第86話:礼儀礼拝例外
「良い感じですね。それだけ踊ることが出来れば、学園で困ることはないでしょう」
一時間程色々なパターンで踊ったところて、やっとメイド長が終わりを告げる。
「次は高位貴族に対しての、礼節のおさらいをしましょう」
……休憩無しで次か。
一時間で切り替えているようだし、午前中はこれがラストとなりそうだな。
しかし、俺が言うのもなんだが、よく休憩もなく頑張れるな。
ヨルムは別として、リディスはただの少女だ…………と思ったが、よくよく考えれば俺の訓練の時も、倒れるまで休憩無しでやっていたな。
まあ俺の世界よりも、肉体的にこっちの世界の住人の方が強いのだし、問題ないだろう。
『一応言っておくけど、暴行罪や傷害罪とか普通にあるからね?』
(最後には傷一つ残っていないから、大丈夫だ)
仮に捕まったとしても、掠り傷一つ残していないので、証拠なんてない。
完全犯罪と言うわけではないが、誰かに見られない限り大丈夫だろう。
「良ければ私が相手をしようか~? これでも神様だし~?」
突如のシルヴィーの発言を受け、メイド長がどうにかしろと視線で訴えかけてくる。
残念ながら、俺に出来ることは何もない。
風は受け止めるか、受け流すしかないのだ。
「…………よろしくお願いします。シルヴィー様」
「任せてよ~。してもらうのは慣れてるからね~。王国式でも帝国式でも何でもこいさ~」
管理者は理外の存在なのでおいておくとして、実質的に世界で一番偉いのだから、慣れていて当然だろう。
これでやる側に慣れていたら問題発言だ。
そんなこんなでシルヴィーはメイド長の方へ、浮かんで移動する。
本日二度目だが、風魔法は日常的に使う分には良いな。
そんなわけで、急遽シルヴィーを相手に礼節の訓練をする二人。
これには流石のリディスも動揺を露にするが、神様相手に冷静に立ち回れるようになれば、王子程度の圧力なら笑って受け流せるようになるだろう。
ヨルムは相変わらずだが、やることはキチンとやっている。
ニーアさんはシルヴィーを相手にした時、かなり下手に出ていたが、これは金を出して貰った事だけが理由ではないだろう。
使徒と言う種に刻まれた何かがある……そんな感じがした。
そしてヨルムは一種の例外となるのだろう。
ニーアさんの話からの推測だが、神が態々人を育てるのはおかしいのだ。
まあヨルムは魔物だが、クシナヘナスを母親として慕っている。
どうして育てているのかまったく気にならないが、ヨルムにとって神とは親戚のおじさんおばさん程度なのだろう。
そしてシルヴィーは自分で言うことだけあり、中々様になっている。
クッキーを摘まみ食いする神の癖に、威厳がある。
神気には威圧効果もあるのだろう。
「午前はこれ位にしておきましょう。午後は軽く戦闘訓練をして、明日に備えて下さい」
二人がシルヴィーを相手に何種類かの謁見の礼法や、貴族に対してのやり取りの練習をしている内に、時間は流れて行き、午前中の訓練が終わりとなる。
こんな訓練を王都に来てからずっとやっていれば、ヨルムの目が死んでいくのも分かる。
人として生きる上で必要かと聞かれれば、多分いらない訓練だろうけど、やっておいて損はない。
さて、しっかりと頑張っているようだし、たまには好きなものを作ってやるとしよう。
「中々頑張っているようですね」
「……うむ……まあな。この程度我にとって造作もない……」
造作も無いとようには見えないが、ヨルムなりの矜持があるのだろう。
「たまには好きなものを作ってあげましょう。何が良いですか?」
「からあげを頼む」
即答したヨルムは洗われて萎れている犬から、散歩に出かける前の犬の様に一気に元気になった。
何とも現金な奴だが、まあ良いか。
「分かりました。それでは作りに行くとしましょう」
「うむ!」
「……私には聞かないの?」
リディスが何やらほざいているが、リディスの場合は責務であり、ヨルムの方は本当にただの勉強だ。
そこをはき違えてはいけない。
それでは、昼食を作るとするか。
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昼食の唐揚げ定食を作るついでに夕飯の下ごしらえも一緒にし、ティラミスモドキの下準備も並行して行う。
ヨルムが満面の笑みでからあげを食べる以外は何事もなく昼食を食べ終えて、皿洗いをしてからエルフの店の近くの路地裏に転移する……シルヴィーを連れて。
ちゃんと店の名前を憶えているが、長いんだよな……。
いつもの路地裏から出て店に向かうと、昨日と同じくリリアが外で待機していた。
一体いつから居るのだろうか?
「少しニーアさんに用事があるので、待っていて下さい。直ぐに戻ります」
「……ニーア様は夜まで本部に居る予定です」
…………そう言えばこの店って支店だったな。
オーナーであるニーアさんが、ずっと居るわけが無い。
我ながら失念していた。
まあ急ぎの用事ってわけでもないし、また後で良いか。
「……良ければ伝言を伝えますが、どうしますか?」
「いえ。夜にまた伺う事にします。どうせそれまであなたを鍛えるのですからね」
「本日もよろしくお願いします」
やる気十分なのは良いが、今いるのは店の前だ。
そんな所でエルフが人間相手に頭を下げれば、嫌でも目立つ。
現に大量の視線が突き刺さるのを感じる。
このまま路地裏から転移するのは悪手だな。
店内に入って上手く誤魔化すとしよう。
「顔を上げて下さい。それと、少々目立ち過ぎていますので、一度店内に入りましょう」
「す、すみません!」
うん。声をもう少し抑えようか。
これ以上簀巻きの刑にする奴を、増やしたくないんだ。
そんなわけでさっさと店内へと逃げ込み、リリアの案内で客間へと避難する。
ついでだし、山に行く前に確認しておくとするか。
「調子はどうですか?」
「何とか四つ同時に使えるようになりました。実戦で使えるかは何とも……」
それは上々だ。
出来ないならば先ずは訓練と思っていたが、これならば最初から模擬戦しても良さそうだな。
魔力を回復させるついでに残りの魔力量を確かめてみると、二割を下回っていた。
普通ならば頭痛や眩暈を感じる位減っているのだが、リリアは平然としている。
流石としか言えないな。
リディスの場合は限界まで振り絞れるけど。
「あっ、すみません。師匠に渡すものがあったので、少し待っていて下さい」
そう言ってからリリアは突如部屋を出て行った。
平気そうにしていたが、魔力不足で頭が回っていなかったのだろう。
茶の一杯でも飲みたい所だが、待つと……。
「戻りました。こちらをどうぞ」
なんて考えていると、直ぐにリリアが戻って来た。
その手には小袋が握られており、何やら香ばしい匂いを漂わせている。
……ああ、緑茶か。
ありがたく貰っておくとしよう。
「ニーアさんからですね。確認ですが、それが何か知っていますか?」
「はい。エルフの間で飲まれているエルフ茶です。飲むのは少数で、あまり人気がない商品となっています」
無駄にこの世界での名前と、俺の知っている名前がダブって聞こえたが、アクマの悪戯だろう。
折角なので、リリアをボロ雑巾にした後、シルヴィーと飲むとするか。
コーヒーの飲み過ぎは身体に悪いからな…………いや、成長しない身体には関係ないか。
「ニーアさんにお礼を伝えておいて下さい」
「はい……あの、師匠が飲むのですか?」
「基本的にはそうですね」
「…………人で飲めるのは珍しいですね」
考え抜いた末に出たのがその言葉か。
「苦いものは好きですので。あなたも結構好きなのでしょう?」
「それは……はい。甘い物も苦手ではないですが、私は緑茶が好きですね」
コーヒーをブラックで難無く飲めるわけだし、緑茶が好きだとしてもおかしくない。
味はまったく違うとはいえ、両方ともカフェインが入っているのは同じだからな。
ただ、緑茶とコーヒーは砂糖無しだが、紅茶はミルクを入れて飲むのが結構好きだ。
ストレートも悪くないが、紅茶は何かを入れてこそだと最近思うようになった。
元の世界で紅茶なんて、早々飲む機会がなかったからな。
緑茶をアイテムボックスに放り込み、軽く時間を潰してから裏手から外に出る。
それから裏路地に入り、山へと転移した。