第52話:変わりゆく日常
「これは……」
「ふむ」
「……」
買い物を終えて帰って来たゼルエルとリディス達は、屋敷の庭を見て目を見開く程驚いた。
ボロ屋敷一歩手前だった屋敷が、周りにある貴族の屋敷と同程度まで綺麗になっていたのだ。
買い出しに掛かった時間はおよそ二時間。
とにかく最低限態勢を整えるための買い物だったが、まさかこれ程まで綺麗になっていると思わなかった。
「先ずは中に運び込んでしまいましょう。買って終わりではありませんからね」
貴族であるリディスも当たり前の様に扱き使われているが、本人は何も気にしていない。
逆にメイド長であるゼルエルが、本当にこれで良いのだろうかと思っている。
育った境遇のせいか、リディスには貴族としてのプライドが薄い……とゼルエルは考えている。
そんな事はなく、リディスにはちゃんとプライドや矜持と言ったものを持ち合わせている。
しかしそれは公の場で振るわれるものであり、散々ハルナにボコボコにされた結果、私の時に見栄を張らなくなっただけだ。
やる時はやる女。それがリディスなのである。
庭を見渡しながら屋敷の中に入ると、庭や外観と同じく綺麗になっている。
「……ふむ。素晴らしい物ですね。この短時間で埃一つ無いとは」
窓の淵で指を滑らせてから、ゼルエルは指先を見る。
埃も、汚れの一つも付いていない指を擦り合わせ、エントランスを軽く見回す。
ただ掃除をしただけでも驚きだが、今の屋敷には人が住んでいる温かみを感じる。
何をどうしたら二時間でこれほどまで出来るのか……。
「メイド長。荷物はどうする?」
「エントランスの端に置いておいて下さい。必要な分を各自が持っていく形にします」
ヨルムとリディスは買ってきた日用品を種類毎に分けて、一旦エントランスに置いておく。
とりあえず必要と思われる分を買ってきたため、持ち出されて余った分は、備蓄として置いておくことになる。
「帰って来ましたか。一応全ての部屋を見ましたが、やはり最低限以下ですね」
エントランスから二階へと上がる階段から、ハルナが姿を現す。
掃除をした筈なのに白く長い髪は少し汚れることなく、何故か自己修復するメイド服も同様である。
相変わらず無表情で動く人形の様だが、一体どうやってこれ程まで綺麗に掃除をしたのか……。
いくら手足の様に使える鎖があったとしても、二時間でここまで綺麗に出来るはずがない。
光の魔法で汚れを落とすものがあるが、流石に屋敷丸々綺麗には出来ないし、魔法を使ったならば痕跡が少なからず残るはずだ。
「そうですか。部屋は来る途中に教えた通りとして、荷解きと部屋の整理をしましょう。アインリディス様には私が付きますので、ハルナとヨルムは私達の部屋をお願いします」
「……畏まりました」
「うむ」
無表情だが嫌々……仕方なくと分かる雰囲気を出しながらも、ハルナは了承する。
これもゼルエルにとっては悩みの種だが、ハルナは命令であれば、嫌々でもしっかりと仕事をこなす。
ある意味当たり前の行為かもしれないが、ハルナに関して言えば問題がある。
ハルナの裏にいる人間の意向次第では、その強大な力が人に向けられる事となる。
今のところゼルエルが目にした魔法は初めて戦った時の光の魔法と、今も服の下に忍ばせている鎖の魔法。
後は日常的に使っている火の魔法。
ほぼ常に魔法を発動していると言うのに、一度として魔力が尽きるのを見たことがない。
それはやはり人としておかしく、人ではないものとしてもやはりおかしい。
この掃除もだが、やはり他にも隠しているのだろう。
でなければこの状況を説明できない。
「それではアインリディス様。行きましょう」
「……ええ」
リディスはゼルエルに見られないように苦い顔をし、必要なものを持って部屋へと向かう。
リディスの部屋は貴族に相応しい広い部屋だが、今は閑散としており、クローゼットとベッドの骨組しかない。
マットレスや布団は、他の使用人が買いに行っており、今ゼルエルとリディスが持ってきているのは屋敷から持ってきている服類と小物である。
服類はゼルエルが担当し、小物は部屋を使うリディスが整えていく。
ゼルエル程ではないがリディスも手慣れたものであり、テキパキと部屋の内装を整えていく。
備え付けられているカーテンは多少みすぼらしいが、真っ白でくすみの一つもない。
床のカーペットも少し痛んではいるが、カーテンと同じく綺麗なものだ。
埃がないだけならば、不可解だがまだ理解できる。
しかし……。
謎が謎を呼び、ハルナの全体像が見えなくなる。
「アインリディス様」
「どうしたの?」
「ハルナが何処から来たか知っていますか?」
「……いいえ。そう言ったプライベートの事は、何も話してくれないわ」
急にハルナの出身を尋ねられたリディスは心臓が縮み上がるが、何とか知らない体を装う。
ゼルエルがハルナの事を不審がっているのは知っているが、直接聞いてくるとは思わなかった。
だからと言って正直にハルナは召喚した悪魔と話せば、この場でリディスは死ぬ事になるだろう。
悪魔召喚は禁忌とされており、行ったものは問答無用で殺される事となる。
今は何も知らない振りをして、ゼルエルからの質問を回避しなければならない。
「そうですか……本当に何も聞いていないのですか? どこで魔法を習ったとか、どの国からやって来たとかも?」
「ええ。一緒に居る時は魔法の事と、勉強の事以外を話している余裕が無いのよ。入試の為に色々と詰め込まないといけなかったから」
「確かに僅か三ヶ月しかなかった訳ですから、余裕は無いですか……不躾な質問失礼しました」
「気にしてないわ。それよりも、もうそろそろ他の使用人も帰って来るんじゃないの?」
開け放たれた扉の方からは少しだけ物音が聞こえ、ハルナ達以外にも屋敷に帰ってきたのが分かる。
ゼルエルはリディスに断りを入れ、エントランスへと向かっていく。
「……心臓に悪いわね」
ゼルエルが居なくなった事でリディスは気が抜け、床へと座り込む。
この三ヶ月で、ハルナの存在はリディスにとってとても大きな物となっている。
おそらく、少しずつ寿命を吸われている。でなければ急激に自分が強くなるなんてありえないと、リディスは思っている。
けれどハルナが居なければ、バッヘルンから期待を掛けられることも、ネフェリウスと関係を修復する事も出来なかった。
何より、ハルナはリディスに人としての当たり前を与えてくれた。
悪魔だとしてもハルナは、リディスにとっての恩人である。
いつのまにかヨルムなんて不思議な子供と、ゼラ二ウムと名乗る不審な人物も増えたが、リディスの日常は充実している。
姉と言う殺したいほど憎い相手も居るが、リディスとてただ虐められて終わりなんて考えていない。
先の短い人生……そして学園と言う閉鎖空間。
やり返すには、もってこいの環境だろう。
魔物との戦いにより、リディスは胆力が付いた。
たとえ、突然王様が目の前に現れたとしても、驚かずに対応できる自信がある。
「やはりこちらの部屋の方が広いですね」
「うむ」
「………………何やってるのよ」
リディスが声のする方を見ると、開け放たれた窓からハルナとヨルムが部屋の中を見ていた。
リディスの部屋は二階にあり、窓の外から部屋を見る事は普通出来ない。
流石のリディスも一瞬驚きで声が出来ず、一言聞き返す事しかできなかった。
ハルナは鎖を触手のようにして壁に這わせ、二階の窓から部屋を見ていたのだ。
因みにヨルムはいつも通り鎖で簀巻きにされている。
「こちらはやることを終えましたので、様子見を。何やらお疲れの様ですが?」
「ちょっとメイド長に問い詰められただけよ。それより、ハルナなら買い物なんてしないで、実家から転移で荷物を持ってこれなかったの?」
「可能ですよ。ですが転移出来る事は、あまり公にしたくないのです。いざと言う時に虚を付けますからね」
「……それもそうね。私でも同じことをするわ」
この世界で転移を使えるのは、極限られた人間だけだ。
固有魔法として次元魔法が使えないと不可能であり、更にそこからたゆまぬ努力が必要となる。
逃げるのは勿論、奇襲としても使えるので、リディスはハルナの考えに同意した。
「しかし小さな家だな。我としては構わぬが、貴族としてはどうなのだ?」
「男爵程度ならこれでも問題ないわ。侯爵家として考えれば小さいけど、私としてはこれ位の方が落ち着くわね」
ジロジロと見回すヨルムだが、王都に来るまでに人の暮らしに触れた事により、ハルナよりも常識を覚えた。
そもそもヨルムはこの世界の生き物であり、最低限の事は母親であるクシナヘナスに教えてもらっている。
逆にハルナは様々な本を読み、アカシックコードと呼ばれるデータの海から情報を拾えるが、人としての常識は情報としてない。
しかも違う世界で二十年以上生きていたため、そちらの常識が邪魔をしている。
なるべく世間と関わらない事により対処をしているが、これから数年間は学園に通わなければならない。
十歳以上も下の子供と付き合わなければならないのは、ハルナとしては苦痛以外の何物でもない。
アクマに気付かれないように色々と探ってはいるが、学園で授業を受ける事を避けることは出来そうにない。
もしも珈琲が手に入っていなかったら、罰ゲームとは言えキレていただろう。
「家なんて寝られれば何でも構いませんよ。それより、入試までの五日間はヨルムを頼みましたよ。私は王都へ観光に出るので」
「分かったわ。何かあれば念話で呼べばいいのよね?」
「そうして下さい。それとくれぐれも魔法を、メイド長の前で使わないように。入試以降は好きにしても構いませんがね」
「……悪魔のくせに細かいのね」
「悪魔だからこそですよ」
いつもの様に、適当にはぐらかしたハルナは窓を閉めて自室に戻る。
こっそりと屋敷周辺に居る不穏分子を排除してから……。
「学園ねぇ……やっていけるのかしら」
リディスは残念な事に、友達が居ない。
貴族は能力が全てであり、リディスの様な魔法が使えない人間は、地位が有っても近づく人間はいない。
それどころか、サンドバックとして最適だった。
流石に直接手を下すような馬鹿はいないが、排他して小さなプライドを満たすには丁度良かったのだ。
バッヘルンとしても力があるからこその貴族と考えており、手を打つ事はしなかった。
「まあ、別にいっか」
今のリディスは、同世代の中でも強者に入るレベルになっている。
武器を含めれば誰も勝てないだろう。
入試で実力を証明したとしても、人とはそう割り切れる物ではない。
仮に手を出してくる者が居たとしても、もうリディスは黙っているつもりはない。
今のリディスには力が有るのだから……。