第89話:入学試験の朝
日が少しだけ顔を出し始めた朝。
とうとう……ついに……悲しい事に、この日が来てしまった。
そう、――学園の入学試験の日だ。
肉体的な疲労は全くないが、精神的には既に絶不調である。
始まってすらいないが、気持ち的には不登校の引きこもりになりたい。
諦めがついているとは言え、嫌なものは嫌なのだ。
駄駄を捏ねた所で喜ぶのはアクマとソラだけだし、さっさと朝食の準備をするとしよう。
昨日の夜は縁起を担ぐ意味を込めて親子丼を作ったが、今日は嫌がらせを込めて縁起の悪い料理でも作るとしよう。
ベッドから起き上がり、軽くシャワーを浴びてから厨房に入る。
空中で寝ているシルヴィーを無視してコーヒーを二杯淹れると、いつの間にか起きたシルヴィーが椅子に座っていた。
ツッコミたい点が幾つかあるが、面倒なのでシルヴィーにコーヒーを渡し、一服しながら朝食のメニューを考える。
縁起の良い料理ならばすぐに思いつくが、縁起の悪い料理は中々思いつかない。
「シルヴィー。縁起の悪い料理とか知っていますか?」
「う~ん。種族によるけど、タラを使った料理とかかな~?」
タラか……流石に今から魚を取りに行くわけにもいかないし、無理だな。
そもそもここは内陸なので、魚なんて中々お目にかかれないのだが。
タラと言ったらムニエルやボイル焼きとかだし、今日はボイル焼きモドキでも作るとするか。
1
サクッと朝食を作り、起きて来たヨルムに運ばせる。
そして食堂にはいつもの様にリディスとメイド長が居るのだが……ふむ、リディスはあまり緊張していなさそうだな。
俺なんて絶不調だと言うのに、大したものだ。
「おはようございます。本日は野菜とお肉の蒸し料理となります」
「そう。昨日の夜はがっつり食べたせいで胃が重いから良かったわ」
それなら朝からステーキでも作って、胃もたれさせれば良かったな。
その場合俺も辛いのだが。
「ハルナとヨルムは、準備は大丈夫ですか?」
「問題ありません」
「我もだ」
準備も何も、俺とヨルムはまったく問題ない。
いや、問題が一つだけあるな。
普通に問題を解けばかなり時間が余ってしまうので、間違いなく暇となる。
確か終わり次第部屋を出ても良いのだが、早すぎれば要らぬ注目を引く事になってしまう。
俺の場合はアクマ達と会話でもしていれば良いが、ヨルムは大丈夫だろうか?
それと俺とヨルムは一般枠だが、ジャックさんが推薦してくれているので、悲しいことに抽選漏れなどをすることはない。
一般枠は貴族の人数次第では、合格ラインに届いていても落とされることがあるのだが、貴族から推薦されていれば、基本的には落とされないのだ。
いつものペースで朝食を食べ終えて、少し濃い目に紅茶を淹れる。
「リディス様。学園へは徒歩で向かいますか? それとも馬車で行きますか?」
メイド長の質問にリディスは考え込む。
貴族ならば馬車で行くのが当たり前なのかも知れないが、色々と噂をされているリディスではいらぬ騒動を招くかもしれない。
かと言って歩いて向かっても、リディスの髪の色は目立つので、何が起こるか分からない。
やはりと言うかお決まりと言うか、光と闇の魔法を使える人はかなり少ない。
赤青緑黄系統の髪の色は見掛けるが、ヨルムや俺みたいな髪の色はまったく見たことがない。
更に言えば俺みたいな白髪はゼロだ。
どうしてだか分からないが、珍しいのは確かだろう。
まあ髪の色で属性が絶対に決まるとは言えないで、理由なんてどうでも良いだろう。
事実上リディスは、全属性が使えるわけだし。
ヨルムに限っては、種族固有魔法である隕石を降らしたりも出来るし、何なら転移も出来る。
「馬車で行くわ。この三人だとどちらにしても目立つから」
「そうですか。これから先、困難な生活になるかとは思いますが、応援しています?」
「…………まだ試験なのだけど?」
「魔法については見ていませんが、それ以外は間違いなく同年齢でも高水準となっています。それと、ハルナが問題ないと言っていましたので、心配はしていません」
リディスは照れるような表情をしてから俺を睨み付けてきたので、テーブルの下から伸ばした鎖で足を叩いておく。
王都に来てから魔法を見ていないが、この感じならば問題ないだろう
魔法の利点は、剣みたいに数日や数週間サボったとしても、あまり変わらない点だろう。
思考能力を落とさないようにしないといけないが、これまで練習漬けだったリディスにとって、この数日は良い休みになっただろう。
因みに学園までは歩いた場合約一時間。
馬車の場合、運が良ければ三十分位といったところだろう。
馬車専用の道があるにはあるが、学園の近くはどうしても混む……らしい。
日本でも昔はあった、通勤渋滞みたいな事が起こるのだ。
今の日本は人口が減ったのもあるが、一部の移動は転移装置が使えるので、車や電車などの需要があまりない。
俺の場合は気晴らしのために車での移動をしていたが、ある意味それのせいで殺されてしまったのだ。
これから先魔物の脅威が減り、人口が増えていけば、また通勤や退勤渋滞が増えるかも知れないな。
「馬車の準備をして参りますので、三十分程しましたら玄関まで来てください。それでは失礼します」
音も出さずに紅茶が入っていたカップをソーサーに戻し、メイド長は食堂を出ていく。
俺も皿を洗わないといけないし、厨房に行くかな。
「ねぇ。入学試験だけど、本当に大丈夫なの?」
「私とヨルムは手加減するので安心してください。それと、妨害があるようなら此方で処理しておきます。リディスはやれる事をやれば大丈夫です」
メイド長がいなくなり不安そうにするリディスだが、心配無用としか言いようがない。
首席については満点を取ったとしても、学園の上層部次第では取れない可能性があるが、手はいくらでもあるので問題ない。
子供の頑張りを無下にするような社会なのならば、俺が壊せば良い。
…………少し俺らしくないかもしれないが、俺は理不尽というものが嫌いだ。
姉が殺されたのも、社会の理不尽に起因するものだ。
俺の知らない所でならともかく、まっとうな理由以外で貶めようとするならば、俺も手を抜く気は無い。
まあ真正面からでも基本的に手は抜かないがな。
「そう……まあ良いわ。ところで、二人共服装はどうする気?」
「私はこのままです。出来れば制服なんかも着たくは無いのですが……」
「我も今日はこのままの予定だな。着替えるのも面倒だ」
「あなた達は……」
呆れ返っているリディスを放っておいて、厨房へと下がって皿洗いをする。
柔らかい鎖の魔法とか……いや、どちらかと言えば触手みたいな魔法が使えれば良いのだが、中々イメージが出来ない。
どうしてイメージ出来ないのか何となくわかっているが、やはり鎖だけでは不便な事がある。
まあ不便とは言っても自分の手でやれば良いだけなので、魔法に頼り過ぎるのも良くないだろう。
ところで……。
「シルヴィーはどうするのですか?」
「学園をふらふらしてるから気にしなくて良いよ~。今の学園長は知り合いだからね~」
ほぉ、知り合いねぇ……ならば後でお話を聞きに行くのもありだろう。
魔法少女になって訪れれば、顔が割れる心配もないからな。
……いや、下手にシルヴィーを使えばバレる可能性もあるな。
とりあえず様子見で良いか。
ゆっくりとやっていたが、皿洗いも終わってしまったし、行くとするか……。
「ヨルム。手出ししてくる馬鹿がいたとしても、基本は無視をするように」
「何故だ?」
「後々楽しむためです。仮に殴られても手を出さないように。どうせ怪我をしないのですから」
「分かった、マスターに従おう。我はマスターの僕なのだからな」
命令したら何故か気を良くしたヨルムが、鼻息を荒くして頷く。
使徒がそんな犬みたいに喜んでいて良いのだろうか……。
まあ気にしても仕方ない。
ヨルムを連れて屋敷を出ると、馬車の前にメイド長とリディスが立っており、俺達を待っていた。
「来ましたね。それでは乗って下さい。帰りは入学試験が終わる予定時刻に学園で待機していますので、歩いて帰らないようにお願いします」
「そんなわけするわけないでしょう。さっさと行くわよ」
全員で馬車に乗り込むとゆっくりと動き出す。
どうかリディスの姉…………スティーリアが何もしてこない事を祈ろう。