デラシネ
今日も今日とて、道を行く。
特別、目的地はない。
歩きたいときに行きたい方向へ向かうだけ。
そんな私の名は、デラシネ。
「おうい、娘さん、どこへ行くのかね」
後ろから来た荷馬車のおじさん。
ぱかぽこゆったり歩く、ずんぐりむっくりな茶色いお馬に牽かれた、
藁を目一杯乗せた荷馬車の御者台に座って、
藁の帽子を目深に被り、ぷかぷか煙管を燻らせている。
ふさふさの白いお髭に覆われて、顔の半分が見えない。
けれど、合間から見える円らな目が柔らかい。
「こんにちは、おじさん」
にこっと笑って、ご挨拶。
当たり前のように返ってくる笑みに嬉しくなる。
あぁ、なんだか今日はいい日になりそう。
「この先の分かれ道を左に行くのなら、乗って行くかい?」
並走しながらの親切な申し出に、けれど私は首を横に振った。
そちらへ行きたいわけではないの。
「ううん、ありがとう、おじさん。
私は右の道へ行くの」
「そうか、では気を付けてな」
「えぇ、さようなら、お元気で」
ぱかぽこ歩くお馬さんと、ぷかぷか煙管を銜えたおじさんと、そこでお別れ。
きっともう二度と会うことはないでしょう。
振り向かないで、私は左の道へ。
「おや、お嬢さん。どちらへ行かれるのですか?」
穏やかな声が、背後からかかる。
すぐ横に並び立ったのは、立派な白いお馬に跨った、白いマントの騎士様。
「こんにちは、騎士様」
にっこり笑って、ご挨拶。
騎士なのにとても和やかな雰囲気の、綺麗な人。
連れているお馬さんも、凛々しくてとても綺麗。
こんな人たちに会えるなんて、今日はとってもついてるみたい。
「この先の三差路を左に行かれるのでしたら、ご一緒に如何ですか?」
お嬢さんくらいでしたら、乗れますよ。
そう言ってくれた騎士様に同意するかのように、お馬さんが小さく嘶く。
それにまた笑って、けれど私は首を横へ振った。
「ううん、ありがとう、騎士様。
私は真っ直ぐ行きたいの」
お馬さんも、ありがとう。
「そうですか、それは残念」
「さようなら、お二方、お元気で」
「えぇ、お嬢さんもお元気で」
綺麗な騎士様と、綺麗なお馬さんと、そこでお別れ。
きっともう二度と会うことはないでしょう。
振り向かないで、私は真っ直ぐの道へ。
二股の道は左を選び、三差路を真っ直ぐ進み、また二股の道に出た。
さぁて、今度はどちらへ行こう?
「やぁお嬢ちゃん、どっちへ行きたいんだ?俺が連れて行ってやるよ」
後ろから声を掛けられて、くるりと振り向いたけれど、見えるのは真黒なお腹から下だけ。
顔は?と見上げれば、首が痛くなるほど上に、それがあった。
太陽を背に、にやにやとだらしなく口元を緩めたその人は、酷く楽しげにこちらを見下ろしていた。
口から覗く鋭い八重歯が、きらりと光る。
「こんにちは。あなたはどちらへ行くの?」
「俺は決まってないんだ」
「そう、私は右へ行くわ」
「そうか、なら行こう」
「きゃっ」
返答した直後に抱きあげられて、視界は遥か高見へ。
不意の動作に思わず悲鳴を上げると、目の前の人は喉の奥でくぐもった笑いを零した。
ぼさぼさの黒い髪を伸ばし放題にして、合間から覗く目の意外な鋭さに息を飲む。
筋肉に覆われた硬そうな身体で私を軽々と抱き上げた。
なんだかまるで、野生の獣のような人ね。
金の瞳が、それに拍車をかけている気がする。
両手を首に回して支えを得ると、唇と尖らせて不満をぶつけた。
「私、1人で歩けるわ」
「俺とお嬢ちゃんじゃ、歩幅が違う」
「なら、あなたは先に行ったらどう?」
「お嬢ちゃんと一緒がいいんだ」
「私は私の道を行くの、あなたもそうしたら?」
「これが俺の行きたい道なんだ」
なんとも強引なやり方に、遂に閉口してしまう。
一体なんのつもりなの、この人。
あぁ、今日はなんて日かしら。
問答無用と、2人で今度は右の道へ。
本当は、1人のはずだったのに。
また、二股の分かれ道に行きついた。
「あなたはどちらへ?」
「お嬢ちゃんは、どっちへ行くんだ?」
「・・・私は左よ」
「なら、そうしよう」
「そう。では私は右へ行くわ」
分かれ道を前に、ぴたりと男の身体が止まる。
ちらっとその顔を覗き込めば、にやにや笑った顔で、こちらを見ていた。
それに憤慨して、頬を膨らませても、尚笑いを深めるだけ。
なんて嫌な人なの。
「降ろしてちょうだい。あなたは左へ行くと良いわ。私は右へ行くの」
「・・いや、降ろさない。俺も右へ行く」
少しの沈黙の後、男が返した言葉に、また私は腹を立てた。
もう、どういうつもり?
「あなたが右へ行くなら左へ行くし、左へ行くなら右へ行くわ!
もう、いい加減降ろして!私は私の道へ行きたいの」
顔が真っ赤になっている自覚はあった。
けれど、男のにやにや顔が一向に崩れなくて、触れられている身体がむずむずして。
初めて覚えた感情に、どうしていいかわからなくなった。
「俺はお嬢ちゃんが行く方へ行く。絶対だ」
なのに、確信を持ってそう言われると、もうどうにも出来なくて、黙ってしまう。
どうしてこうなるの?
私はデラシネ。
デラシネなのよ。
この人とは行かないの。
だって、そうじゃなかったら、
「お嬢ちゃんのことは知ってる。
根無し草のデラシネ。そうだろう?
祖国を喪った、亡国の王女様。
世界最古だった王朝の、最後の生き残りだ」
私は、身体の真ん中に氷が通ったような気がして、かちりと固まった。
「永世中立国だった王国が、内部瓦解して2年か。
ずっと1人で生きてきたのか?」
男の言葉に、忘れられない思い出が甦る。
ずっと忘れたくて、でも忘れたくなくて、きっとこれから一生忘れないあの惨劇の夜。
王国を治めていたおじい様も、お父様もお母様も、小さな弟妹達も。
大事だったものすべて、あの夜に喪った。
崩壊した国は瞬く間に周辺諸国に吸収されて、今は崩れた城の名残があるだけと聞く。
それから、ずっとあちらこちらを彷徨いながら、生きてきた。
良い国もあった。
悪い国もあった。
そのどちらもある国も、どちらもない国もあった。
けれど結局、私が居つくことはなかった。
だってそのどれもが、私の国ではないのだもの。
「何処に行っても、私が根を張ることはないわ。
私の地面は、もう2年前に崩れてなくなったもの」
小さな声でぽつりと呟いた。
力ないその声に、男はふっと目元を和らげた気がして、何故だか見ていられなくなった。
むずがゆいのよ!
「地面は何処にでもあるんだぜ。
俺がお嬢ちゃんの地面になることだって出来る」
「・・どういうつもり?」
男の言っている意味がわからなくて、眉間に皺が寄った。
「あなたは誰なの?」
「俺か?俺はただの傭兵さ」
にんまり嬉しげな笑み。
獣のようなと思ったのは、きっと間違いじゃない。
だって、ほら。
「俺を地面にして、根を張れ・・・デラシネイア」
――――――――もう、逃げられない。
それからの私も、今までと変わらない。
今日も今日とて道を往く。
けれど今度は、側にいつも、男が1人。
男が居る所が、私の国。
私はデラシネ。
根無し草。
けれど、今は、私の根っこを掴んで放さない、この手があるから。
もう、迷わない。
イメージはゴスロリの女の子が日傘差して農道を歩く姿。
正しくは、a déraciné (男); a déracinée (女)