魔の動きを鈍らせます。
……驚愕すべきは石版で現実を侵食する騎士の術式か、あるいはこのようになっても騎士と王女を慕う民と巨人か。
そして遂に、彼は悪魔を打倒する。
悪魔は己を打倒した人間の執念に面白ささえ感じながら、己を倒した対価として彼女の魂を彼に返しました。それが信じられないと言わんばかりの表情を見せる彼に、悪魔は愉快そうに最後の会話を投げかけます。
――何を驚く? 契約通り「お前が手放したものを貰う」故に女の代わりに我を貰ったまでの事。最初からそういう契約ではなかったか。
ですが彼は言いました。
まだお前が生きている。町のみんなの……王女の仇を討つのだと、この怨敵を必ず討つと傷ついた体で言い放ちます。
ですが、悪魔は笑います。彼のそれが馬鹿馬鹿しい決意だと言わんばかりに。
――町の皆を生贄にしたから我を倒さなくてはいけない? 無駄な装飾で飾るなよ、兄弟。お前は「町の皆を生贄にしてまで倒さなければいけない邪悪が居る」と信じたいだけだ。町を滅ぼしたのはお前の女で、お前の女を【魔】へと堕としたのは間違いなくお前だ。そもそもの話をすれば元凶など居ないではないか。毒沼と知りながらそこに自ら手を突き入れたくせに、腕が腐り落ちたと毒沼がある事を教えた我に噛み付いている。お前のやっている事はそれに近い。
ありえない、それはお前が仕組んだ事だろう。
そう思い、信じる彼の言葉は止まりません。
ですが、やはり悪魔は笑います。
――まあ確かに、そこは否定はしない。しかしこの現状はお前が選び、お前が選択した結果ではないか。我はただきっかけを与えたに過ぎない。我の事を必要以上に警戒して話を聞かなかった事も含め、結局はお前が選んだ選択だ。
――事実は不変だが、捉え方は幾らでもある。しかし幾人もの英雄の自我と融合……いや、ほぼ一方的に英雄たちの自我を飲み込みながら、「我を殺す」と言う目的を見失わずここまでの【魔】に成長した事は、素直に驚かされたぞ? これがあるから意志の強い人間を見ているのはやめられん。
――まあ我の事はどうでもいいとしても……お前自身、我を殺すために都合の良い怒りだ憎しみだと言う感情以外、殆ど燃え尽きてしまっていると心の何処かで理解しているのではないか?
悪魔の言葉を受けた彼は、その言葉を否定できなかった。
何故なら彼は、既に人ではない自覚があった。悪魔を殺すため悪魔になり、無関係の人間を薪にして燃え上がった怨念の業火そのものだった。敵を燃やし尽くしていないのであれば、彼の炎が収まる事もありえない。今は一時の勝利でその業火が弱まっているだけに過ぎないのだ。
悪魔はそんな彼を満足そうに眺めた後、笑いながら言葉を発し石版の中へと消え去った。
――女と共に消え去る魂の安息を得るのか、女と果てる幸せを振り切り憤怒で身を焼きながら我に挑むのか、再び選択してみるが良い。どうせ我はここから出られんのだ。再び誰かが封印を解いてくれるまで、しばし眠るとしよう。……我を呼び覚ますのがお前である事を楽しみにしていながら、な。
――
彼は悪魔に砕かれた腹から血を流しながらも、かつて最も愛し今でも愛している彼女の亡骸の元まで辿り着き……ようやく彼女の魂を、彼女の肉体に返す事ができた。
これでもう、彼女は自由だ。何者にも縛られず、何処へでも行ける。
――この身はどうしようもない【魔】へと落ちてしまったが、あなたの魂を取り戻せた事だけは誇りに思う。
かつてないほど穏やかな気持ちで、彼はそう言いきることが出来た。
故に彼は、ここで全てを終わらせるつもりだった。
彼の国が滅んだのも、気がついてみればずいぶん昔の話だ。正確な場所を知る者など、最早一人として生きてはいないだろう。
故にここで死ぬ。
次に彼が持ち主を得てしまえば、今の穏やかな彼の心は再び憤怒に吞まれてしまうから。
そして彼は、最後の封印として使用した鍵を握り締め……握り締めた腕を力任せに引き千切り、部屋の隅に向かって投げ捨てた。
致命傷を受け、死が近づいていた肉体に痛みは無い。しかし代わりに達成感があった。
鍵がなければ封印は解けない。だが己は、鍵を捨てる事ができた。まだ己にもあの悪魔の言葉通りにならないよう行動する事が出来るではないか、と。子どものような小さな意地でそう思えた。
ぼやける視界の中、彼は肉体の限界を感じていた。
そして見た。
古ぼけただけであるはず木が彼女となり、何時かと変わらぬ笑顔で微笑みかけてくれるのを。
――あなたが剣としてその生を終えるのであれば、私はあなたの鞘になりましょう。何時か誰かが、あの悪魔を滅してくれるまで。これ以上あなたの心が闇に塗れてしまわぬように、今度は私が、あなたを守りましょう。
彼は何かを言おうとしたが、既に言葉を話すことは出来なかった。
死に掛けているのは男であり、男のために何かを為そうとしているのは女である。
その状況は以前とは真逆だった。
意地か矜持か、それとも戦い続けた者が持つ特有の強さなのか。
彼は肉体の限界を超えて王女に向かい一歩を踏み出す事ができたが、そこが生命力の限界であった。彼であった何者かは力なく、しかし前のめりに倒れこんだ。……木を縛り付けていた鎖の楔の部分に、生の果てに得た証を立てるように、深々と剣を突き立てながら。
地面に伏した彼は完全に事切れていた。
彼が死んだ事で動く者の居なくなった部屋の中、静かに剣を収める鞘の色が変わります。それは美しい白銀と対を成すような、闇のような漆黒。悪魔に長く囚われていた魂の色を象徴するかのような、曇りの無い黒でした。
鞘は装飾がなく、黒くて見栄えの良いものではありませんでした。それこそ何件か店を回れば見つけることが出来そうなほどに、その鞘は凡庸でした。
ですが白銀の刀剣と対になる事が出来る鞘はこの世界にたった一つ、この鞘だけなのでした。
これは騎士と王女の物語。昔々のお話です。
ですが彼らは眠っているだけ。
忘れ去られた森の中、滅んだ都で悪魔と共に眠りについています。
眠りについたのは騎士、王女……そして悪魔。
しかし何かが足りません。
町は何故滅んだのでしょうか? 王女は何故悪魔に囚われる事になったのでしょうか? そして最強とさえ謳われた聖騎士は、何故死んでしまったのでしょうか?
そしてこの物語の終わりには、何か一つが欠けています。
それは黄金。形はどうあれ悪魔が語った伝承通り騎士と王女に「永遠の命を約束した黄金の果実」
かつての物語を乗り越えて、全てをその手に掴むのは、きっと…………