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「グラミー、この池をどう思う?」
キルコがわたしに問う。
「どうって、ありのままな、自然の池なのでしょう?
水槽と違って、すごく厳しいところ、でも素敵だと思うわ」
わたしはブラックエンゼルのことを思い出しながら、思ったままを言った。
絵理の家で知り合った唯一の友達。
優しく美しく儚かった彼が、憧れていた世界。
その憧れはわたし自身のものでもあった。
キルコがふっと鼻で笑うと、嘲るような声で言った。
「この池は自然のものではないよ、人間が掘って造ったものだ」
「えっ?」
わたしは思わず目を向いた。
キルコはさらに言葉を継ぐ。
「この池だけじゃないさ。
人間はいろんなものを作る。
池の周りにある木もそう。
人間の手の入ったものなんだよ。それが『自然』だといえるのかい?」
「……そんな……」
「人間は恐ろしい。
新しい命さえも作ってしまう。
本物の『自然』の中では存在しない生物とかね」
「……存在しないなんて言わないで」
わたしはブラックエンゼルの存在そのものが否定されたように思われた。
彼は自分が造られた魚だと言っていた。
彼自身は水槽という狭い世界であっても、生きて存在していた時がある。
彼はわたしの心の中にずっと住んでいる。
キルコはわたしを見やると、ぷくっとあぶくを吐いた。
「……グラミーはグッピーっという魚に会ったことないか?」
「ペットショップでちらりと見たことがあるけれど……」
わたしは体が小さく、赤や青など色とりどりの大きな尾を持つ魚を思い浮かべた。
「彼らのあの色のついた大きな尾びれは人間が何代も交配して作った結果なんだぜ。
そのせいで『自然』の本能さえないものがいる」
「本能?」
「子を生むことだよ。
グッピーは人間の手が加えられないことには、子を生すことができないものが多くいる。
特に人間が好む形と色を持ったものに限ってね」
キルコはさらに嘲るように言った。
「グッピーだけじゃないさ、他にもいるよ、そういった生物は。
そんな『できそこない』を作るだけじゃない。
もとからの『自然』にあった生き物の命を、奪うことができるのも人間だけさ。」
「命を奪うってわたしたちもしていない?
小さな虫とか食べているじゃない」
「それは奪うとは言わない。
食べるということは、その生き物の命を繋ぐってことだよ。
ぼくたちの体を作ったり生きていくエネルギーになったりするからね。
しかし、人間のすることは違う。
奴らは狩りとかの『遊び』で生き物の命を奪うことをする。
単に『いくつ捕れたか』その数を競うだけでも命を奪えたりできるんだ。
命の繋がりを無視して絶ってしまうことができる、簡単にね」
キルコは怒気を孕んだ声で言った。
「この池には、ぼくたちみたいに人間に飼われていた魚が捨てられたりする。
その魚のほとんどは捨てられてからすぐに死んでしまう。
池の水が合わなかったり、強い魚に食べられたり、それに……」
キルコは少し言い澱んだ後に言い放った。
「人間は勝手だよ。
飼い切れなくなると捨てておしまい。
後は知らんぷり。
捨てられた魚がその後、どういう運命になるのか考えもしない」
「……そんなことはないわ。少なくともわたしを飼ってた人は違うわ。
わたしをここに放したのも、理由があったから
キルコを、飼っていた人もきっとそう。
だってキルコっていう特別な名前をもらっているでしょう?
その人が池に放したのだってどうにもならないことがあったのだと思うわ」
「ほんとに君はおひとよしだよね」
キルコが嘲るようにあぶくを吐いた。
「なんでムキになって人間の肩を持つのか分らないけれど、
現実をもっと見た方がいい。
君を放したその人間は今頃、君のことなど完全に忘れているさ」
「いいえ、わたしを飼っていた人のことを何も知らないくせに、
悪く言わないで」
わたしはキルコの言葉を振り払うよう否定した。
わたしを飼っていた人間、絵理たちのことを思う。
絵理はわたしを可愛がってくれていた。
わたしを池に放す前の、水を溢れさせた彼女の両の目は、ひどく悲しげだった。
そんな絵理がわたしのことを忘れるはずなどない。
わたしが絵理たちを思うように、絵里もわたしのことを思っているはず。
けれど、キルコの言葉も完全には振り払うことができなかった。
心の中に重い澱みを感じる。
わたしは一人になりたくなった。
彼から離れて泳ぎ出した。




