第85話:お料理日和
ジェノベーゼとは、要はバジルソースみたいなものだ。
人を選ぶソースだが、個人的には好きだ。
バジルの風味に、チーズとオリーブオイルの香り。
ここにアクセントとしてニンニクが入るのだが、今回は少なめにしている。
因みに一番好きなパスタはボンゴレビアンゴだ。
アサリと白ワインのコクが何ともマッチしていて食欲をそそる。
ついでにアサリの酒蒸しもツマミとして好きだったが、今は酒が飲めない。
そのままでも美味しいのだが、あれを食べると酒が飲みたくなる。
そんな事を考えている内に、バジルの葉を色々と混ぜてジェノベーゼソースの出来上がりである。
厨房には何とも言い難い匂いが漂っているが、シルヴィーに換気してもらう。
風の魔法はあまり使ってこなかったが、日常使いでは便利に感じるな。
時間を確認してから、パスタを茹で始める。
パスタだけでも足りると思うが、買い置きしてあるパンも準備しておく。
茹で上がったパスタを皿に盛り付け、良い感じにソースをかけて完成である。
「……ハーブみたいな匂いがするな」
「丁度良いところに来ましたね。運んでください」
見計らったようにヨルムが起きてきたので、第二食堂の方に運んでもらう。
向こうは俺が作ったものなら、とりあえず食べてから判断するので、一々説明しなくて良い。
これまでの実績のおかげだが、釈然としない俺が居る。
「シルヴィーは先に、食堂に向かって下さい」
「は~い」
シルヴィーを先に行かせて、カートに料理を載せる。
全ての皿を鎖で運ぶ事も可能だが、万が一が起こらないとも限らないので、安全第一で運ぶ。
昔は常人ならば、潰れるか内蔵を吐き出すくらい締め付けてしまったことが何度かあった。
犠牲者はヨルムなので問題なかったが、魔法はほんの少しの気の緩みで失敗してしまう。
それは俺でも例外ではない。
「お待たせしました。本日はジェノベーゼのパスタとコーンポタージュになります」
食堂にはヨルムも含めて全員が席に着いており、シルヴィーとメイド長以外が…………ヨルムとリディスが顔をしかめる。
独特の匂いだが、味見をした身としては中々の出来映えである。
ヨルムならば問題なく食べられるだろう。
リディスは知らないけど。
「これは……バジルの香りですね。また面白い料理を……」
「あまり食べたくないけど……」
感心するメイド長とは別に、リディスはあからさまに嫌な顔をしてから食べる。
因みに今回パスタを作った理由だか、シルヴィーの意味の分からない頼みだけが原因ではない。
パスタの食べ方はマナーが試されるものであり、どれだけの訓練を積んだか確認するのに向いている。
フォークの使い方や、口への運び方。
ジェノベーゼは色が色なので、唇に付けばかなり分かりやすい。
ただ食べるだけなら良いが、会食の席等ではとても気を遣う。
……のだが、俺はパスタは箸で食べる派である。
流石にメイド長の前ではそんな食べ方をしないが、味見の時は箸で食べた。
一々フォークで食べるのとか、正直面倒くさい。
「……見た目と匂いはともかく、美味しいわね」
「ありがとうございます」
嫌々と言った感じだが、リディスは素直な感想を漏らす。
シルヴィーは例外として、ヨルムの食べ方は様になっており、見た目とは大違いである。
いや、見た目と言うよりは中身だが、今ならば貴族と言えば誰もが納得しそうだ。
リディスは貴族なだけあり、洗礼された所作だか、表情だけはな……。
今はスイッチも入っていないし、仕方ないか。
「匂いは酷いが……うむ……うむ」
「いや~本当に凄いね~。流石ハルちゃんだよ」
「サラダのアクセント位にしか思っていませんでしたが、悪くないですね」
ヨルムだけ黙々と食べているが、全体で言えば好評と捉えても良いだろう。
バジルでむわっとした口内をコンポタで中和し、朝食を食べ終える。
最後に紅茶を人数分淹れ、食後のティータイムに移る。
おそらくこの流れは、学園に入ってからも変わる事は無いだろう。
朝早くから学園に行かなければならない理由や、泊まり込みをしなければならない事が無い限り。
もしくはさっさとメイド長を騎士団へ戻せば、俺の朝はもっと楽になるだろう。
この人数の飯を作るのは、辛くはないが楽でもない。
何よりも、俺は決して料理が好きなわけではないのだ。
出来るならば、自分の分だけにしておいた方が、作る時間が少なくて済む。
「午前中は一緒に居るとの事ですが、訓練はどうしますか?」
「見学していようかと思います。それだけで大丈夫かと思いますので」
基本的な事は叩き込まれているし、何なら無礼を働いても問題ない力が有る。
まあ、これでも公爵令嬢からお墨付きを貰う程度には、出来ているがな。
リディスとヨルムが視線で俺もやれと訴えてくるが、無視である。
「それでは三十分後にリディス様の部屋に来てください」
「承知しました」
ティータイムも終わり、全ての皿を厨房へと運んで洗う。
皿洗いも手慣れたものだが、やはり食洗機が欲しくなる。
時間なんて幾らでもあると言っても、楽を出来る所は楽をしたい。
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「……むぅ」
ヨルムと一緒に皿洗いをした後にリディスの部屋に向かうのだが、ヨルムから行きたくないオーラが凄まじい勢いで吹き出ている。
小学生が学校に行きたくないと駄々をこねるよりはマシだが、やはりストレスが溜まるのだろう。
不機嫌と言っても歩く速度は変わらないし、唸るだけなので、まだ大丈夫かな。
そんなヨルムと一緒に、リディスの部屋に入る。
「来ましたか。これまで必要最低限の事は教えたと思いますので、今日は練度を上げていこうと思います」
リディスの部屋にはメイド長がスタンバイしており、リディスは動きやすい服装に着替えていた。
先日と部屋の内装は変わっていないが、テーブルの上には様々な厚みの本が積まれている。
既に何をするのか見当がつくが、練度というよりは無駄を削ぎ落そうと言った所か。
「リディス様はこの本を五冊乗せますので、崩さないように歩いて下さい。ヨルムは十冊です」
「……分かったわ」
「……うむ」
どちらもやる気十分……と言うよりは渋々頷き、本を頭に乗せて貴族らしい歩きや動きをする。
俺もやらされたことだが、本を頭に乗せて動くのは物凄く難しい。
今でこそ問題なくできるが、練習量で言えばこの中で一番だろう。
ただの一般人が、本を頭に乗せて動くなんてそうそう出来る技ではないのだ。
それにしても、ヨルムが十冊って事は、リディスよりもヨルムの方が練度が高いって事か。
元々魔物なので、体幹はしっかりしているだろうし、バランス感覚もクシナヘナスに鍛えられている節がある。
これ位出来てもおかしくないが…………いや、どう考えてもおかしいのだが、気にするだけ無駄か。
俺の場合三冊を超えると首が痛くなるので、この身体が貧弱なのだと、改めて理解した。
最初の説明でも身体の強度は、この世界の人間よりも低いと言われていたが、リディス以下なのがな……。
個人的にはメリットだが、つるペタ身体だし。
『私だって成長すれば、人並み以上にはなるのよ!』
(残念だがこの身体は成長しないので、ずっとこのままだよ)
ソラの栄養を奪えば一時的に成長するが、生憎不老なので、ずっとこのままだ。
…………あっ。
ふと思い出してしまったが、この世界で使っている光魔法の鎖は、他の世界に行けば使えなくなってしまう。
この鎖は魔法少女の状態でも似たようなことは出来るが、これ程まで自由に扱うことは出来ない。
今はまだ良いが、将来的に依存しすぎるのは悪いだろう。
「良いですね。次はダンスに移りましょう。ハルナ、本をお願いしますね」
紅茶を飲みながら優雅に二人を観察していると、メイド長から命令されたので、鎖を使って二人の本を頭から下ろす。
他人が頑張っているのを見ながら飲む紅茶は、格別だな。
本は俺が使っているテーブルの上に戻し、リディスとヨルムは手を取り合う。
「最初はリディス様がリードしてください。先ずはクイックからです」
個人的に作法よりも嫌いなのが、今二人揃って嫌々ながらもやっているダンスだ。
貴族制度とはほぼセットであるダンスだが、基本的に男女で踊る。
それなりに種類があり、一応メイド長にやらされて一通り覚えたが…………我は男ぞ?
何故男なのに、男と踊らなければならない?
それと、俺は他人が近くに居ることに耐えることが出来ない。
心を無にしている時はともかく、ダンスなんてのはもっての外だ。
まあ、だからと言って女と踊りたいわけではないが、あまり人と馴れ合うのが好きではない。
社交性は大人になったことで身に付けたが、やはりトラウマとはそう簡単に克服できるものではない。
姉が死に。両親が死に。
これが事故ならばまだ良かったが……まあグダグダ言っても仕方ない。
俺はアニメの主人公ではない。
仲間の死を受け入れることは出来ても、乗り越えることは出来ないのだ。
「次は逆。ヨルムがリードして下さい。ワルツです」
メイド長が手拍子でリズムを取り、俺から見えも素晴らしいダンスをする二人。
ダンス自体は良いのだが、表情が死んでいる。
最近リディスは、メイド長の前でも取り繕う事が無くなってきているが、大丈夫なのだろうか?
今日作ったばかりのクッキーを厨房から鎖で手繰り寄せ、紅茶を飲みながら齧る。
ココアの風味が、紅茶に案外合う。
「美味しいね~。流石ハルちゃん」
「零さないようにしてくださいね。掃除が面倒ですので」
クッキーと一緒にシルヴィーがくっついてきたが、無視である。
メイド長が何とも言えない視線を向けてくるが、これも無視である。
一応メイド長が居るので、渋々シルヴィーにも紅茶を出しておく。
魔界の借りがあるので、俺から自主的に追い出す気はないが……自由な奴だ。
「若い子が頑張る様は、いつ見ても良いね~」
「頑張っているのは確かですが、あの表情を見てよく言えますね」
真面目な表情や、食いしばっているならその言葉を吐いても良いが、残念ながら二人にはやる気のやの字も無い。
その癖きっちりとキレのあるダンスを出来ているのは、メイド長の腕があってこそだろう。