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飽和水、池の中  作者: 大林秋斗
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8


池の時間が静かに経過していく。


かとうさんに会えないこと、かとうさんの居ない池は、ひどく寂しく感じられた。

それも時間の経過とともに、だんだん寂しさに慣らされていく。


生きるために前へ、前へ。


それがわたし。

生ある魚。


生きるためにごちそうを食べ、強い敵から身を隠す。



時間の経過は、池の周辺やその水を変えていった。

池の周りに生えていた木々は、黄や赤に色づいた後、葉を落とした。

水はどんどん冷えていく。

落ちている虫も、あまり見なくなった。


わたしの体一面のうろこが逆立つ。

池の底にあった水草はすっかり枯れてしまった。



水が冷えると私の動きも鈍くなる。

ごちそうになる虫は見なくなったけれど、お腹は不思議と空かなかった。


キルコは相変わらずわたしに何かと注意していたけれど、

その口調もどこか弱々しい。



「……とうとう、来るんだ、冬が……」


キルコはぶるりと体を震わせた。


「グラミー、分るかい? 

ぼくたちがこれからどうなってしまうのか……」


キルコが苦々しく呟く。


「前にマールのこと、俺に聞いたよね、覚えてる?」


彼は静かに水を吸い込むと言葉を継いだ。


「俺はマールだけじゃなく、他の仲間たちと一緒にこの池に捨てられた。

俺たちは捨てられる前、それぞれ違う名前を付けてもらってた。

そんな魚でも、捨てられるときはあっけないものだった」


キルコがブクッとあぶくを吹いた。


「グラミー種の体は、水が汚れようがある程度は耐えられる。

病気にも強い。

しかししょせん南国生まれのペットだ。

体の弱い仲間はすぐに死ぬ。

捨てられた例外なく仲間もそうだった。

最後にはマールと俺の二匹が残された。

けれど俺たちは食べられそうなものは余すことなく食べ日々をすごした。

俺はこのまま、マールとずっと暮らしていけるものだと思っていた。


だけど現実は残酷だった。


俺たち、南国生まれの魚は冷たい水の中では生きられない。

俺とマールが捨てられたのは桜の花が開きかけた頃、春まだ間もない頃だ。

体がしんから凍るような冷たい水の日だった。


池には、水槽にあったような水を温めるヒーターなどない。


俺はマールの体とくっついて、少しでも冷たい水から身を守ってみた。

けれど、夜が開け気が付くと、俺の視界には冷たい躯となったマールの体が漂っていた」


キルコの言葉が震える。


「……俺たちは池での本当の冬を知らない。

冬の水は容赦なく俺たちの命を奪うさ、

俺たちは死ぬんだよ、確実に。

それが分かっていながら何もできない。


君は人間をかばっていたけど、

南国の魚を容赦なく捨てることのできる非道さ、残忍さが、

これでよくわかっただろう?」



奴らは、俺らに死を押し付けているんだ。



キルコが冷たい口調で宣言した。



「……まだ、死ぬと決まった訳じゃないわよ!」


わたしは頭を振りキルコに反論した。



「……キルコは今まで何のために虫を、ごちそうを食べてたのよ!

生きるためでしょう?

そんな簡単に、あきらめたようなこと言わないで! それに……」


わたしは言葉を継いだ。


「わたしを池に放した絵理は、その時、わたしの死なんて望んでいなかったわ。

むしろ、池の中で長く生きていって欲しいと望んでいたわ、

だからわたしはあきらめない、冬なんかに負けない!」


「君はまだ人を庇っているのか。

おひとよしにもほどがある」


「なによ、キルコこそ、そんなに人間が嫌いなら、あがいて見せなさいよ!

生き抜いて、彼らの前で『ざまあみろ』とか言ってみなさいよ。

それもせずに、あきらめて死を受け入れるようなこと言うなんて、

結局キルコが主張する、非道な「人間」の望みをかなえてあげることになるんじゃない?」



「……ふっ、俺に説教か?」


キルコの身を差すような声で言った。


「なによ!」


わたしはキルコからの怒気を感じた。

ひれを立てて彼からもたらされるであろう攻撃に身構えた。


そんなわたしのするファイティングポーズを見るなり、キルコがぷっと噴出した。


「……まいったな、降参、俺の負けだ、

まったく、グラミーはたのもしいな。

……そうだね、運命とやらにあがいてみるのも悪くない」


少しでも温かいところを探してみよう。



そう言うとキルコは泳ぎだした。




少しでも温かく感じる水流を逆に辿っていく。


やがて池の底にたどり着いた。

泥からほんのりとした温かさが水に乗り上ってきているようだ、

底にあるなだらかな泥にお腹をくっつけ、よりその温かみを体に直で受けようとした。



そうしてキルコと並んで底にいると、頭上を銀色の大きな魚が泳いでいるのが見えてきた。


キルコがひれをぴんと広げ緊張している。

その魚は私たちの方へと降りてくる。


大きくて長い太刀のような体が鮮明になってきた。


「……いつでも逃げ出せるように構えて」


キルコが小さな声で言った。


「大丈夫よ、あなたたちを食べる気は全然ないから……」


身構えるわたしたちの緊張を解すように、その魚はゆっくりと大きな口を開いて言った。


「本当に冷たい水よね。

こうして泳いでいるのがやっとよ……」


「……あなたは、もしかしてこの池の主ですか?」


キルコが尋ねる。


「いいえ、わたしはシルバーアロワナ。

もともと、ここにいた魚ではないわ。

水槽から池に放されたくちよ

あなたたちはパールグラミーね。

わたしと同じような元水槽暮らしの同胞よね?


もし無事に冬を越せたらまた会いましょう。

でもそのときは、遠慮なくごちそうとして狙うわよ?」


シルバーアロワナがくゆりと体を揺らす。


「では、ここが池の一番深いところですか?」


そこに行きついた魚は二度と帰って来ない。

そのことを思い出しわたしの身が震えた。

しかしシルバーアロワナはそっけなく返事した。


「どうかしらね。

そもそもこの池に一番深いところってあるのかしら? 

人間がその時々で掘ったり埋めたりしている池に……」



「……あの、アジアアロワナさんに会ったことありますか?」


同じアロワナなら知っているかもしれない。

ブラックエンゼルが過去に出会った魚、あこがれていた魚。

わたしは思い切ってシルバーアロワナに聞いてみた。


「いいえ、名前だけは知っているけれど、会ったことはないわ。

あなたは会ったことがあるの?」


「わたしの友だちが熱帯魚屋で出会ったと……」


「そうなの? 彼らに出会えたなんてめずらしいことね。

アロワナの仲間でも彼らは絶滅の危機にさらされているのよ。

人間がワシントン条約という決まりごとを作って守っている魚なの。

わたしも会ってみたいものね」




自然のままに暮らす彼らにね……。



シルバーアロワナはそういうと、ゆったりと泳ぎわたしたちの前から去った。

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