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ネタ箱  作者: 千鵺
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悪魔の子

それの明確な時期を問われても、わかりません。

しかし、気付いたときには、あたしの望みはたったひとつだけでした。

食欲も睡眠欲も性欲も物欲も、それに勝るものは何一つとしてないことに、ある時のあたしは気付いてしまったのです。

そして同時に、その望みを口にすることは勿論、実行することは倫理上宜しくないことであると理解し、以来ずっと自分の胸の中だけに留めておりました。

その頃のあたしは、流されるままとは言え、無意識にでも人として生きる道を選んでいたようなのです。


――――――――いつの頃からか、あたしの中にはもう1人別のあたしが居ることに気付いていました。

それがいつだったのか、もうそんなの思い出せないし、実際興味もないのですが。

けど、それに気づけたことで、今までのあたしが死んで、また新たなあたしが生まれたのです。


それがあたしの世界の夜明けであり、他の世界の終焉の始まりでした。






あたしは世間一般で言う、『普通』の家庭に育った平凡な人間でした。

親や先生達に必要以上に反抗することも無く、非行に走ることも無く。

反抗期ですら、両親に「あったっけ?」などと言われる程、大人しく穏やかに生きてきました。

その内心がどうであれ、確かにあたしは優等生と言われても良い子どもで、普通の学生でした。

成績や運動神経は残念ながら突出することはありませんでしたが、中の下といったところ。

格別目立つところのない、言うなれば教室の隅で本を読んでいるようなイメージでしょうか。

責任感等と言ったばかみたいなものなどなかったけれど、先生の言葉にはなんとなく従いました。

誰もならないのであればと気まぐれに学級委員などを引き受けたのは、本当に気分だったのですが。

別に面倒に思うでもなく、暇つぶしがてら黙々と仕事をこなしてきたように思います。

そんなあたしの代名詞は、『大人しい女の子』『優等生』『委員長』などなど。


つまり、こんなことをしそうには全くもって見えないってことが、きっと誰の目にも明らかだったのではないでしょうか。


「お、おま、え」


「死んでくださいな」


眼下で蹲る塊に向かって、意図的ににこりと微笑んで見せました。

相手の青白い顔が、絶望に染まる様が見られて、ひとり悦に入ります。

あぁ、やっぱり気持ち良い。ぞくぞくしちゃう。

けれども、あたしは一度笑いはしたけれど、すぐにそれにも飽きてしまって、眼下の塊を無造作に踏みつぶしました。

ぐちゃりと肉や血が飛び散って足元が汚れてしまいます。

それにもまたにんまりと微笑んで、それからまた次の獲物を探す為、辺りをぐるりと見回しました。

しかし見えるのは地に広がる赤いシミ。シミ、シミ、シミ。

大地を朱に染める絵の具のようなそれを見て、一瞬恍惚とした気分に浸りました。

それからどうやらさっきのが最後だったらしいことにようやく気付き、動きを止めます。


「あれ・・もう終わりでしたか。残念」


そんなことを言ったけれど、実際には欠片も残念なんて思っちゃいません。

んふふふと含み笑いをしながら、次は何をしようかと考えました。


「世界の終わりまで、まだまだかかりますから」


ざわざわと揺れていた木の葉が、黒に染まった空に舞っていました。

夜明けは、もう二度と来ることはありません。


「ねぇ、次は誰が遊んでくれますか?」


くすくすと笑う声だけが、静かな空に響いて行ったのを、あたしだけが聞いておりました。







あたしはずっとずっと良い子で生きてきたけれど、それが本当のあたしでないことにはいつの時からか気付いていました。

いえ、本当に自分がどっちだったかなんてことは、瑣末な問題ですから、気にしなかっただけです。

しかしふとした瞬間、表面上はなんてことない顔をしていながらも、脳内ではスプラッタの嵐。

近しい人が次の瞬間には殺される、なんて妄想を幾度したかわかりません。

別に怒りや恨みを感じていたわけではないのに、次の瞬間には誰かが死んでしまうことを妄想する日々。

あたしの中には、人として出てきてはいけない一面があることを、あたしだけが知っていました。

けれど、まぁだからといってそれでどうなるわけでもありません。

何故そんなことを考えるのだろうと思ったこともあるのですが、結局考えてもわかりません。

そして実際にあたしの中の残虐性が表に出てくることはありませんでしたから、周りの人には平凡で良い子なあたしが、正解だったはずです。

そもそも、平凡で大人しいあたしがあたしでなかったからとして、それが何だと言うのでしょう。

ただ生きていくだけなら、本当のあたしがどうであろうと関係なかったのです。

だって、あたしは『優等生』を演じることには慣れ切っていたのですから。



そんな平穏でありながら生温い日々が続いていた、ある晴れた日曜日のこと。


「ね、あんた、本当はもっと違う人間なんだろ?」


ぶらぶらと散歩に出た先で、そんなことを問いかけてくるひとに出会いました。

ひと、というのは語弊があるかもしれません。

見た目は黒髪で前髪を長めに伸ばした、細い男の子でした。

言うなればビジュアル系というタイプに近いかもしれません。

しかし何故だか、その耳が異様に尖っていたので、なんだか違和感を覚えたのです。

勿論初めて見る顔でしたから、そんな馬鹿みたいな質問をされたところで、こちらに答える気はありませんでした。

歩みを止めないままちらっとそちらを眺めましたが、すぐに興味を喪ったせいもあるかもしれません。

気のない溜息をひとつ吐くと、あたしはまた暇を潰すべく散歩に勤しみました。

その時には、あたしみたいに頭が緩い人がいるんだ、くらいにしか思ってなかったのです。


「ちょっとちょっとー、無視?待ってよ、ねぇ」


しかしその変質者は、しつこく追いすがりました。

あたし程度にナンパしてくるようじゃ、程度が低すぎますよ。

声に出さず呟いて、脳内からその存在を追いだします。

興味を持つまでには至らなかったせいでした。


「ね、待ってって。・・・・・待てよ、ねぇ」


「・・・」


10メートルくらい無視し続けたところで、男の雰囲気が唐突に変わったことに気付いてしまいました。

気付かず行ってしまえばよかったのかもしれませんが、何分あたしはその時、相当暇だったのです。

退屈でたまらなくて、気を紛らわせてくれるならそれで良かったのでした。


「何か?ていうか、あなた誰ですかね」


思ったよりも気のない、どうでも良さげな声が出ました。

というか狙ったわけではないのですが、言葉づかいが普段より雑になったのも致し方ないのかもしれません。

そもそも、本当は、相手の素性なんてかけらも興味がありません。

どうでもよすぎて眠たくなってくるような気すらしていました。

しかし男は、あたしが反応したことに気を良くしたのか、にんまり笑いました。

口の両端が耳に届きそうなその異様な笑みは、まるでチェシャ猫のよう。

見るからに、その男が『普通』でないことを示していました。


「あんたが何なのか、教えてあげる。知りたくない?ほんとの自分」


どこの新興宗教かと疑いかけ、汚物を見るような眼になってしまったことは、否定しません。

本当のあたしが、何だというのでしょうか。

どれが本当でどれが嘘なんて、それこそどうでもいいのです。

だって結局あたしが演じていることに、変わりはないのですから。

胡散臭そうに見つめても、男は楽しげな笑みを崩すことはありませんでした。


「ね、こっち、来て」


それだけならまだしも、唐突に腕を掴んできたのです。

咄嗟のことに反応出来ず、あたしは男に手を引かれるまま、その場をあとにするのでした。



男に連れてこられたのは、近所の小学校。

去年少子化の影響で廃校になったあとは、建物がぽつりと残されたままになっています。

今年中にはそれも撤廃予定だとか。

男はあたしの手を引いたまま、躊躇なくその中へ侵入を果たしました。

普段人通りの多い道なのに、その時は誰も通行人が居なかったことが幸いしたのでしょう。

誰にも見咎められることなくあたしもまた校舎の中に足を踏み入れたのです。

あたしの母校でもあるそこは、歩く度にきしきしと唸ります。

そのうちどちらかが床を踏み抜いても可笑しくはない程、古い建物でした。


「ねぇ、どこへ向かってるんですか」


「ん?もうちっと」


大人しく手を引かれたまましばらく歩きましたが、だんだん飽きてきてしまいました。

こんなのだったら散歩に行っていたほうが遥かにましだったかもしれません。

あたしが目の前の男に問いかけると、何故か男は非常に楽しげな声音で返答をくれました。

・・・何がそんなに楽しいんでしょう?


「この先、体育館ですよね」


「うん、そう」


「そんなところに何の用事があるんですか」


「目的地はもうちょっと先なんだなぁ」


「では、グラウンドですか」


「うーん、外れ」


暇なので男に質問をし続けましたが、のらりくらりとした答えしか返ってきません。

だんだん苛々してきて、あたしは口を閉じることにしました。

普段、感情の起伏は激しくないのに、どうしてこうも腹立たしいのかわかりませんでした。


あたしたちが着いたところは、体育館の、ステージの地下にある通路兼物置部屋でした。

ここには最早使われなくなったもの達がぎゅうぎゅうに押し込まれています。

随分前に廃部になった弓道部の道具や、体操のフープやクッションボール等々。

それを一体いつ使いたかったんだと思われるものもあったりで、在校時はちょっとした宝探し気分が味わえたものでした。

そんなことを考えて、自分も幼い頃はもっと純粋だったのかもしれないと小さく笑いました。

今の自分とはあまりにも遠くて、何故だか自分が滑稽に思えて。

そうしてくすくす1人で笑っている間も、男はこちらの手をひいてずんずん進んでいきます。

部屋の隅、物がひしめき合っている中を無理やり通って行く男は、何故か通れないと思った所すらするすると抜けて行くのでした。

・・まるで、物があたし達を避けて行くかのように。


「ここ」


端的に着いた事を告げた男の指し示すのは、あるはずのない倉い穴でした。

壁にぽっかり開いたブラックホールは、まるでこちらを誘うように、時たまぐるりぐるりとうねります。

一体どういう原理なのかさっぱりわかりませんが、男はこの穴の向こう側へと誘導したいようです。

別に向こうへ行くことは吝かではないのですが、なんとなく、大人しく従うのは癪に障る気がします。

ちら、と男の顔を眺めれば、酷く楽しそうにこちらを見つめていて、余計に苛立ちが増しました。


「・・この先、何があるんですか?」


「秘密。行ってみればわかるよ」


わかってはいましたが、はぐらかされました。

それ以上男が口を開かないだろうことは分かっていましたが、やはり素直には従いたくない気持ちが強く、躊躇するようにその場で固まってしまいました。

しかし、すぐに考えを改めます。

そもそも、何を恐れることがあるでしょう?

あぁ、迷うなんてあたしらしくもない。


―――――――否。あたしらしいなんて、思うことすら、くだらない。


「わかりました。行きましょう」





無意識に浮かべたその笑みが、まるで毒花のような艶やかだったと後に男から言われましたが、そんなことなど、この時のあたしには知る由もありませんでした。

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