自己憐憫
「最初からこんな化け物になりたがる人間なんて、いないでしょ」
そういって、目の前の小さな女の子は、その容姿に似合わない笑みを浮かべた。
まるで自嘲するかのようなそれに、声が出ない。
幼女といっても過言ではない彼女は、けれども自分と同じように、その精神年齢は違う。
否、同じように、じゃない。
彼女はもうずっと昔から生き続けてきた。
彼女曰く、化け物として。
「ずっとずっと、人間に戻りたかった。
人の傍で同じものとして生きていきたかった。
それが叶わないなら、せめて殺してほしかった」
でもね、だめなんだって。
そういった彼女は、ただただ、静かな表情を浮かべていた。
悲しみも、悔しさも、虚しさや苦しさもない。
何もないそれは、彼女の過ごしてきた時間だけ、感情を殺してきた証のように思った。
「あたしが生きているだけで、壊れてしまう世界がある。
かと思えば、死んでしまったその瞬間に、運命を共にする世界もある。
生きていても死んでしまっても、どちらかが壊れるのだって。
初めてそれを知ったときは、本当に思考が停止した」
本当の意味で、脳が考えることをやめるって、初めて知ったよ。
ふふふと笑った彼女は、なぜだろう、泣きそうに見えた。
傍から見れば何てことない微笑みなのに、どうしてか、それを見ているだけでこちらまで切り裂かれたような胸の痛みを感じるのだ。
それが同情なのか哀れみなのかすら、私にはわからない。
そして彼女もそれを知りたいとは思わないだろう。
「どちらを選ぶことも出来なかったあたしが選んだのは、逃げることだった。
次元の違うところへあたしが言ってしまえば、その二つの世界はあたしの影響を受けない。
状態を維持したまま、進んでいくことが出来る。
だからあたしは、もう二度と戻れないことを知っていても、そこから離れるしかなかった」
夜空を仰ぎ見る彼女の瞳は、きっとあの空にかかる月ではなくて、違うものを映している。
それが、壊れるはずだった世界なのか生き延びるはずだった世界なのかはわからない。
けれども、何も映していないようなその瞳に、何かを恋い慕うような渇望が浮かんでいるような気がしてならなかった。
「世界を越えて、いくつもの次元を渡りながら、あたしはあちこちを転々とした。
その途中でここの神様と遇ったんだ。
それで、ほんの少しの期間でもいいならってことで、ここに落とされた」
「つまり、期間限定トリップなの?」
思わぬ言葉に、初めて彼女の語りに口を出す。
世界を超えるとか次元を渡るとか、まさしくこちらにとっては世界の違う話だ。
彼女にはきっと自由自在に好きなところへ行ける力があるのだろう。
まさしくそれは、トリップものに付き物である、チートとほとんど変わらない力。
私が憧れて止まなかったものだ。
そんな力を持つ彼女でも、どうにも出来ないことはあると知った。
そして、彼女が一切それを嬉しいとは思っていないということも。
「そうだよ、時間切れになったら、あたしは行かなきゃいけない。
行きたくないから延ばし延ばしにしてたけど、たぶんもう限界なんだよね。
タイムリミットはもう近くまできてる。
そうしたら、あたしはまた壊しに行かなきゃなんない」
先ほどから、彼女はずっと微笑を維持したまま、話を続けている。
日本人特有の薄い顔立ちであっても、整っているし、くりっとした目が愛嬌があって可愛らしい。
そんな幼い彼女が浮かべる微笑は、どうしてか、心をざわめかせるような、そんな恐ろしさがあった。
どうしたら、ただ普通に生きてきただけの人間が、こんな顔をするようになるの。
何をしたらこんな笑みが身につくの。
これはただの人形の笑みだ。
人の表情に思えない。
「だからね、いいの。
もういいんだよ、放っておいても。
もうお迎えがくることになってるから、だからいいの」
何がもういいのかわからない。
けれども、彼女はただひたすら、その言葉だけを繰り返した。
その理由を、わかりたくなくて。
「だからね、あなたが泣く必要なんてないの。
これは初めっから決まってたことなんだよ」
困ったように、柔らかく笑む彼女の姿が、ぼやけて見えなくなる。
あぁ、今私は彼女を困らせている。
その事実を認識してはいても、涙は止まってはくれなかった。
どうしたらいいの、彼女のために、私はいったい何が出来る?
「あたしがあたしでしかないように、あなたもあなたの運命を辿るしかない。
ここでね、見て見ぬふりをしろだなんていうほうが酷なのかもしれないね。
けれどどうしようもないの」
そこまで言ったあと、彼女はふわりと、綺麗に微笑んだ。
それはまるで、可憐な花が綻ぶように。
「あたしは今結構人間不信だけど、それでも大事な人は居るのよ。
彼らが居てくれるから、あたしはまだあたしで居られる。
あたしをあたしとして見てくれる誰かが居る限り、本当の化け物にはならない」
あたしはヒトが嫌いだけれど、それ以上にヒトが愛おしいよ。
それは、心からの言葉だと思えた。
慈愛に溢れた彼女のその姿は、まるで女神のようだと錯覚までして。
小さな彼女の体が、だんだんとぼやけていく。
それは涙のせいではなく、彼女の時間がなくなっていくことを表していた。
彼女もまた己の変化に気づいたのか、くすりと小さく笑みを零す。
「本当に、時間切れね。
もう行かなくちゃ」
そう言った彼女は、一度ちらりとこちらを見遣ると、またにこりと微笑んだ。
その笑みを見てまた胸が締め付けられたような痛みを感じたけれど、私はそれを見て見ぬふりをする。
今ここでそれに頓着している余裕はないのだ。
だって、彼女が行ってしまう。
「さよなら、竜の娘さん。
今世では・・今度こそ、幸せになってね」
「ま、待って!あなたはっ・・」
「ごめんね、あなたの質問に答えてあげたいのだけど、本当に時間がないの。
離れてちょうだい、危ないよ」
差し伸べた手が、取られることはなかった。
小さな少女が振り返る。
彼女は、私の目の前で突如生まれた闇に吸い込まれるようにして、掻き消えてしまった。
さよなら、かわいいこ。
そんな小さな言葉だけを残して。