第67話:バレなければセーフ
「テレサ!」
テレサの名を呼びながらルシアと、いつの間にか遠目に見ていた兵士達が寄ってくる。
お漏らしの証拠隠滅は何とか間に合ったな。
「傷は無いので安心してください、髪は少し切れましたが、細事でしょう」
「……テレサ?」
「大丈夫です……ハルナ……の言う通り、怪我はありません」
よろよろと立ち上がったテレサは無事を知らせるように、ルシアに力の無い笑みを向ける。
俺に向けていた敵意は、完全に無くなってくれたようだな。
「そう……テレサ。確かにあなたは、我が国の同世代の中では一番強いでしょう。ですが、例外も居るのです。短慮を起こす前に、しっかりと考えるようにしなさい」
「……はい」
ルシアが母親らしくテレサを叱り、テレサは俯きながら身体を震わせる。
俺の気分が良かったから良いものの、相手次第では悲惨な結末が待っていてもおかしくない。
若い内にしっかりとしつけをしておくのは大事だ。
まあ、見た目通りの年齢ではない可能性はあるけど。
しかし無傷ではあるが、この様子では魔界について聞くのは無理そうだな。
元々期待してなかったし、街の中をぶらついたら、買い物……は流石に通貨が違うだろうから無理か。
ベヒモスとやらを狩ってから帰るとしよう。
「それでは私はこれで失礼します。それと、負けたときの事は気にしないで下さい。これ以上鞭を打つ気はありませんので」
「……いえ、約束は守りますわ。こ、これくらいでへこたれる程、柔ではありませんもの」
柔ではないと言うが、今も膝が震えているんだよな……。
どうするのかとルシアを見るが、難しい顔をしている。
普通ならば無理をするなと言うのだろうが、此処は魔界だからな……。
「テレサ。無理はしなくても良いのよ、相手は先程言った通り例外ですもの。私ですら、勝てるか分からないもの」
「ルシア様!」
完全に外野だった兵士が、驚きの声を上げる。
女性の悲鳴もそうだが、男の野太い悲鳴もあまり良いものではないな。
「大丈夫ですわ、これでもお父様とお母様の娘ですもの。ハルナ! 行きますわよ!」
此処に来る時とは違い、テレサは俺の服を掴んでずんずんと歩く。
ルシアはやれやれと言った感じで額に手を当てているが、大事な娘さんを俺と一緒にして本当に良いのだろうか?
前を歩くテレサの顔は伺えないが、耳が真っ赤に染まっている。
……ふむ。俺を残して置いては、先程のおもらしの事を話されるかもと危惧したって所か。
振り払っても良いが、ここは付き合ってやるとしよう。
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テレサに連れてこられたのは、リディスの部屋とは違い少女趣味溢れる、ファンシーな部屋だ。
目が痛い程ではなく、少しぬいぐるみが多い程度だ。
魔界の癖にと思わなくないが、俺の頭の中にある魔界の先入観とは違うな。
多分地上よりも、俺の世界の感覚に近い気がする。
「おほん。さっきは……その、ありがとうね。でも、あれはやりすぎじゃないかしら!」
部屋について鍵を掛けると、テレサは謝ってから怒ってくる。
サタンやルシアから、お灸を据えてくれてと言われたのだから仕方ない。
しかし、部屋という閉鎖空間に来たせいか、土の匂いが鼻を突くな。
揶揄うついでに、さっさと着替えてもらおう。
「しっかりとバレないように隠滅をしましたが、流石に着替えた方が宜しいかと思います。」
「ななな何を言ってるのよ! ちょっと待ってなさい、直ぐに着替えてくるから!」
ゆでだこの様に顔を赤くしたテレサは、鍵を開けてどっかへと走って行ってしまう。
慌てず冷静に考えれば、俺に綺麗にしてもらうって発想も出ただろうに……若いな。
『どう考えてもハルナがおちょくったせいだよね?』
(子供は大人に揶揄われる事で、大人になるんだよ)
俺の場合は大人というよりは魔法局という組織のせいだが、あれのせいで随分酷い目に遭った。
エルメスのせいもあるが、学生の頃はただ生きるためにだけに生活し、大人になってもそれは変わらない。
唯一仕事をしている間は何もかも忘れていられたせいで、仕事人間になってしまったが、人とあまり関わりたくないので、フリーランスの設計になった。
そのままつまらない人生が終わると思ったが…………今ではこれだからな。
戦いだけは楽しい。
「待たせたわね! それで、何から教えればいいかしら?」
十分ほどでテレサは戻ってきたが、着替えるついでに風呂にも入って来た様だな。
いや、シャワーだけかもしれないが、そこまでは気にしなくていいだろう。
俺が知っているのは魔界に居る魔王の数と名前。それから悪魔のざっくりとした階級。
それとシルヴィーから教えてもらった悪魔の生い立ち。
生活様式や世界として見た場合の、魔界の事はほぼ知らない。
地上で読んだ本は、基本的に召喚された悪魔のことだけだったからな。
さて、話を聞く前に茶を淹れておくか。
「話の前に紅茶を淹れてきます。聞きたいことは、それなりにありますので」
「……ハルナはそんな事も……って、その服ってメイド服ってモノかしら?」
「名称上はそうなります。色々とありますので、サタン様の事を思うなら、私の事を聞かない方が良いですよ」
部屋にある簡易キッチンでお湯を沸かし、いつもの要領で紅茶を淹れる。
茶葉や水がいつものとは違うので心配だが、流石に飲めない代物とはならないだろう。
因みに作業は鎖を操って行っている。
「器用と言うか、天界ではあなたみたいなのは他にもいるの?」
「いないと思います。ルシア様が言っていた通り、例外とだけ思っていただかれば。こちら紅茶になります」
話しているうちに淹れ終わり、テーブルにおく。
そして向かい合う様にして座った。
さて、先ずはあれから聞くとするか。
「……普通に飲めるわね」
「これでもそれなりに練習していますので。さて、先ずはこの国の身分制度について教えていただけますか?」
「分かったわ。少し待ってなさい」
リディスの部屋程の量ではないが、テレサの部屋も立場に相応程度の本棚がある。
そこから本を数冊抜き取ったテレサは、俺の隣に座って本を開く。
妙に近い気がしなくもないが、それよりも話を聞こう。
「魔界は基本的に王をトップにした王制をとっているわ。その下に貴族もいるけど、基本的に種族毎に分かれているわね。各種族を各種族のトップたる貴族が管理し、その上に王が居るわ」
窓から見た限り、確かに多種多様な悪魔が居るから、各種族毎に集まって暮らす必要はあるだろう。
「なるほど。因みに呼称は全て悪魔で良いのですか?」
「何言っているのよ。悪魔は魔力が形を持った存在の呼称で、それ以外はちゃんと名前があるわよ」
なるほど。
「そうなのですか。そうなると、サタン様の場合はどうなるのですか?」
「お父様の場合、詳しくは知らないけど堕天使らしいわ。地上で悪魔を倒す際に、仕方なかったとはいえ味方を殺してしまったってお母様が言ってたわ。それで自分から魔界に堕ちたらしいわ」
俺の中でサタンと言えば七大悪魔の印象が強く、堕天使と言えばルシファーが最初に出てくる。
まあアルカナもそうだが、神とか悪魔もそんなに詳しい訳ではないので、そういうものだと納得しておこう。
異世界だし。
「なるほど。他の国も同じですか?」
「基本はそうね。ただ、国によっては一部の種族が来るのを禁止していたり、知能の無い悪魔についての取り決めが違うわね」
「悪魔は魔力が形を持ったものと言っていましたが、具体的にはどんな存在なのですか?」
「地上から落ちてきた悪意に塗れた魔力が形を持ったのが悪魔よ。形は千差万別で、下級から上級までで分別しているわ。知能があって弁えているのは国民になれるけど、他は見つけ次第討伐対象よ。詳しくはこの本を読んでみて」
魔界の歴史と書かれた本に、目指せ平和な魔界と書かれた本を渡される。
パラパラと軽く捲ると、思いの外しっかりと書かれているのが分かる。
街を見た時に思ったが、文化レベルは結構高いみたいだな。
文字も活字みたいだし、印刷の方法が確立されているのだろう。
「……そんなに早くて理解できるの? ……んっ、中々紅茶美味しいわね」
「茶葉が良いからでしょう。覚えるだけなら問題ありません」
地上に召喚されるのは知能の無いとされている下級などだが、おそらく魔法陣側で一定以上の知識をインストールしているのだろうな。
戦ってみた感じだと、あれでは話すら出来そうにない。
まあ悪魔とは、俺の世界の魔物とでも思っておけば良いだろう。
フユネの気が納まるので分類的には人でもあるが、感情の塊みたいなものだからな。
そして天界が魔法局で、地上が実験場……いや、生産場と言ったところか。
魂や魔力を循環させることで、星を保っているのだろう。
やはり最初に答えを提示されるよりも、自分で探して考えた方が面白いな。
間違っていたとしても問題がある訳じゃないし、暇潰しになる。
「ねっ、ねえ」
「どうかしましたか?」
両方とも目を通し終わったところで、テレサが耳を赤くしながら話しかけてくる。
「さっき使っていた剣って一体何なの? 私のヘリアンサスをスパスパ斬れるなんて……はぁ……」
「魔物と特殊な素材から作った武器ですね。武器としての性能は格別かと」
ルシアやテレサの反応を見るに、脅しとして使うのは十分のようだ。
地上でもおそらく通用するだろう。
……武器に名前があるってことは、特注品の武器だったんだろうな。
十等分位にしてしまったし、もう使うことは出来ないだろう。
『幼気な少女の大切な物を奪っておいて、謝罪の一つもしないんだー』
(珍しく声を掛けてくるのは構わないが、育った瞬間に奪うぞ?)
ソラがニヤニヤしてそうな声で話し掛けてくるが、魔女がいるならともかく、いないこの世界ならいくらソラの栄養を奪っても問題ない。
馬鹿なソラは一旦放っておくとして、模擬戦で自分の武器を持ち出したテレサが悪いが、だからと言って修復不可能にした俺が悪くない訳でもない。
さて、どうしたものか……。