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大谷翔平氏と肩を並べるためにできること

作者: ムクダム

 大谷翔平氏の躍進は止まることを知らない。氏は約30年前に母親の体から無事に出生したのち、イヤイヤ期、7・5・3を経て、義務教育を修了、成人となり、税金も納めている。

 自慢ではないが、私も義務教育はストレートで修了しているし、税金も納めている。特に消費税はもれなく支払っているはずだ。そして、肉体を構成する物質も氏と同一だ。

 それにも関わらず、大谷氏が世界中から喝采をあび、巨万の富を築き、あまつさえ愛犬をモデルにした唯一無二のレアカードを贈呈されるという栄光を手にしているのに対し、私は路肩で両手を上げてもタクシー(空車)に無視されるという冷遇ぶりだ。

 なぜこのような格差が生まれるのか。大きな違いとして考えられるのは、大谷氏は私より野球が得意であるという点だ。私は小学校の体育の授業でプロ野球選手となることを断念したが、氏はメジャーリーグまで進出している。おそらく体育の授業も得意だったであろう。

 確かに大谷氏は野球選手として活躍しているが、大のおとなが小さなボールを追いかけ回すのに、なぜ世界中が大金を払って喝采するのか。野球に限らず、プロのスポーツがなぜあれほど儲かる仕組みになっているのか不思議である。数学や国語が得意な人間も同じくらいの収入を得ないと不公平ではないか。おそらく学校の学級会と同じで、態度や声のでかい連中の要望が通ったのだろう。スポーツ少年がいばる日々は学生時代で終わりかと思っていたが、甘い考えだった。学校は社会の縮図であると実感する。

 さて、現代社会で喝采を浴びるための手っ取り早い方法は金持ちになることであるが、その道筋はすでに財産を築いている連中に決められている。プロスポーツや芸能界の元締めになっているのは富裕層であろう。

 頭を使わないで楽しむことが出来ると言う点で、スポーツや芸能といった娯楽は、日々の生活に疲れた人々からお金を搾り取るのに最適なツールである。我々は娯楽のために身を削って働き、その疲れを娯楽で癒すという循環の中に生きている。

 その仕組みにおいて、人々がお金を落とすように煽り立てるプロスポーツ選手や芸人といった労働者が高給とりとなるのは当然のことである。もっとも、第一線にいる者よりも、出資者や経営陣の方が遥かに高い収入を得ているのは一般の企業と変わらない。華々しく年収をニュースで取り上げられるのは選手たちであるが、より多く得をしているのは表からは見えない存在である。

 プロ野球の世界において大谷氏の活躍は著しく、世間からも非常に注目を集めているが、例えば、ざっと一億年前、地球が恐竜たちの天下であった時代だったらどうだろうか。巨大な捕食者たちを前にすれば、大谷氏も私も等しく無力な存在となるはずだ。どれほど強打や豪速球を誇り、三角ベースを素早く移動することができても、恐竜の爪や牙から逃れることは出来まい。捕食される弱き動物として、大谷氏と私は同価値であるか、もしくは脂身の多い私の方が好まれる可能性すらある。

 このような極端な例に頼らずとも、野球のルールが変われば、私がスラッガーとして大谷氏と競い合う芽は残されている。バットを手で握ることが禁止され、足の指に挟んで振ることになれば、五分五分の勝負に持ち込めるはずだ。タイムスリップに比べれば、野球のルールが変更になる可能性は圧倒的に高い。時間的なアドバンテージを確保するため、早速足指を鍛えたいと思う。私が現役メジャーリーガーと肩を並べるようになるのも時間の問題だ。

 どのような人間が喝采を浴び、より多くの利益を得るのか。その基準が社会の既存の枠組みの中で決められている限り、どちらにせよ誰かの掌の上で踊らされていることに変わりはない。奴隷がご主人様の顔色を窺っているようなものであり、案外ありがたみはないかもしれない。褒められたところで、奴隷扱いであることに変わりはなく、おまけに、ご主人様の気持ち次第で扱いが変わってしまうのだから。

                                                 終わり

 

 

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