第96話:落ちこぼれのリディスの魔法
幸いなことに、吹き飛んだ人形は試験官達が話し始めてから直ぐに降ってきた。
威力を調整して壊れないようにしていたので壊れはしなかったが、戻ってきた時には既に色が戻ってしまっていた。
つまり、採点する事が出来ない。
こういった試験の場合、試験生側は一撃の魔法に全てを込める。
なので、二発目を撃たせると言うのは試験として公平性が問われかねない。
俺にとっては全く問題ないが、客観的に見れば二発目を撃たせるなんてことは出来ない。
話し合いが終わったのか、試験官の内一人が申し訳なさそうにしながら近寄ってくる。
「お待たせしてすみまんな。試験についてだが、合格基準は超えていると判断する。あなた次第となるが、特例として点数を八十点にするか、やり直しにするか選べるが……どうする?」
点数はアーシェリアよりも低くなるが、二度もやる程ではないし、要求を飲むとするか。
この後リディスの魔法を見て、どう反応するか楽しみだ。
「八十点で構いません」
「そう……か。此方の不手際で申し訳ない。入学した際には私の所に来てくれ。出来る限りの便宜を図ろう」
「分かりました」
運良く教師の一人に伝手が出来たな。
どんな人物かは、後でゼアーに調べてもらうとしよう。
最後に軽く頭を下げてからリディス達がいる方に振り向くと、能面のような無表情を浮かべているアーシェリアが居た。
どうやら結構ダメージを与えることが出来たようだな。
最後はリディスの番となるが、人形の固定が出来ないため、他の人形で試験をする事になる。
そのため、既に違う人形に向かって歩き始めているので、すれ違い様に煽ることは出来ない。
念話を使えば煽れるがな。
「随分とやってくれたわね」
「何のことでしょうか?」
「惚けるつもり? 私よりは上だと思っていたけど、当て付けるなんて何を考えていたのかしら?」
アーシェリアの試験が終わってから立ち去ったのはそこそこいるが、今も見物をしている試験生は多い。
落ちこぼれ認定されているリディスが何をするのか?
それを見届けようとしているのだろう。
周りの奴らの顔を見れば、リディスを貶しているのがよくわかる。
そして俺達の方に関心が向いていないため、アーシェリアはキレ気味に話しかけてくる。
「格を見せておこうかと。公爵令嬢であるアーシェリア様に私が何れくらい有能なのかと……ね」
「牽制ってわけね。それもクルルに対しての」
「どうでしょうね。それよりも、面白いショーが始まりますよ」
別にクルルの事はどうでも良いが、勘違いしているのならばそれで良い。
俺の言葉に別に深い意味はないし。
流石にアーシェリアに似ている人に対しての当て付けだと言っても、本人は意味が分からないだろうし。
俺とアーシェリアが話している内に、リディスが人形の前に立つ。
さて、練習の成果を発揮できるだろうか?
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人形に向かって歩くリディスは、周りから向けられる視線と言葉を聞いて、昔の事を思い出していた。
魔法が使えないと、結果が出た日から始まった惨劇。
姉からは肉体的に虐められ、他の貴族からは精神的に虐められ。
親からも見放され、味方は誰一人としていなかった。
何をやっても上手くいかず、勉強を頑張ったところで、誰も褒めてくれない。
一般の家庭ならば魔法が使えなかったとしても道はあるが、貴族は魔法が使えなければ価値などない。
だからと生きることを諦めきれなかったが、バッヘルンが下そうとしている決断を聞いたリディスには、何かを選び取る時間がなかった。
そして、最後の悪足掻きとして行った悪魔召喚。
それから始まった、これまでとは違う辛くとも暖かい日常。
ハルナが。ヨルムが。メイド長が。
「試験番号六百二十ニ番ですね? 受験票をお願いします」
「はい」
受験票の確認が終わり、後は魔法を放てば結果が出る。
今までのリディスならば緊張で固まり、醜態を晒してきたかもしれない。
しかし今ならば……。
スッとリディスが腕を振るうと、その手には杖が握られる。
その動きはとても滑らかであり、アーシェリアの時よりも召喚から手に持つまでの間が少ない。
ハルナに文句を言うのを止めたアーシェリアは、目を細めてリディスの持つ杖を見る。
素材は分からないが、杖を出す時に見えた魔法陣。
自分とは違い、魔導具を介したものではない。
ハルナの言っていた面白いショー。その意味が少しだけ理解できた。
「蒼溟たる時よ。須臾の輝きを放ち、無慈悲なる絶望を与えよ」
詠唱とともに青い魔法陣が人形を囲む様に現れ、ゆっくりと回転する。
「な、何だあれは!」
「ただの魔法なのに魔法陣が?」
「一体何が……」
魔法陣が現れた意味を理解できるものは、この場にはハルナ達三人しかいない。
試験官である教師達ですら、今から何が起きようとしているのか理解できない。
オリジナルの魔法と呼ばれるものは幾つもあるが、理の違う魔法なんてものは存在しない。
だから、誰も理解が出来ない。
アーシェリアもリディスが魔法を使えるようになった驚きや、杖を何もないところから取り出した驚きよりも、現れた魔法陣に対する驚きの方が大きい。
理外の現象と言えばそれで終わりだが、魔法の研究もしているアーシェリアからしたら、理解の出来ない魔法の存在が許せない。
「あれがハルちゃんの世界の魔法ね~」
「……あの杖は」
リディス達が居る広場を見下ろすことの出来る部屋で、シルヴィーと学園長は魔法陣を見ながら驚きの表情を浮かべている。
学園長からすれば魔法陣に対する驚きもあるが、リディスの持っている杖の存在が理解できなかった。
もしこの試験がもう少し遅ければ、杖については珍しい魔導具だと思う程度だっただろう。
だがつい先日、杖の素材を見る機会があり、遠目でも杖の異質さが分かった。
あの素材を杖という形にするのは、今の技術では不可能とされている。
しかし、そんな杖をリディスは操り、十全に性能を発揮できているように見える。
「あの子の試験結果は全部検査をよろしくね~。多分色々とあるから~」
「……シルヴィー様に頼まれたのならば、仕方ありませんな」
「|暗闇に囚われた少女の終焉!」
シルヴィーが珍しく神様らしい行動をしている間に詠唱が終わり、氷の檻が顕現する。
見るものを圧倒する檻の中に閉じ込められた人形目掛けて、氷の槍が四方八方から放たれる。
一本目で真っ赤に染まり、二本目で耐久限界に達する。
三本目の時点で人形はへし折れ、四本五本と続き、跡形もなく壊れていく。
「は、ハハ」
壊れ果てる人形を見て、誰かが笑いを漏らした。
そう、この場に居る全員が人形の性能を知っており、そう易々と壊せるものではないと知っている。
なのに、人形は原形を留めない程破壊され、今も終わることなく破壊が続いている。
だから、その人形に自分を幻視してしまった。
次は自分を虐めたお前達を壊してやる。
その様にリディスが言っていると、捉えてしまったのだ。
現在見物している貴族の中で、リディスを知らない者はほとんどいない。
一度はパーティーで会い、少なくない陰口を叩き、或いは面と向かって貶している。
荒れ狂う氷とは違い、リディスは涼やかな表情で構えていた杖を下ろす。
すると魔法が消え失せ、粉々となった人形が地に落ちる。
誰も言葉を発することなく、冷たい風が吹き抜ける。
「試験官さん。戻っても宜しいでしょうか」
いつの間にか杖を消したリディスは、貴族の仮面を被ったまま、試験官を呼ぶ。
「あ、ああ。戻って大丈夫です。その……いや、何でもない」
何かを言いたげにしながらも、言葉を告げることはなく、リディスが戻るのを許可する。
この一瞬で、誰もがリディスの評価を変えることとなる。
力あるものが正義であり、それを誇示したリディスを馬鹿に出来るものはこの場にはいない。
それはある意味幸運だったのかもしれない。
何も知らないものにとって、リディスは今までと変わらない。
リディスが学園に居る事に対して違和感を持ち、今までと同じ態度を取るだろう。
その先に待ち受ける絶望を知らずに。
圧倒的な魔法を目にしたアーシェリアは……いや、アーシェリアとクルルは何も言わずに、隣で佇んでいるハルナを見る。
「今のって、固有魔法って事で良いのかしら?」
「分類上そうなります。そして、それがこれまでリディス様が一般的な魔法を使えなかった原因ですね」
「……氷の強力な魔法を使えるというものですか?」
「違うでしょうね」
クルルの疑問に対して、アーシェリアはそんなものではないと即座に返す。
勘ではあるが、アーシェリアはリディスの固有魔法がそんな生易しいものではないと思ったのだ。
何故ならば、その程度でハルナが得意げにすることはないだろうという、信頼の様なものがあるからだ。
年齢と威力を考えれば、この魔法を使えるだけでも固有魔法としては破格と言えるのだが、それにしてはあまりにも異質だという点もある。
「流石アーシェリア様ですね。リディス様は少し特殊ですが、一定の法則を利用する事により、全ての属性の魔法を使う事出来ます。威力にも優劣はありません」
「そんな……」
「事があり得るんです。アーシェリア様も確かに天才なのでしょう。ですが、リディス様はその上をいきます。まあ、少々あれですが」
自分の前に上には上が居ると言って来るハルナに対し、アーシェリアは先程までとは違い、クスリと笑う。
ハルナがわざと煽ってきているのは分かっており、戦いに関しては自分ではリディスに勝てない可能性が高いと言われても、アーシェリアは力に関してはそこまで執着していない。
そして自分より天才が居たとしても、自分より人を扱う事に長けた人間はそうはいないという自負がある。
「フフ。あの子、ハルナと一緒に私が貰っても良いかしら?」
「強引な手を使わない限り、私から言う事はありません。ですが、見極めきれない場合、アーシェリア様の全てが無くなるかもしれませんよ?」
「その時はまた一から頑張れば良いだけよ」
「アーシェリア様……」
クルルはアーシェリアの物言いに不安を覚えるが、リディスの結果を前にして、これまでと同じ様な見下す態度は取れない。
八百長があった……何て事はありえない。
人形の耐久が他より低かったとしても、あれ程悲惨な壊れ方はしないだろう。
先程まではその余裕がただの強がりだと思っていたが、それは間違いだった。
「戻りました」
「流石リディス様ですね。誰の目から見ても満点かと」
「結果を出せるように訓練をしましたから。それよりも、アーシェリア様。移動した方が宜しいではないでしょうか?」
メイドであるハルナの褒め言葉に淡々と返し、公爵令嬢であるアーシェリアには下位の貴族として当たり前の態度を取る。
決して誇示するのではなく、ただ粛々と貴族としての責務を全うするような姿勢は、まるで氷の様に冷たく見える。
だからと言って、アーシェリアが気後れするような事はない。
「そうね。周りが煩くなる前に移動しましょう。それにしても、案外やるものね」
「ありがとうございます」
怒りの感情も、喜びの色すら出さずに小さく頭を下げる。
その事にアーシェリアは少しばかり違和感を覚えるが、気にせず歩き始める。
試験は後一つ残っているのだから……。