ある日のお話
硝煙と、血肉の臭いが鼻を突き、砂塵が舞い上がる。
己1人が立ち尽くす崖の下では、先刻から激しい戦が展開されていた。
大砲から黒い鋼が飛び出し、人も大地も尽く破壊している。
投擲機は、一抱えはある岩石を雨あられと戦場に降らせ、地に落ちる度に何かを吹き飛ばしていた。
怒号や悲鳴が、絶え間なく耳を苛む。
動かなくなった者の体を乗り越え、尚もぶつかりあう人間たち。
そこにあるのは、ただ目の前の者を殺すことしか頭にない、理性をなくした怪物の姿。
「・・馬鹿ね」
ぽつり、呟く。
誰も聞く者の居ないその言葉は、風に浚われて空気に溶けていった。
紗由良はフード付きマントで全身を覆い隠し、ただただ、眼前の争いを見つめている。
此度の戦を見聞きし、記憶し、かつ上役に報告をすることが今回紗由良が任された仕事だった。
世界の行方を知りつつも、その過程を記録するのもまた一興、とのことらしい。
この世界に一つしかない大陸を二分する大きな国同士の争いは、既に開戦から数百年の歴史を持つ。
事の起こりは永きに渡る歴史の中に埋もれてしまい、今では途絶えぬ憎しみの連鎖によって、この戦の終わりを見えなくさせていた。
きっと、どちらかが滅ぶまで、もはや誰にも止められない。
奪い奪われ、憎みあい、呪いあっては、救いの道すら掻き消されてしまう。
そう、この世界の終末は、既に運命として決められているのだ。
紗由良は能面のように無表情なまま、ただそれが終わるのを待っていた。
がさっ
「っ!!お前っアルベンジアの者か!」
「・・・」
唐突に、背後の茂みから踊り出る影達があった。
血や何かでどろどろに汚れた鎧姿で、ぱっと見て、眼下で争いを繰り返す二国の内の一国であるロストレイスの紋をつけていることを知る。
どうやら背後から敵陣を撹乱するつもりだったらしく、それは十数人の小隊であるようだった。
突然現れた者達は、そこに立っていた紗由良に目をむくと、問いかけながらも剣を向けてくる。
ちらりとそちらに目をやりながらも、結局は無言を貫いた紗由良に、相手はますますいきり立った。
少なくとも味方ではない怪しい風体の者と見て、次の瞬間にはその手の血に塗れた得物を振りかざし、突撃してきた。
「・・・やめなさい、無駄よ」
「っ何を!?」
すい、と半身を傾けるだけでその特攻を避けたのを見て、襲ってきた相手の目が驚愕に見開かれた。
ついでに事実を告げてみれば、余計に向こうの怒りを煽ったようだった。
隊長らしき男に目を向けながら、冷静に相手を観察する。
皆一様に顔が強張っていたが、眼は爛々と輝いていた。
良くない兆候だ、と思った。
「お前たちに私は殺せない。やめておきなさい」
「っ女、貴様何者だ!!」
「私に手を出せば、お前たちを殺さねばならなくなる。忘れてしまいなさい。
そうすれば、少なくともまだ生きていられる」
「アルベンジアの手の者か!ここで何をしていた!?答えろ!!」
互いに一方通行であることは自覚している。
しかし紗由良に真実を明かすつもりもなければ、彼らも引くつもりがないのは明白だった。
つまりは、結局避けられぬことだったのだ。
「いや、何だろうと良い、殺せ!」
隊長格の男が、紗由良に向って剣を振りかざしながら叫ぶ。
じわり、闇が滲み出るように、榛色の瞳が黒に染まる。
「あぁ全く・・やってらんない」
低く呟かれた声は、決して彼らに届くことはなかった。
「阿呆ね」
ぽつり、小さな声で呟くも、瞬く間に喧噪に打ち消された。
顔を伏せて立ち尽くす紗由良の周りには、屍が累々転がっている。
既に彼らに息はなく、せめてもの救いは痛みを知覚することなく死んだことだろうか。
「馬鹿ばっかりだわ、人間なんて」
フードの隙間から垣間見える瞳は、澄んだような闇色。
このようなことは、何度となく繰り返してきたことではある。
旅する中で、争いがなかったことなどないと言ってもいい。
初めの頃に感じていた恐怖は、いつの間にかわからなくなった。
向かってくる者の命を奪うことに頓着しなくなったのは、いつの頃からだったろう。
随分長いこと、それは当然のものと思ってきた。
しかし、最近は何故か心が重苦しくなる。
何処かで争いが起きたとか、何かが死んだとか、憎しみや恨みの思念に触れると、火傷を負ったようにじりりと痛みだす。
その理由に心当たりはあるものの、紗由良はあえてそれから眼を逸らすことを選んだ。
「・・・さて、」
これも詮無いことだ、と独りごちる。
他の世界に手を出すことは禁忌にあたる。
それを知りながら、紗由良は心持ち顎を引いて、眼前を見据えた。
その眼に浮かぶのは、諦観と、覚悟と、それから冷酷無慈悲な人為らぬモノとしての光。
『穿て』
声による神霊の使役。
特別大きいわけではない紗由良の声が、空に反響するように辺りへ拡がる。
この世界には魔法の概念はないが、確かに宿るモノたちが在ることを知っていた。
あえて命令する対象を定めなかったのは、どちらにも味方するつもりがないからだ。
どちらか一方の肩を持つことは、もう片方の命を紗由良が奪ってしまうことに他ならない。
それをして良い権利など、昔も今もそしてこれからも、紗由良にはない。
戦開始時より天を覆っていた暗雲から、突如として稲光が雨のように地に降り落ちた。
それは敵味方関係なく、そして容赦なく命を奪う神の鉄槌。
『狂え』
間を置かず、次の言霊を音に乗せる。
冷たい風が瞬く間に荒れ狂い、戦場のど真ん中に巨大な竜巻が発生した。
それは動かぬはずの大砲や投擲機を巻き込んで、甚大な被害を及ぼす。
『啼け』
暗雲から、大粒の雨が吐き出された。
視界が遮られる程の雨脚の強さに、眼下の人間たちが圧されてよろめく姿が目に入る。
瞬く間に大地がぬかるんで、足を取られる者達が続出した。
『喰らえ』
ごごご、と地鳴りが起きたと思った次の瞬間に、がばりと地が割れ、人々を飲み込む。
逃げる暇は与えられなかった。
『吾 鬨を告げるモノ』
紗由良の頭を覆うフードが、風に煽られて外れた。
こぼれた銅色の髪は、内から朱く発光し、瞳は今や金の色を宿している。
『汝らを解放するモノ』
雷と風と水と地。
神なるモノ達を起こした紗由良は、両の腕を肩からまっすぐ前に差し延べ、謡うように言霊を紡ぐ。
『世界を統べ 世界を喰らうモノ達よ』
我知らず、にぃ、と口の端が上がる。
紗由良自身、酷く残酷な気持ちになっていると、自覚はしていた。
それでも尚艶やかに、壮絶な笑みを浮かべて。
無慈悲なまでに涼やかな声で、世界の終わりを乞うた。
『同胞よ 今こそ汝らが枷を解こう』
『さぁ 宴の刻ぞ』
「・・・それで、結局紗由良様は何をなさったんですか?」
かちゃり、紗由良がティーカップをソーサーに置くのを眺めながら、キースが問い掛ける。
「ん?うん、滅ぼしちゃいました☆」
がちゃっ
ぼたぼたぼた…
途中から茫然自失という表情で話を聞いていたルークが、目を限界まで見開いている。
その手につい10秒前まで握られていたカップは、テーブルの上でひっくり返り、中身を床に滴らせていた。
「やだ、ルーク、だめじゃない」
慌ててフキンを差し出すも反応がない為、仕方なく汚れた辺りを拭きはじめた紗由良をキースが制止して、そつなく片付け事なきを得た。
「まったく、気をつけなさい」
ね?とルークの目を覗き込み嗜める紗由良に、当人は放心状態のままゆるゆると視線を移すと、緩慢に頷いた。
「・・・ルーク、あまり気にしてはなりませんよ」
あまりにも心ここに在らずな様子に、キースがちらりと目線を投げたあと静かに助言した。
そう、気にしたら負けなのだ。
紗由良は存在そのものが規格外なので、実はもっと凄いことをしていたりする。
長い付き合いでそれを心得ているキースは、既にこれしきでは驚かなくなっている。
初めて紗由良の仕事の話を聞いたルークとでは、年期が違うのだ。
「なぁにその言い方、なんか失礼しちゃう」
僅かに眉ねを寄せた紗由良は、けれどもすぐに真顔に戻って、ルークに目を向ける。
「直接的な要因ではないけれど、私のそれがキッカケとなったのは否定しないわ。
でも、いずれ滅ぶ予定だった世界だもの、先か後かなんてもう関係ないわよねぇ」
まぁ、怒られちゃったから多分もうやらないけどー。
んふふと含み笑う紗由良を前に、ルークはそれからしばらく己の主と目を合わせられなかったという。