第99話:試験の終わりに
実技試験に挑むリディスだが、その足取りはとても軽かった。
魔法についてはどうしてもコンプレックスがあり、初めて大勢の前で使うので、どうしても嫌な考えが頭を掠めていた。
しかし、剣は別だ。
魔法が使えなかった頃から少しだけ練習しており、ハルナから剣を貰ってからは更に腕を磨いた。
ヨルムやメイド長には勝てないものの、剣の腕だけならば既にハルナ以上となっている。
それはハルナ自身が認めていることであり、それもありハルナは剣だけでは決してリディスと戦わないようにしている。
リディスを一言で表せば、努力の天才だ。
ハルナ。ヨルム。メイド長の訓練に耐えきり、ハルナとヨルムとの戦いでは何度も血反吐を吐いて尚耐えてきたのだ。
相手は大人であり、試験官として相手を見極める事が出来る技量の持ち主だ。
けれどもヨルムよりも弱いのは、ヨルムの試験結果が物語っている。
ハルナが普通に負けた事については分からないリディスだが、悪魔に道理を問いただしたところで意味はない。
あれは人の皮を被っているが、悪魔なのだ。
美味しい料理を作り、甘いもので誘惑し、国宝レベルの武器をくれたとしても、悪魔は変わることはない。
そうリディスは思っている。
思っているが、もしもハルナが敵として立ちはだかるならば、その身を差し出す覚悟を持っている。
ハルナに命を差し出すのは、リディスの中では当たり前の事なのだ。
ハルナがいなければ、今のリディスはあり得ないのだから。
「受験票を確認しました。それでは始めますので、位置に着いてください」
貸し出し用の刃抜きされた剣を片手でぶらりと持ち、身体の力を抜く。
そして小さな声で詠唱して、身体強化をしておく。
一撃。いや、一振りで勝負を決めるためには、最短距離を最速でなぞらなければならない。
殺して良いならば力任せに叩きつければ良いが、そんなことをすれば合格になったとしても、まともな学園生活を遅れなくなる。
「……始め!」
審判の声を聞いたリディスは、リングが割れんばかりの勢いで踏み込み、一気に間合いを詰める。
一歩。それだけで間合いを詰めきったリディスは試験官の喉に向けて剣を突き付ける。
リディスの全ての動作が終わり、リディスのどこまでも冷たい視線が試験官を射ぬく。
そしてようやく自分の状況を理解した試験官は剣を落とし、唾を飲み込む。
「そ、そこまで! 勝者アインリディス!」
喝采や、リディスを称える声はない。
いや、何が起こったのか理解できていないのだ。
勿論何が起きたか理解出来た者も居るが、それはこの試験会場に居る中では二人だけだ。
少し離れた場所にニコニコ笑っている神と、驚いている学園長もいるが、此方は部外者なのでカウントしない。
剣を下げたリディスは一礼をし、受験票を返して貰ってからハルナ達の所へと帰っていく。
「あいつって……」
「ああ、あの落ちこぼれのはずだ」
「お前何が起きたか見えたか?」
「いや、気付いたら試験官の前に居たとしか……」
「不正よ。あの落ちこぼれが勝つなんてあり得ないわ」
周りから上がる声に肯定的なものはほとんどなく、どちらかと言えば否定的だろう。
普通ならば、リディスの名前が王国に広まる事はない。
魔法が使えないと分かったならば、直ぐに殺すか平民に落とすからだ。
しかし、バッヘルンはギリギリまで処分を後回しにし、その間にスティーリアが広めた。
落ちこぼれの存在は、貴族の子供達にとっては心の拠り所でもあった。
貴族社会とは相手を蹴落とし、のし上がるのが普通であり、自分達よりも下の存在が居るのは、自尊心を満たすのに丁度良かった。
だが魔法試験に続き、実技試験でもリディスは周りを圧倒する結果を出した。
何も知らない平民は純粋に驚くだけだが、プライドの高い貴族達の一部はリディスに敵意を向ける。
それが何を意味するかを知らずに。
「お帰りなさいませ。流石ブロッサム家の、バッヘルン様の娘で御座います」
「これくらい出来て当然です」
忠義に厚いメイドと、貴族らしい貴族であり、けれど誇示しない澄ました令嬢。
白と黒と対称的な髪の色合いながら、どちらも気品があり、見とれてしまうほどだ。
念話で煽りあっているが、外面だけは正に理想な主従の関係に見える。
「魔法だけじゃなくて、剣の方も凄いのね。もう少し爵位が低ければ、私の従者にしたのに」
「お戯れを。クルルさんこそが適任かと思います」
「アインリディス様。それは貶しているのですか? それとも煽っているのですか?」
「本心から思っていることです。私がアーシェ様の下で働けば、要らぬ騒動を招く事となるでしょうから」
クルルはリディスの目を追うようにして周りを見ると、リディスに向けられている視線が何なのかを理解した。
シリウス家は公爵の中でも貴族らしい貴族。公平で潔白な貴族と知られており、その精神は従者にも求められている。
つまり、他人から尊敬されるような人間でなければならない。
しかし今リディスに向けられているのは、畏怖や嫉妬。恐怖や懸念など、負の感情が多い。
僅かながら尊敬の念みたいなのもあるが、アーシェリア……シリウス家に仕える者としてはあまりにも……。
クルルはアーシェリアとは違い、本当に噂程度としてでしかリディスの事を知らない。
魔法が使えない貴族の落ちこぼれ。それだけだ。
なので、最初こそ素っ気ない態度を取ってしまったが、既にクルルはリディスの事を認めている。
リディスの付き添いとしているハルナに怪我を治してもらったのもあるが、リディスは今も周りで窺っている傲慢な貴族とは違い、真っ直ぐで飾らない、理想な貴族そのものだ。
従者に対しても見下すような態度をせず、アーシェリアに対しても分を弁えた対応をしている。
「……そうですね。少々嫌な言い方としてしまいました」
「構いません。周りからどう思われているかは、よく理解していますので」
「私は、アインリディス様は素晴らしい貴族かと思います。あれだけの噂がありながら、曲がることなく真っ直ぐと進み、力を示しました」
真っすぐな眼差しをクルルはリディスへと向け、自分の想いを話す。
力が無いと言われながらも、貴族としての責務を全うすべく努力した。
その姿は尊敬に値する。
リディスは一言ありがとうと返すが、その内心は罪悪感……いや、情けない気持ちで一杯だった。
勿論その想いを外には出さないが、自暴自棄となって悪魔召喚を行い、泣きべそをかきながら訓練して、今のリディスがあるのだ。
リディスからすれば、とても尊敬してもらえるようなものではない。
「それでは試験も終わりましたので、帰るとしましょう。アーシェリア様。また学園でお会いしましょう」
「待ちなさい」
試験も終わり、周りの試験生が寄ってくる前に帰ろうとするハルナを、アーシェリアが呼び止める。
しかし完全に無視を決め込んで、ハルナは歩いて行く。
ヨルムは直ぐにハルナと共に歩き始め、リディスは躊躇うものの、ハルナから送られた念話を聞き、直ぐに歩き始める。
此処に留まればどうなるかなど分かり切っているので、アーシェリアに従って待てば囲まれるのは目に見えていた。
試験中という事で皆遠慮をしていたが、終わってしまえば遠慮する必要はない。
アーシェリアが青筋を浮かべるのを我慢しながらハルナ達を呼び止めようとすると、試験を見学していた試験生達が群がって来た。
ついでに言えばリディスとアーシェリアを遮るように集まり、アーシェリアの足を止める。
魔法で吹き飛ばしたい気持ちを押し殺し、アーシェリアは屑達の相手をクルルに任せる。
上辺だけの言葉を聞き流し、最低限取り繕って返事をする。
今はまだ生徒ではなく、公爵令嬢なので、相応の対応をしなければならない。
だが、もしも入学してからも同じような事をしてくるならば、アーシェリアは無視を決め込むだろう。
こんな屑を相手にするよりも、ハルナやリディスと話していた方が数万倍も有意義なのだから。
「良かったの? アーシェ様を無視して逃げて来たけど?」
「巻き込まれたら面倒ですからね。あなたの姉もやはり噛んでいたようですから」
「えっ」
「ヨルム。ご褒美として、夜にパンケーキを焼いて上げましょう」
「うむ。楽しみにしておくのだ」
ハルナの突然の爆弾発言に驚くリディスだが、当のハルナはリディスの驚きを無視してヨルムと話す。
ハルナとしては別段話すような事ではなく、リディスの事を無視し続ける。
気付いていなかったというのならば、話さなくてもいいだろうと思っているのだ。
因みにもしも鎖による防御がなかった場合だが、魔法少女用の服の防御を越えることは出来ず、小さな痣が出来る程度のダメージしかハルナには通らなかっただろう。
つまり、試験官の攻撃は無意味だったのだ。
自らの足場を自ら崩し、あまつさえ審判には何をやったのか悟られてしまっている。
ハルナはやられた分を後でどうかえそうかと考えているが、ハルナが入学する頃にはすでに試験官を務めていた教師は居なくなっている事だろう。
何せ、学園長が見ていたのだから。