ビスクドール
ちゅんちゅん、ちちち
小さくも甲高い音を無意識のうちに認識して、深い眠りの中からひきづり出された。
小鳥のさえずる声で起きるとか、映画じゃあるまいし。
寝ぼけた頭で思ったのは、たぶんそんなこと。
そう思ったあと、我ながら可愛くない子供だと自嘲した。
普通の子なら、そんなことに疑問さえ湧かないだろうに。
未だまとわりつく睡魔によりベッドの中から離れたがらない本心から目を反らし、嫌々、朝の支度をすべく起きあがった。
今日はまだ火曜日。平日である。
当然休日ではないので、学生の身である私は、学校に行かなくてはならない。
現在の時刻は、早朝5時。
支度に20分、朝食に10分、学校までは30分かかるが、それでも始業に至るまでだいぶ余裕がある。
それでは何故こんなに早起きするのかというと、早くに行って図書館で勉強するためである。
典型的教育ママの母親のおかげで、物心ついた頃から、自分を律することを教え込まれてきた。
狙うは有名私立難関女子校と言われる幼稚舎から大学までのエスカレーターの、お嬢様学校だ。
母親の憧れだったというその学校に、本人は欠片も興味はなかったけれど、物心ついた頃から制御されてきたおかげで母に逆らうということなど考えつかなかった。
お利口で、おとなしく、大人のいうことをよく聞き、そして可愛らしく社交的。
それが私に望む、母の理想の娘であり、完璧な女性の姿。
今の私だから思うけど、大人ならまだしもそんな子供は正直気持ち悪いとしか言いようがない。
ぐずりもせず逆らうことも騒ぐこともなく、ただ黙って母親のそばで笑っていて、話しかけられたらつたない敬語で応答をする、そんな子供。
子供らしさの欠片もなかった。
でも当時の私にとっては、それが自分だった。
違和感を感じることも不思議に思うこともなく、ただ言われたことに従うことがすべてだった。
父は家庭に興味の欠片もなく、仕事人間のような人だったから、かつての私を構築するものは、ただ一人母だけ。
母の期待に応えることだけが当時の私の意識のすべて。
おまけに、そうしていれば母は笑って喜んでくれたから、どんどん周りが見えなくなった。
私の異常さに気づいた心ある人に心配されたとしても、むしろ彼らが何を言っているのか理解できなかったほど。
けれど笑えることに、万全を喫して行ったはずの受験会場で、うちの両親は醜態を曝す羽目になり、泣く泣くそこを諦めたのだったか。
キッカケは本当に些細なことだったと思う。
初めは小声で言い争っていた両親が、あっと言う間に罵り合いにまで発展したのを、当時の私は呆気にとられながらみているしかなかった。
そんな姿を晒した両親と私は、当然そこから逃げ出す羽目になったのだが、それだけで済むことでもなかった。
奥様同士のネットワークを甘くみてはいけない。
試験会場で離婚問題に発展するような大喧嘩をした私達は、その地域からも離れざるを得なくなったのだ。
そうして結局本命は受験前に断念したが、他県に引っ越しても母の野望は潰えてなかった。
引っ越し先に行っても、比較的近くの格式ある有名私立を探しだし、そこの受験傾向を調べあげると次の本命に設定し、私の軌道修正に着手した。
父はそこでようやく、母の異常性に気づいたらしい。
元々家庭内不和はしばらく前から顕在化していたけれど、それから両親は家庭内別居と相成り、父は家にも寄りつかなくなった。
やがて二つ目の本命校に合格すると母は私を連れ学校にほど近い場所にマンションを借りて移り住み、父もそれに反対することもなかった。
それから後、実の父はただの銀行と化した。
別居以降、10年が経っても私が父と会ったことはなく、母が一切父親の話題を出さない為に、彼が今どうしているのかも知らない。
なのにそれでも離婚しないのは、二人が旧家の出身で、お互い世間体を気にしたせいらしい。
そのあたりのことは私にとってもどうでもよいことだから、今でも詳しくは知らない。
知る必要はないとも思う。
自分の親なのに、興味はないのだ。
さて、何故私が早朝から起きだして、図書館で勉強するのか。
それは、学年主席としての成績をキープするため。
それと優等生としての体裁も守るためでもある。
母の念願だった所に入れず、引っ越しをして地域を移動した為、本命に入れなかったことを母は今も悔やんでいる。
今居る学校もそれなりに歴史は古く、有名私立お嬢様校として名を馳せているほうだが、それでも母は一番最初の本命が忘れられないようなのだ。
「一番じゃなかったら、意味なんてないわ」
合格が決まってすぐ、母から告げられた言葉。
手渡されたパンフレットはこれから入学する学校のものであり、そのパンフレットを強く握りしめ、母は私の目を見つめながら、ただひたすら別の何かをみていた。
そんな母の目を見つめながら、ただ頷くしかできなかった私。
自分の子供が幼稚舎に入る前から、完璧に固執した母。
当時の私は、心の奥底でそんな母に狂気の色を見つけ恐れながらも、今までの通り従うことしか頭になかったため、ただこくりと頷いたのだ。
母は私をみていない。
その事実に、少しずつ気づき始めていた頃だった。
母は私を通して理想の娘を具現化しようとしているだけで、自分の意にただ黙って従う人形なら、それが何であっても良かったのだろう。
幼かった私は、黙って頷きながらも母親の本心を無意識に感じ取り、ひしひしと心に忍び寄る悲しみと初めての絶望という感情を覚えた。
しかし結局は絶望を覚えても、私が母に逆らうという選択肢はない。
物心がつく前から、私は母のお人形だったのだ。
ごっこ遊びに付き合わされるだけの、操り人形。
人形というものは、生かすも殺すも、操り手次第。
当時の私は、私が何であるかを知ることがなかった為、自分がどう感じようと、母の望み通りに従うことにした。
これまでだって、逆らったことなんてないけれど。
それからも母の望む姿であるため、塾に通い、稽古ごとを増やし、言葉遣いや態度はもちろん、見た目やしぐさ、雰囲気などまで徹底した。
小さな頃から品行方正で通っている私。
そこからさらに磨きをかけたら、人間から少しずつ離れてしまっていることに、しばらく気づけないでいた。
そんな私は、現在周りから自分がなんて呼ばれているかも知っている。
”完璧な優等生”
”ビスクドール”
”機械人形”
母に似てそれなりに整っていた顔は、エステやらなにやらで定期的に磨かれ、自身手入れをかかさない。
おまけに感情を露わにすることもほとんどなく、常に微笑んでいる。
我ながら、端から見れば気持ち悪いとしか言いようがない姿であるとも思うけれど、母が満足そうなら構わなかった。
・・今までは。
そう思えなくなったのは、いつの頃だっただろう。
今に至っても誰にも言えない秘密であるが、私は数年前、とある不思議な体験をした。
私は、白く光る、大きな何かに出会ったのだ。