第60話:動き出す王国
優雅なティータイムを終えて、メイド長達が帰ってくる前に片付けと換気を済ませる。
勿論歯を磨く事も忘れない。
コーヒーを飲んだら歯を磨くのは、俺とアクマの約束事である。
光の魔法に汚れを除去するのがあるが、口臭までは消せないので歯磨きとうがいは必要なのだ。
メイド長にコーヒーの事を教えても良いが、まずはヨルムが一度目の収穫を終えて、もう少し生産量を増やしてからだ。
それまでは俺一人で……多分この三人で楽しむことになるだろう。
とりあえずヨルムには再び収穫へ行ってもらい、シルヴィーの部屋を整えておく。
掃除はしたので綺麗だが、昨日は客間まで整える余裕はなかったので、調度品の類は全くない。
何なら布団も無いので、メイド長が買ってくるはずだ。
しかし、シルヴィーか…………あれだけポヤポヤしている人を、これまで見たことない。
「あ~。もう一杯貰えない?」
「今日は我慢して下さい。そんなに量がある訳ではないですからね」
いつの間にか浮かんでいるシルヴィーは、俺の肩に手を置いて付いてくる。
重さが無いからまだ良いが、邪魔になるようなら鎖で簀巻きにしてやろう。
まるで浮遊霊みたいだが、これでこの世界の神様だと言うのながら、部下の天使達は苦労しているのだろう。
「ただいま帰りました。……アインリディス様とヨルムはどうしましたか?」
「お嬢様は気絶したままで、ヨルムは少しお使いを頼みました」
あまりもので最低限客間を整え終えた所で、メイド長達が大量の荷物を抱えて帰ってきた。
三人の視線は俺の後ろに浮かんでいるシルヴィーに向いているが、敬うべき神が何をしてるんだと思っていそうだ。
色々とあったせいか既に日は沈み始め、一日目が終わろうとしている。
まさか、ギルドに顔を出しただけで終わるとは思わなかったな……。
先程軽く摘まんだが、もうそろそろ夕食の準備をしなければならない。
「もう直ぐ夕食の時間になりますが、カイルさん達はどうしますか?」
「今日はこれで帰らせてもらうよ。帰ってきたアンリ達とも打ち合わせをしないといけないからね。また明日……で良いのかな?」
「そうですね。あの二人の結果をお聞きしませんといけませんし、シルヴィー様の件も話しておいた方が良いかもしれませんからね」
カイル達は返事をし、荷物を全て下ろしてから帰って行った。
折角助けたのだから、これから俺の代わりに苦労して欲しい。
「私はベッドの準備などをしますので、ハルナは夕飯をお願いします」
「分かりました。一番近い客間を整えてあるので、そちらにお願いします」
「色々とありがとうね~」
残りの事はメイド長に任せて、厨房に向かう。
こう何度も料理していると思うのだが、母親とは凄い存在だ。
毎日朝食や夕食を作り、尚且つ飽きないように工夫を凝らしていた。
それに今思い出すと、栄養もそれなりに取れるように気を付けていたように感じる。
一人暮らしの頃はそれなりに料理をしていたが、栄養なんて野菜ジュースで良いだろうと、適当に作っていた。
何なら、外食をすることもそれなりにあったし、日によっては栄養ドリンクだけで過ごしたりもしていた。
料理って結構面倒なのだ。
夕飯は野菜が取れるポトフと、ハンバーガーモドキで良いだろう。
コンソメは屋敷で大量に作ってあるので、温めて食材を入れれば良いだけなので、お手軽だ。
「へ~。料理も出来るんだね~」
「一人で生きていく上で、ある意味必須ですからね。今更ですが、夕飯は食べますか?」
「もちろんだよ~」
「でしたら、屋敷の人達に食堂へ来るように声を掛けて来て下さい。もう出来上がるので」
「それ位お安い御用さ~」
気を抜いていなかったはずだが、シルヴィーはまるで風の様に消えてしまった。
裏庭に現れた時もそうだが、現れたり消えたりする時に予兆が一切ない。
この能力を戦いで使われれば、中々厄介な相手となりそうだな。
そんな事を考えながら食堂に料理を運んでいると、屋敷のあちこちから悲鳴が響いてきた。
……あっ、そう言えば他の使用人達に、シルヴィーの説明をしていなかったな。
まあこれで紹介の手間も省けたし、よしとしよう。
大体の準備が終わり、最初にメイド長とヨルムが食堂にやって来た。
二人は特に気にしていないな。
それから少し疲れている感じの使用人達が入って来て、シルヴィーとリディスがやって来た。
恨みがましい視線をリディスは向けてくるが、無視である。
「本日のメニューはポトフと合挽き肉を使ったハンバーグとなります」
「ありがとう。それではいただきましょう」
一応貴族であり、偉いリディスが音頭を取って食事を始めるのだが、使用人達はなんとも言えない視線をシルヴィーに向けている。
リディスはその視線の意味が分かったのか、苦い顔をしながら口を開く。
「その方は神であるシルヴィーナロス様よ。暫くの間此処で暮らすことになったわ」
「よろしくね~」
何人か気を失いそうになっているのがいたので、そっと鎖を当てて気付けしておく。
いきなり神様が一緒に暮らす事になるなんて知れば、驚くのも仕方ない。
明日からシルヴィーとは分けて、食事をさせた方が良いだろうな。
メイド長ですらあの反応だったし。
「先ずは食事を済ませましょう。冷めては勿体ないですからね」
メイド長が取り成し、食事を始める。
因みに料理は食べ始めるまで、魔法で熱々にしている。
冷める心配はなかったりする。
神なだけあり、シルヴィーの作法はしっかりとしている。
ちゃんと宿泊代も払っているし、案外しっかりとしているようだな。
所謂やれば出来るが、やらない人と言った感じか。
騒動を起こす人間よりはマシだが、神様なんてのは居るだけで騒動の元みたいなものだし、フユネの件がなかったらさっさと追い出すのに……。
「いや~。色々と食べてきたけど、その中でも上位に入る美味しさだね~。これなら毎日食べたい位だよ~」
「他の方にお願いしてください。私は本職ではないので」
メイド長も含め、使用人達の顔色が悪くなっているが、残念ながら神を敬う気などない。
いや、相手が尊敬できるような相手なら敬ってもいいが、シルヴィーを相手にしてはな……。
その点クシナヘナスは尊敬しても良いと思える。
コーヒー豆もくれたし、少々戦いが不完全燃焼だったが、それでも満足できる戦いだった。
「ハルナ。あまりシルヴィー様にその様な態度は……」
「別に良いよ~。神様だからって別に偉い訳じゃないし、気にするのはソルちゃん位だよ~」
「……」
メイド長がとても遠い目をしているな。
あれはもう諦めたって奴だろう。
それから軽く談笑しながら食事を終えて、ヨルムと一緒に食器の片づけをする。
シルヴィーは厨房の邪魔にならない所で浮いている。
「そう言えば魔力を感知したと言っていましたが、近くに居たのですか?」
「うん? そうだよ~。お城で昼寝してたら変なのを感じてね~。噂を聞いていたからもしかしたらと思ってさ~」
城か……確か王子が四人と、王女が二人いるんだったかな?
第三が今学園に居て、第四が今年入学予定って事だけは覚えているが、他はあまり覚えていない。
しかし……。
「勝手に居なくなって大丈夫なんですか?」
「何か仕事しているわけじゃないし大丈夫だよ~。別に国に属してもないしね~」
それなら良いが、メイド長や使用人達の反応を見るに少し心配になる。
それに、人の想いってのは案外厄介だったりする。
シルヴィーが思っている事が、相手も思っている事と違うなんて事は大いにあり得る。
「ところで、デザートとかってないの~」
……仕方なくパンケーキを焼いてから、コーヒーを淹れて三人で食後のティータイムをした。
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ハルナ達がコーヒーで一服していた頃、ハルナの予想は大方当たっていた。
「何? シルヴィーナロス様が居なくなった?」
「はい。挨拶もなく、ふといなくなりました」
王城にてそんな会話がされ、報告受けた男であり、この国の王であるモーダント・オルトレアムは、顎を手で撫でる。
シルヴィーはときたま王城にふらっと現れ、適当に寛いだ後に居なくなる。
普通なら神とは言えあまりいい気分ではないが、シルヴィーはしっかりと対価を払っていた。
裏庭でリディスに渡したように、稀にだがコランオブライトを渡していたのだ。
一粒で贅沢な暮らしが出来るものなので、モーダントとしてはいつでも何度でもシルヴィーにはいて欲しいし、来て欲しいと思っている。
そしてシルヴィーは、いなくなる時は必ず一言言ってから消えるのだ。
だが、今回はそれが無かった。
何故だと疑問に思うのは当たり前で、不安に思うのも仕方ない事だ。
「無いとは思うが、誰かがシルヴィーナロス様に不敬を働いたなどないな?」
「ハッ! ご命令通り王に連なる者と、一部のもの以外近づかないようにしていますので、その様な事は無いかと」
「ふむ……」
逆に言えば、その中に失礼を働いたものがいるかもしれない。
そう捉えることも出来る。
大っぴらではないが、それとなくモーダントは我が国には神が居て下さるから安心だなんて、一部の貴族に囁いていた。
もしもこのまま、シルヴィーが国に来ることが無くなれば……。
今の代は良いが、次代には間違いなく悪い影響が出るだろう。
如何にかせねばとモーダントは頭を悩ましていると、先日大きなコランオブライトを献上された事を思い出す。
いつもシルヴィーから代金として貰ているモノよりも大きく、息子の結婚式に送ろうと思っている品だ。
どうやって手に入れたかは分からないが、あれだけ大きなものは、ダンジョンからだって見つかる物ではない。
神と……関わりがある可能性が高い。
急ぎというわけではないが、何故急に居なくなったのかが気になる。
「報告は以上となりますが、如何なさいますか?」
「シルヴィーナロス様の気紛れなだけだろう。あの方は風の神様だからな。別件だが、ブロッサム家を知っているな?」
「はい。高位貴族で知らない者は無いかと」
今モーダントに報告しているのはとある侯爵家の次男であり、その誠実さから近衛として抜擢されている。
なので、先日バッヘルンが知らぬ間に献上された、コランオブライトの事も知っている。
「確か騎士の方で送っていた者が居たと思うのだが、報告は来ているか?」
「それらしいことは何も。ご令嬢の一人が入学するとの事で、一人は王都に戻って来ていますが……」
そこで言葉を区切り、少し苦い顔をする。
バッヘルンから送られて来たコランオブライトの件から、ブロッサム家を探る物は多い。
少しでも弱みを。或いは近づくためにだ。
その中で得られた情報の大半はしょうもないものだが、その中でも三人の子供の件は、貴族間でも噂されるほど広まった。
その中でもリディスの件は、貴族の子供の間にまで広まっている。
貴族に取って子供は、一種の政治の道具である。
大切に育てるが、意にそぐわないなら処分するのも仕方がないと認識されている。
リディスは魔法が使えず、だからと言って特異な能力があるわけでもない。
母親であるクエンテェの美貌は引き継いでいるが、それだけでは貴族としての価値は低い。
そんな人物の事を、王に話すのは躊躇われたのだ。
「そうか……後でその騎士と娘。それから身の回りの調査をしてくれ。何かあれば、私に直接報告しろ」
「承知しました!」
シルヴィーが居なくなった事により、リディスやゼルエルを取り巻く情勢は、慌ただしく動くこととなる。
それが良いことなのか、それとも悪いことなのか……。
ただ、ハルナやアクマが望むような、面白い状況になるのは間違いないだろう。