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ネタ箱  作者: 千鵺
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胡蝶の夢

さらり、さらり、さら。


頭上から降り注ぐ白い砂を片手に受けながら、ユトはぼんやり空を見上げた。

地下世界でありながら天の光の降り注ぐこの場所は、最近のユトのお気に入りだ。

地上は太古の昔から続く巨大な森で、ユトが手に受けている砂はその森を構築する木々の残骸だ。

きっと、地上に住む人間は、この地下世界の存在すら知らないだろう。

ここにいるのはユト1人だけ。

たった独り、化け物が住む世界。


白いまつ毛がふわりと瞬く。


ユトの髪やまつ毛などの体毛は、遥かな昔から地下にいたせいで真っ白になっている。

目は紅く、視力も相当弱い。

退化していないだけましだと言える。

ユトの姿そのものが、闇の中で生きてきた証だった。


もうずっと、誰とも会話することがなかった為、ユトは話せない。

声は出る、しかし言葉は退化してしまっていた。

それ自体に不便さは感じない。

話す相手が居ないからだ。

ユトはあおむけに寝転がっていた体勢から起き上がり、両手を支えに天を仰いだ。

地を覆う長い髪は、立ち上ってもまだ地を這うくらいには長い。

ユトが不精をして切らなかったせいだ。

成長も新陳代謝も普通の人より遅いとはいえ、数百年も放置すれば髪も伸びる。

ユトはいつも後ろで緩くひとつに括って、あとは流していた為、余計に髪は地の上で蟠る。

それを気にするのも、とうの昔にやめてしまっていた。


ぱさぱさと長い毛ぶる様なまつ毛を瞬かせ、ユトは夢現を彷徨う。


ここに居て、何もすることがないユトの暇つぶしは、夢渡りと呼ばれる方法だった。

一度眠りに落ち、意識を夢の中へと飛ばす。

そこから様々に繋がる世界へと渡り歩くのだ。

いつ誰が見た夢なのか、ユトにはわからない。

その時々が愉快であればそれでいいのだ。


つかえにしていた腕を外し、もう一度横たわる。

きらきらと光を反射した砂が、目の前を彩った。


こんな綺麗な世界なら、1人で居ても寂しくはないものだ。


ユトは、かつて自分が持っていたはずの名前を、親につけてもらったはずの名を思い出せない。

自分が『ユト』というものになった瞬間すらも遠い昔になってしまった。

そして、今の体もかつてとは全く様相を変えてしまっている。

それを嘆くには、ユトの過ごしてきた時間があまりにも永かった。


苦しみも、怒りも、悲しみもない。


今あるのは、ただ穏やかな時間だけだ。

ささやかに時間を浪費しながら、ユトはただそこに存在するだけの生き物として、今ここに有る。

それで良いと思ってきた。

今までは、だが。



「うわーーーーーーーーーーーーーーーー!!」



ユトの世界を支配していた静謐が、瞬く間に侵食される。

久しく耳にしていなかった『誰か』の声。

それを認識するまでに多少の間が必要だったのも、仕方のないことだろう。

何しろここには随分長く、ユトしか居なかったのだから。

ユトは緩慢に、目線だけで辺りを見回した。


「うっ!!!」


盛大に悲鳴を上げながら落ちてきたその人間は、同じく大きな音を立てて地面と衝突したようだった。

寸の間、音がなくなったかと思ったその直後には、また大きな声が聞こえてきた。

騒々しさはこの上ない。

長らく静寂と付き合ってきたユトにとっては、少々耳触りに聞こえた。


「っい、いいぃたぁああああ!!」


ユトがじっとそちらを見つめていることにも気がつかず、ソレは地面をのた打ち回っていた。

しかしそれも暫しの後には、あげていた悲鳴が呻き声となり、やがて啜り泣きに変わった。

その間も定位置から動くことなく全て見ていたユトは、くたりと小首を傾げた。


あれは一体何だろう。


おそらく生き物であることは間違いない。

ひょろりと細い手足に小さな頭、髪の毛は肩につくくらいで切りそろえられている。

蹲っているのでよくわからないが、どうやらあれはユトと同じ形をしているようだ。

そこまで考えて、ふと思い至るものがあった。


あぁ、そうか。


あれはひとだ。


小さく、声も高いから、ひとのこども。


観察している間にも、ぐすぐすと啜り泣いていた小さな塊は、やがて力尽きたように大人しくなった。

ユトはじっと、ただただそれを見つめていた。

何故、人の子がここに居るのだろう。

上の世界の人間であることは間違いない。

しかし、この地下世界のすぐ上は、鬱蒼とした森のはずだ。

獰猛な肉食の虫達が蠢く世界だ。

あんな年端もいかぬ小さな子が入り込んで良い場所ではない。


何があったのだろう。


ぽつり、浮かぶ疑問にユトは不思議な思いが湧くのを感じた。

人間達のことに頓着することなど、この数百年なかったことだ。

人の世が栄えようと衰えようと、ユトにとってはどうでも良かった。

その動向を気にするなど、随分昔、まだ人の中で暮らしていた頃以来だろう。

ユトと人の間には、それほどの隔たりがあったのだ。

この静かな世界に独りきり、ユトはただひたすら、浮世のことなど忘れていた。

しかし、ちいさな人の子がきっかけで、ユトはまた人間のことを思い出し始めた。

そしてそれに連なるように、細々と蘇ってくる、かつての記憶。


愛おしくも憎らしい、忘れたくて忘れたくなかった、人の記憶を。


「・・うっく・・」


いまだに聞こえる泣き声に、ふ、と意識が戻る。

考えごとに没頭して、思わず夢の世界へ飛びそうになってしまった。

それも悪くはないのだが、今はそうするべきでないように思う。

ユトはぼんやりと絡まっていた思考が、次第にするりするりと解けていくような心地がした。

まるで頭の中にかかった霞が晴れたかのような。

ユトは、す、と音もなく立ち上がり、小さな塊を見つめた。


アレがきっかけだった。


あの人の子が、ユトをユトでなかったものへと戻した。


人と間接的にでも触れ合うことで、かつての感覚を取り戻したのだった。



「・・・」


「・・ひっ」


静かに歩み寄れば、それに気付いた小さな塊がびくりと撥ねた。

それを承知で、ユトはただ次の反応を待った。


あぁ、怯えている。


当然だ。


本来居るはずのないものが、ここに居るのだから。


ユトは、そろり、顔をあげてこちらを確認してくるのを黙って見守った。

ぼさぼさの金髪の隙間から、ちらりと涙に濡れた大きな目が覗く。

一瞬ユトを見て目を見張ると、がばりと勢い良く起き上った。


「ひ、人!?なんで!?」


両手を地に付き、必死に見上げてくるこどもに、ユトはただ無表情に見返すだけだった。

答える言葉をもたないユトには、どうしようもないのだ。

ならば何故近寄ったのか、ユトにもわからない。

しかし、久方ぶりに会う人間に興味を持ったのは事実だった。


「・・えっ・・あ、あの、」


す、と音も無く側に膝を付いたユトが、そのままの流れでこどもの頬に手を伸ばす。

何を話すわけでもなく、異形と思しき見た目のユトの思わぬ動作に、こどもは酷くうろたえたようだった。

瞬時に顔を真っ赤にしたのは、ユトの顔がゆっくり近づいてきたからだろうか。

ユトとしては、視力が酷く弱いことから、もっと近くに行かなくてはこどもの顔すら判別出来なかったからなのだが。


「・・・・・えっ、と」


そうこうしているうちに、ユトはするりとこどもの顔を放すと、また静かに立ち上った。

置いて行かれたように当惑するこどもを尻目に、こどもが落ちてきたらしい天上の穴を見上げる。

地上の民であろうこのこどもは、なんらかの理由で船から落ち、流砂に飲みこまれたのだろう。

砂が時折零れおちるその穴は、地上では流砂としてそこに在るはずだ。

時折、色々なものが零れおちてくることはあるが、人間が落ちてきたのはユトの知る限り初めてだった。

くてりと小首を傾げたあと、もう一度こどもを見やる。

これを上に返すのは、少々骨の折れることかもしれない。

ユト1人だけなら問題ではないのだが。


「あ、の・・あなたは、誰ですか・・?」


恐る恐る問いかけてくる声に、ちらりと視線だけを投げる。

おどおどとこちらを窺う様子はさながら小動物のようだった。

そんな感想が出てくるのも、ユトにとっては新鮮なことだ。

何せ数百年、ユトはユト以外の生物と出会うことすらなかったのだから。

答える言葉を持たないユトは、暫しこどもを見つめて考え込んだ。


どうやったら応えられるだろう。


どうしたらこの子にこの思いを伝えられるだろう。


ユトは、ふと夢渡りをする時に使う術を思い出した。

夢の中でも、ユトは言葉を操れない。

出会ったものが人でないことも多く、人種も世界も幅広い。

そもそもが言葉自体通じるとは限らないのだ。

だからそういう時、ユトは思念を相手に直接飛ばして、意思を伝えることを覚えた。

それを、ここでも出来ないだろうかと思ったのだ。


「・・あの・・?」


不安そうにこちらを覗き見るこどもをじっと見つめる。

ユトに備わっている異形の力は、その願いを具現化するものだ。

それは多岐に渡り、様々な効果をもたらす。

願えば、出来ないことはないのがユトの力だ。


『わたしの声がきこえるか』


「えっ」


目の前で金色が撥ね、次いできょろきょろと周りを見回す。

それからそろりとユトを見上げると、おずおずと問うてきた。


「・・・あの、今の、あなたですか?」


『そう』


「えっと・・・・あの・・凄いですね」


困った顔でへらりと笑ったこどもに一瞥をくれて、ユトはさっさと本題に入ることにした。

目線を落ちてきた穴へと合わせ、説明を始める。


『あそこから落ちてきたのなら、またそこから登ればよい』


「・・えと」


『わたしが押し上げる、息を止めていろ』


「・・・・・・えーと・・」


『なにかあるか』


「・・・」


何か言いたそうにしているからそう問えば、こどもはまた眉尻を下げて見上げてきた。

どうしてそのように困った顔をするのかユトには理解できなかった。

早く地上に還せばその憂いも晴れるのかもしれない。

ユトが手で空を撫ぜる様に動かすと、こどもの身体がふわりと浮いた。


「う、わっ!」


『目を瞑れ』


「ちょっちょっと待ってください!僕はまだっうわあぁあああ!!」


『口を閉じろ』


「待って待って待ってー!おっ降ろしてくださいいぃいい!!」


『・・・・』


思わず、眉間に皺が寄る。

それは様々理由からだったが、ひとまずこどもは地に降ろすことにした。

宙でばたばたと泳いでいた手と足を地に着け、安堵したように息を吐く。

戻してやろうとしたのに、どういうことか。

ユトは怪訝そうな顔を崩すことが出来なくなかった。


「・・あ、の・・あなたは何故このようなことが出来るのですか?」


『このような?』


「人を軽々と宙に浮かせたり、思念を相手の頭に飛ばしたり・・」


『出来ると思うから、出来る』


「・・・・・理屈じゃないってことです、か?」


『そういうもの』


ユトが淡々と言葉を返すと、こどもは頭を抱えてしまった。

そう難しく考えるようなことではないのに、とユトは思いながらも、別段言葉にはしなかった。

こどもは気を取り直したように顔を上げると、唐突ににこりと笑った。


「僕、スールといいます。あなたのお名前は?」


『名は、ない。ユトと呼べ』


「??ユトというのが名ではないのですか」


『名称という意味ならば、そう』


「・・・では、ユト、あなたはどうしてここに居るのですか?」


ユトは寸の間、固まった。

そのようなこと、ここに他の人間が居ないから当然だが、聞かれたことなどなかった。

何故、ここに居るのか、なんて。

愚問としか言いようがない。


『ここは檻』


ユトは少し遠くを見つめながら、応えた。

スールが目を瞠ったのが視界の端に映る。


『ばけものを閉じ込める為の監獄』


そこまで言って、口を閉じる。

それが全てだというかのように。

スールは酷く戸惑った顔のまま、ユトの顔を覗き込んできた。

それに目線をゆっくりと合わせながら、ユトは黙ってやりたいようにさせてやった。


「・・・あなたが、化け物?」


『そう』


「じゃあ、じゃ・・あなたが、創世神話に出てくる、『白の天神』?」


『その呼称は知らない』


「世界を作った立役者でありながら、後に王に背いて罪人を庇い、地の底に落とされたっていう・・」


『・・・・・』


いまいち、昔の記憶が曖昧である。

それも無理はないことであろう、何しろ幾千年は昔の話だ。

ユトは僅かに首を傾げながら、かつてを思い出そうと、少しだけ努力をしてみることにした。


「・・・・えと」


『・・・・』


「・・・・・・・あの」





『・・忘れた』


思いだそうとする、その労力が無駄に思われる程、綺麗さっぱり忘れ去っていた。

言われてみれば確かにそんなこともあったような気がする程度である。

ユトは、しかしそれもどうでも良いので、ひとまず話を戻すことにした。


『わたしがなにであるかはどうでもよい。おまえは地上へ帰れ』


「えっ・・・えっと、あのー・・・まだここに居たいっていったら、怒りますか?」


スールがへにゃりと眉を下げながら、そんなことを宣う。

ユトが怪訝そうに見つめれば、余計情けなさそうに笑った。


「ちょっと上でへましちゃって、すぐには戻れないんです」


『・・好きにすればよい』


一体このこどもが何をして、これからどうしたいのか。

ユトにはどうでも良いことだったので、結局口から出たのはそんな言葉だった。

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