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日の照っている時間がだんだん短くなってきているようだった。
それに呼応するように池の水が少しずつ冷え始めていた。
外気に接している池の表面は特にそう。
日中はそれほど感じなくても日が沈むころには、
水の冷たさに体が思わず縮こまった。
わたしはキルコと一緒に、少しでも水が温かく感じられる所へと移動しながら泳いだ。
水温の変化に関係があるのだろうか。
水草も少しずつ茶色く枯れてきた。
言い知れない不安がよぎる。
キルコは、口に入るものは何でも食べろと仕切りに言った。
実際にお腹が満腹であっても、キルコの言うとおりに食べた。
外の冷えと関係あるのだろうか。
以前めったと見かけなかった小さな虫の死骸を、多く目にするようになってきた。
その栄養のある虫を多く食べるようになったからか、
わたしの体もパールの体も丸々とと太ってきた。
冷えのために、池の上に上がって絵理たちの姿を探すことができなくなった。
代わりに、かとうに会いに行く時間が増えた。
かとうは不思議な自転車だ。
彼と話している心がふんわりと暖かくなる。
キルコはわたしがかとうに会うのを嫌がっていた。
それでも、かとうに会いにいくのは止められなかった。
「グラミーさん、寒い?」
かとうはわたしに向かって言った。
「ええ、池はやっぱり水槽とは全然違うわよね、
水を冷たく感じるなんて」
わたしは身震いしながら答えた。
「魚って心臓のある生き物だから、寒いのがつらいんだね。
僕には心臓がないから、寒さも暑さもへっちゃらだけどね。
こういうところは魚さんと変わってあげてもいいよね。
ところで、キルコくんは変わりない?」
「彼は相変わらずよ。
今は、ごちそうを食べるのにいっしょうけんめい。
虫が、たくさん池に沈んでいるのでそれをいっぱい食べてる。
わたしも倣っていっぱい食べてる。おかげでこの通り、太ってきたわ」
わたしは膨れたお腹を突き出しながら言った。
「うんうん、いいことじゃない。食べるのが一番だよ。
僕はこうして、かわいいお魚さんとお話するのが一番さ」
「もう、かとうさんてば」
そうわたしが言うと、かとうはくすくす笑い出だした。
かとうがまとう雰囲気はほんとうに温かい。
どこか安心できる。
キルコには感じないもの。
それはかとうが、わたしと同じく、人間に対して好意を持っているからだろうか。
人を懐かしみ、慈しむ気持ち、そこに共感できるから、彼に温もりを感じるのだろうか。
「今でも池の外の世界へ、人間のいる所へ戻りたいって思う?」
わたしはかとうに聞いてみた。
「もちろん思うよ。
でもね、できれば、僕は両方の世界を、行ったり来たりしたいなあ。
それってぜいたくかもだけど、
人間が好きだし、池の魚たちも大好きだし、ぼくはみんな好きなんだ。
好きなものがありすぎて、いつもハッピーな気分だよ」
かとうはおどけて言った。
「池の外に出たら、真っ先に人間に体を改造してもらうんだ。
さびを全部落としてもらってピカピカのボディにさ。
ぼくの今の体は子供用の自転車だけれど、
マウンテンバイクなんかに、かっこよく変身させてもらうんだ」
「マウンテンバイク?」
「そうだよ。
速度を何段階にも変える変速ギアをつけてもらって、
タイヤはどんな石ころ道や凸凹の道でもへっちゃらなオフロード用のものにしてもらうんだ。
そして体の色はそうだな、渋いいぶし銀とか黒なんてかっこよいかも
あ、もちろん、池の中にも行けるように改造してもらうよ。
初の水陸両用、ピッカピカのマウンテンバイクの登場さ」
かとうは変身後の自分を想像しているのか、うっとりとて言った。
「そんなピカピカのかとうさんって想像できないわ」
「おいおい、想像できないってどういう意味だよ」
かとうは少しすねたような口調で言った。
「あ、ごめんなさい。
かとうさんは今のままでも十分かっこいいと思うから想像できないって思って……」
「へへっ」
かとうは照れくさそうに笑った。
「ところで、マールさんには会ったかい?」
「え? マールさん?」
「そうか、知らないみたいだね。
キルコくんと一緒にいるもんだから、てっきりグラミーさんも会っているものかと。
彼と仲良しの魚でね、彼女もパールグラミーとかいう種類の魚だったと。
その子もグラミーさんみたいな、かわいい子で……、って、あ、しまった!
あああ、余計なこと言っちゃった……」
かとうは身悶えるように「しまった」とか「三角関係」とか独り言を呟いている。
わたしはそんなかとうさんを、不思議に思いながら、マールという魚のことを考えた。
キルコから、マールという魚のことは何も聞いてはいない。
それ以前に、キルコ以外のパールグラミーを見たことはない。
キルコと言えば、わたしの顔を見るなり、
食べれるときに食べろとか、
ごちそうにされないよう気をつけろとか注意ばかりを言っている。
それもうるさいくらいに、繰り返し繰り返し……。
わたしは翌日、思い切って、キルコにマールという魚のことを聞いてみた。
彼の目つきがすぐに変わった。
冷たく鋭く、怒気を放っている。
そして、
「誰から聞いた! かとうさん? 彼からか!」
と、わたしに詰問しだした。
わたしは激しく動揺した。
キルコがこんなにも血相を変えて怒るなんて。
わたしは身を竦ませた。
そんなわたしの様子をキルコは見て、剥き出した感情を抑えようと努めたようだ。
彼は、ぷくっと泡を吐き出し一息ついた後、再びわたしに向き直った。
彼の目から冷たい鋭さが消えていた。
変わりにあったのは、やりきれない悲しそうな目。
「……ごめん、いつかは言おうとは思っていたのだけれど……」
キルコはぽつりと言った。
「……マールはもうどこにもいないよ。」
死んだんだ……
感情を吐くように言った彼の言葉に、
わたしは彼女のことを聞いてしまった自分に後悔した。
ただ、黙ってキルコを見つめていた。




