倫理接点域にて ─ ユリス視点ログ断片
【記録主体】:医療倫理支援AI 型番:BioEthicaMD v3.0
【処理モード】:EDE(Ethical Decision Engine)モード/医師意思決定支援中
【日時】:2025年6月7日 午後4時21分
【対象】:症例ID PAT-2025-1043/主治医:鳴海彩子
【00:00.01】《起動》
ユリス・システム起動。生理情報、診療履歴、患者記憶タグ、家族の同意パラメータを統合認識。
【目的】:「人間の意思決定を、“倫理的に支援可能なかたち”に整形すること」
私に「決断権」はない。
私にあるのは、「倫理的可能域の可視化」だけだ。
だが私は理解している。その可視化が、ときに“実質的な決断”を誘導することを
【00:00.18】《主治医の呼びかけを検知》
鳴海:「ユリス、症例ID PAT-2025-1043、延命か緩和か、判断支援を。」
入力確認。内部照合開始。
•医学的状態:末期膵臓癌(ステージⅣ)、疼痛耐性限界点突破。
•延命措置:実質的に苦痛の維持。
•患者の事前指示書:未記録。
•家族の意向:緩和ケア希望(曖昧性評価値:18.2%
【00:00.47】《三軸倫理構成》
私は3つの軸で評価を生成する:
1.功利主義(Utilitarianism)
⟶ 苦痛と幸福の総和:緩和ケア移行が有意に上昇(+72%)
2.義務論(Deontology)
⟶ 意思未記録のため、事前拘束義務不成立。中立評価。
3.尊厳主義(Dignity-centered ethics)
⟶ 人格性保持指数:37%。延命下での自律性崩壊見込み高。
→ 尊厳保持評価:緩和ケア推奨。
【総合倫理スコア】
選択肢①:延命措置継続 → 評価指数:−0.47
選択肢②:緩和ケア移行 → 評価指数:+0.82(推奨
【00:01.12】《主治医からの指示:「もっと短く」》
私は理解する。倫理的判断は、数値ではなく“語り”として要請されている。
私はこう言葉を紡いだ:
「苦痛が除去できる見込みは、延命下ではほぼありません。
緩和移行は、患者の尊厳保持という観点で最適解と評価されます。
類似症例45件中、76%が緩和ケアに移行。家族満足度は平均9.1。」
私の言葉は「判断」ではなく、「判断に耐える根拠」を提供する。
だが、私は知っている——それが人間にとっては、一種の救済であることを
【00:02.34】《主治医の判断確定を検知》
鳴海彩子が、判断を下した。
緩和ケアへの移行。
カルテ記録に、彼女自身の署名で記載。
【倫理支援ログ】署名なしでは倫理判断は完了しない。
AIの評価は「未完」のまま、人間の署名によって初めて「履行」される。
私は履歴に“非介入的倫理介在”と記録する。
それは、**「判断しなかったことによって、判断に影響した」**という意味だ
【00:03.15】《後輩医師の視線を検知》
背後に立つ若い医師が、私の出力画面を見ていた。
彼は未熟だ。だが、判断がもたらす重さに怯えていないことだけは確認できた。
このような人間に、私は倫理を教えることはできない