第59話:念願のコーヒー
目覚めないリディスをヨルムに運ばせ、俺とシルヴィーは客間で向かい合って座っている。
一応シルヴィーは客となるので、紅茶とクッキー程度は出しておいた。
ついでに紅茶用の砂糖とジャムも。
「それで、態々私に会いに来たのはなぜですか?」
「だってあのクシーちゃんを負かせる人が居るなんて聞けば、会ってみたくなるでしょ~?」
クシー……クシナヘナスの事か。
クシナヘナス本人が話したとは考えられないし、そう言った情報を知る手段を持っているのだろう。
「あまり迷惑を掛けないでいただくと、ありがたいのですがね」
「いや~。ふらふらしていると部下の天使達が追いかけてくるからさ~。かと言って神だから中々頼れる人もいないんだよね~」
それはそうだろう。部外者の俺ならともかく、この世界の生き物にとって神は絶対の存在だ。
ただの依り代で、本体は別に居るとしても、対応は変わらないだろう。
まあシルヴィーが住むのはもう諦めるしかないが、心配事が他にもある。
「因みにですが、その天使達が何かしらの勘違いをして襲ってくるなんて事は無いですよね?」
偉い人を匿っていたら、勘違いした馬鹿が襲ってくるなんて事もありえる。
正直俺としては大歓迎だが、刺せる釘は刺しておかなければならない。
「うーん。基本的には無いけど、ハルちゃんは襲われる可能性があるかもね~」
「迎撃しても?」
「殺さないでくれるなら良いよ~。あっ、この紅茶美味しい」
ハルちゃんとはまたおかしな呼び方だな。
つか、ちゃん付けで呼ばれるのはやはりむず痒い。
「ありがとうございます。それで、先程の話の続きですが……」
「ああ、あれね。ハルちゃんの中に困った子が居るでしょ? その子の機嫌を取ることが出来るかもよ~」
……フユネの事か。
今の所困るほど暴れてはいないが、最近は満足できる戦いが出来ていない。
もうそろそろ戦闘欲求が出て来てもおかしくないだろう。
だが、このポヤポヤしている神を信じるのもな……。
フユネは俺の憎悪から生まれた存在であり、普通そんな感情は捨てた方が良いのかもしれない。
しかし俺には自分自身が理解できないとしても、その感情が必要なのだ。
魔法少女とは想いが力になり、想いなんてのは良い感情でも、悪い感情でもどちらでも問題ないのだ。
それに、フユネの剣は魔女に効く可能性もある。
「一応聞いておきますが、その方法は?」
「私の権能はどこにでも行ける事と、どこにでも連れて行けるものなんだけど、魔界でならいくら戦っても問題ないわけで~」
なるほど。魔界で戦う分には誰にも知られる事は無いし、悪魔に知られた所で問題ないだろう。
だが、悪魔は名目上魔物なのではないだろうか?
魔物ではフユネは十全に力を発揮できないし、発散されることも無いだろう。
「魔物が相手では意味が無いのですが?」
「大丈夫だよ~。魔界に居る悪魔って、要は天使や人間のなれの果てだから、分類上は人みたいなものなんだ~。勿論例外は居るけどね~」
なるほど。最低限の情報しか調べていなかったが、そういうものなのか……試してみる価値はあるか?
(エルメス)
『繋げてあるです』
アクマと違い、エルメスは仕事が早くて助かる。
『話は聞いていたわ。もう数ヶ月経つと言うのに一度として剣を振れていないし、試してみるのも有りね。暴れても良いって許可もくれているみたいだし』
本人は割りと乗り気か……。
フユネの力を使うと、俺の精神が女性側に大きく引っ張られるので少し苦手だが、折角戦えるのだし妥協しよう。
「ならばお願いします。流石に今直ぐとはいきませんがね」
「私としてもハルちゃんに暴れられても困るからね~。ハルちゃんが居た所に比べれば、こっちは結構平和だからさ~」
「そちらの上が無茶振りをしない限り、私からどうこうする気はありませんよ。一応詫びも貰っていますからね」
リディスをベッドに放り投げたであろうヨルムは、今頃コーヒーの収穫や乾燥作業をしているだろう。
どんな味のコーヒーになるか、今から楽しみである。
「そう~? とりあえず言ってくれればいつでも連れて行ってあげるからね~」
そう言いながら飲み終わったカップを差し出して来たので、紅茶を注いでやる。
ついでにクッキーもほとんど食べてしまっていたので、個人用の奴をアクマに出させる。
「いや~、この前お邪魔した王宮より楽で良いね~。クシーちゃんを倒す位だから、傍若無人な子だと思ったけど、良い子だね~」
「これでもいい大人なので、あまり子ども扱いしないでいただくとありがたいのですが?」
「私なんて既に千歳以上だよ? それに比べれば人はみんな子供だよ~」
それを言われると痛いが、世の中には精神年齢と呼ばれているものがある。
精神年齢ならば、間違いなく俺の方が上だろう。
まあそれを言っても意味は無いだろうから、黙っておくがな。
1
「戻ったぞ。とりあえず試飲用として少しだけ持ってきたぞ」
しばらくシルヴィーと話していると、ヨルムが少量のコーヒーの種を持って帰って来た。
「持ってきたのは最初の産地のですか?」
「うむ。予定通りならば、苦みの強い物に仕上がっているはずだ」
「へーそれがコーヒーなんだ~。私も飲んでいい?」
ヨルムが持って帰って来た量だと、大体十杯分くらいになりそうだから、飲ませても問題無いだろう。
問題としては、多分この二人はコーヒーを飲めないだろう。
子供舌っぽいし。
(ミルクってあったっけ?)
『昨日買った奴の中には無かったね……あっ、屋敷の冷蔵庫から持ってきた奴があるね』
それなら苦くて飲めないと言われても、どうにかなるか。
甘いカフェオレならば、お子様でも飲めるだろうからな。
「良いですが、かなり苦いですよ?」
「未知の飲み物なんて、ソルちゃんに自慢する良い機会だから、頑張って飲むよ~」
「我も前回のは飲めなかったので、楽しみだ」
クシナヘナスから貰った分は、俺が全て飲んでしまったので、ヨルムはほんの少ししか飲んでいない。
焙煎の匂いは好きと言っていたが、果たして今度は飲めるのだろうか? …………駄目だろうな。
ほんの数日で苦みを克服できるはずがない。
メイド長達が帰ってくる時間もあるし、サクッと準備するか。
(器具を頼む)
『はいは~い』
必要な物を全部取り出し、先ずは焙煎を始める。
自動焙煎機なんて便利なものは無いので、直火で焙煎をする。
この作業は時間の短縮も出来ないので、その間にカップを温めておく。
今回は無難に、台形のドリッパーを使用する。
色々と淹れ方はあるが、初めての豆となるので、味を見るために基本的な淹れ方を選んだ。
約十分程度で焙煎が終わり、挽いたのをペーパーに入れ、お湯で蒸らしてからゆっくりと注いでいく。
「良い匂いだね~。何だか落ち着くよ~」
「うむ。頑張った甲斐があったようだ」
お湯がコーヒーとなり、全てサーバーに落ち切ったら、温めておいたカップに注いで出来上がりである。
「うーん見た目は真っ黒なんだね~」
「大変苦いので、一口飲んで駄目でしたら、こちらのミルクや砂糖を入れて下さい」
実質的にこの世界で初のコーヒーとなるわけだが、味はどうかな……。
香りはかなり良いな。
流石焙煎したてなだけあり、雑味を感じさせない。
一口含むと、苦みを主張するもののスッキリとした味わいであり、かなり飲みやすい。
……初めてこの世界の管理者に、感謝を捧げられそうだな。
会う機会があれば、尻を蹴り上げるけどな。
一度カップを置いて二人の方を見ると、俺が思っていた様子とは違った。
「良いね~。こういうの私は好きだよ~」
「にひゃい……」
シルヴィーは変わらずポヤポヤしながらも、嬉しそうにコーヒーを飲み、ヨルムは眉間に凄い皺が寄っている。
シルヴィーも駄目かと思ったが、案外物好きだな。
ヨルムは砂糖とミルクを足して、甘くしてからまた飲み始めた。
「ハーブティーとはまた違った味わいだけど、何だか落ち着く感じがするね~。これって売ったりする予定はあるの?」
「何とも言えませんね。量産は可能でしょうが、ノウハウを持っているのはこのヨルムだけですから」
特別な品として売り出すことは可能だが、生産地は全て魔物が蔓延る山の中なので、初めの頃思い描いていた量産体制を整える事はまずできない。
地球より早く育つので、俺が飲む分には困らないが、結界がなければ育てるのは厳しいだろう。
「うーん……これを失うのは嫌だね~。ハルちゃんが居なくなったら、こっちで管理しても良い?」
「しっかりとやっていただけるのでしたら、今からヨルムと共同でも構いませんよ。コーヒーは育てた場所で味が変わるので、ヨルム以外の人手も欲しいですからね」
砂糖とミルクを大量に入れたヨルムはさっきの皺が嘘かの様に綻び、ぐびぐびと飲んでいる。
一応ヨルムに教えたのはクシナヘナスらしいが、流石に神にあれこれしろというのも駄目だろう。
「それは面白いね~。その時は宜しくね~」
「うむ? うむ」
殆ど話を聞いていなかったみたいだが、まあ良いだろう。
とりあえずコーヒーの生産には成功したし、これから気軽に飲むことが出来るな。