第48話:つんつん
「集まったな。今日はアインリディスが学園へ入るために旅立つ日である。分かっているとは思うが、くれぐれも家の名を汚さぬようにな」
食堂に着くとバッヘルンが音頭を取ってから食事が始まる。
何とも貴族らしい言葉だが、要は使えないならば捨てるって事だ。
「アリスちゃんも王都に行ってしまうのね……寂しくなるわ」
「それが勤めなのだから仕方あるまい。それに、一生会えなくなるわけではない」
悲しそうにしているクエンテェを、バッヘルンが慰める。
貴族としては珍しく、夫婦間の仲は良好なんだよな。
結婚する時も色々とあったらしいが、結構な事である。
その癖家族全体で見れば、ギスギスしていたんだよな。
スティーリアのせいもあるが、もう少し視野を広く持ってもらいたいものだ。
「そうよね。それに、ネフェリーはまだ居るものね」
「母上……」
ネフェリウスが恨みがましく呟く。
なるほど、ネフェリウスはそう呼ばれたくないって事か。
坊ちゃんも良いが、今度はネフェリーと呼んで見ることにしよう。
しかし久々にこの世界の料理を食べるが、決して不味いわけではないんだよな……。
東館の方は改善と言うか、俺に合わせて作ってくれるようになったが、本館の方は相変わらずだ。
ヨルムは特に文句を言うことなく全て食べているが、若干手の進みが遅い。
「ハルナちゃんも、いつでも戻って来て良いからね」
「姉上ではなく、僕の専属になるのならば此処に居られるぞ?」
「ありがとうございます。ですが、お嬢様の専属なので一緒に王都へと御一緒します」
クエンテェは「なら仕方ないわね」と溜息を零し、ネフェリウスは見るからに不機嫌そうにする。
この二人よりは、リディスの方がマシなので、選択の余地はない。
俺が初めてこの屋敷に来た時よりも和気あいあいと食事が進み、遂に旅立つ時間となる。
今回王都に向かうのは俺を含めて十人となる。
馬車の運転要員兼執事が二人に、使用人が四人……と言うよりメイドが四人だ。
そしてメイド長と俺達だ。
王都までは五日掛かるが、道は整備されており、街もそれなりの数あるので、急がなければ野宿をしないで済む。
これを機にリディスに野宿をさせようとも思ったが、俺が嫌なので止めておくことにした。
現代っ子に野宿は厳しい。
メイド長と共に纏めておいた荷物を持って外に出ると、馬車が準備されており、見送りと思われるネフェリウスとゼアーが居た。
「本当に行くのだな」
「はい。行きたくはないのですが、事情がありますので」
何故かネフェリウスは寂しげに呟き、いつもの生意気な態度は鳴りを潜めている。
「……その……なんだ……。来年になれば僕も学園へと行く事になる。その時は……」
ネフェリウスの頭を撫でてやると、急に押し黙る。
子供特有の、寂しがりと言う奴だろう。
俺も昔、姉が魔法少女となって家に居る時間が少なくなった時に感じたことがある。
世界のために仕方ないと分かっていても、子供に理解しろと言うのは中々に酷なことだ。
そんな時、こうやって頭を撫でられて安心した記憶が、今も残っている。
まあ、それからしばらくして姉は殺されたがな。
「なっ……なっ!」
「寂しいのならお嬢様に甘えなさい。大人になれば、そんな事も出来なくなりますからね」
「べ、別に寂しくなどない! 戻るぞ! ゼラニウム!」
顔を赤く染めた後、ずかずかとネフェリウスは屋敷へと戻っていく。
まだリディスに会っていないのだが、良いのだろうか?
「……相変わらず人ったらしね」
「どういうことですか?」
ゼアーは呆れながらはぐらかし、ネフェリウスの後を付いて行ってしまった。
(どういうことだ?)
『ハルナは気にしなくて良いよ。今更だし、私ももう諦めているからね』
アクマもはぐらかすが……まあどうでも良いか。
戦いとは無関係だろうし、考える必要もない。
ゼアーと入れ替わるようにリディスが、屋敷から荷物を持て出てくる。
いつもの室内用ではなく、外に出る用のドレスを着ている。
人前に出るとあって、いつもよりも気を張っているみたいだな。
「待たせたわね」
「それほどでも」
リディスの荷物を鎖で預かり、馬車に積み込む。
ドレスアーマーや、王都に着くまで取り出す事の無い荷物は、あらかじめ積み込んである。
「来ましたね。これから先はアインリディス様を、正当なブロッサム家の令嬢として扱う様に当主様から命を受けています。細事は私達にお任せ下さい」
メイド長のカーテーシーに対して、リディスは目をぱちくりとさせながら固まる。
「よ、宜しく頼むわ」
「はい。それでは馬車へどうぞ」
他の二人のメイドが馬車のドアを開け、囲居心地悪そうにしながらリディスは馬車に乗り込む。
これまでの扱いから一転して、貴族として扱われる事に困惑しているのだろう。
料理と洗濯以外は自分でやらなければいけなかったし、俺もメイドであるがまともな扱いをしてこなかったからな。
山での訓練は、それはそれは酷い事になっていた。
手足が折れるのは当たり前だし、最初の頃は失禁もしていた。
色々な液体で汚れながらも、倒れるまで戦わせていた。
「私とヨルムはどちらに乗れば良いですか?」
馬車の数は二台あり、片方はリディスが乗った見るからに豪華な馬車と使用人用の少しみすぼらしい馬車だ。
みすぼらしいといっても、あくまでも豪華な方と比べてであり、しっかりとした作りをしているように見える。
「ハルナとヨルムはアインリディス様と同じ馬車に乗って下さい。私も同席します」
「分かりました」
「うむ」
三人揃って馬車に乗り込むと、リディスが怯える様に身体を震わせる。
そう言えば、リディスはメイド長が苦手と言っていたな。
何度かメイド長に引きずられて裏庭に連れていかれたと、ヨルムが言っていた。
「……メイド長はずっと王都に居るの?」
「はい。基本的にはアインリディス様が学園に居る時以外は共にする予定です。今の予定ではですが……」
縋るように見てくるリディスを無視して目を閉じる。
これから先、街に滞在している時以外は暇となる。
お決まりのパターンとしては盗賊が現れるなんてのがあるが、メイド長だけで対応できるし、不測の事態でもヨルムがメイド長に協力すればどうとでもなる。
地獄から悪魔が這い出て来たり、天使がしゃしゃり出てこない限り、俺の出番は無いだろう。
「ヨルム。私は寝ますので、何かあったらメイド長の指示に従って下さい」
「うむ。マ……わかった」
ヨルムが余計な事を言いそうになったが、 直ぐに気付いてくれたようだ。
目を閉じると、直ぐに眠気が襲ってくる。
一分一秒を気にしていた頃と違い、この世界はなんとも平和だな。
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女性四人……少女三人と女性が乗った馬車は、ゆっくりと王都に向かう。
そんな馬車の中では一人の少女が、静かな寝息を立てて寝ていた。
「寝ましたね」
「寝たのね」
「寝たな」
ゼルエル。リディス。ヨルムの順番で呟く。
馬車の中ではリディスとゼルエルが上座に座り、ハルナとヨルムが下座に座っている。
貴族の馬車なだけあり中は広く、四人乗っていてもまだまだ余裕がある。
リディスはじーっと、ハルナの寝顔を見つめる。
いつもは人形のように動かず、ただ無を映している瞳は恐怖すら感じるが、寝顔はとても愛らしい物である。
無論本当の……魔法少女の時の姿を知っているリディスは、ずっとこんな可愛げのある姿であることを祈る。
これまでリディスが受けてきた訓練は、基礎訓練以外は毎回死に掛けていた。
いや、実際には何度か殺してくれと思った事もある。
ハルナは死ななければ問題ないと思っている節があり、ヨルムはハルナの言う通りにリディスと戦う。
普通を知らないリディスは、よく他の人はこんな訓練に耐えられると思うが、普通はここまで過酷ではない。
更にメイド長による虐め……訓練も怪我こそないものの、ヨルムとの戦いと同じくらい厳しく、リディスが普通を勘違いする一因となっていた。
少しづつ車内の空気が柔らかくなり始めた頃、ヨルムが動いた。
スッとハルナに近づいたヨルムは、寝ているハルナの頬を突きだしたのだ。
「……良いものだ」
「たまに見ていましたが、それには同意見です」
ヨルムに同調したゼルエルも、一緒にハルナの頬をつつく。
いたずらと言うわけではないが、ゼルエルもヨルムも寝ているハルナでよく遊んでいる。
ハルナは一度眠ると中々起きず、ゼルエルがベッドの端から移動させ、抱えて寝ても起きないのだ。
「……何してるのよ?」
「見ての通りです。アインリディス様もやってみますか?」
両頬をつつかれているハルナは一向に起きる様子はなく、メイド長の様子から素晴らしい物だと言うことが分かる。
しかし、もしもハルナにバレたら…………間違いなく折檻されるだろう。
相手はただの人ではなく、悪魔なのだ。
「――す、少しだけ……」
好奇心に負けたリディスは、そっと人差し指を伸ばしハルナの頬に当てる。
その感触は仄かに冷たく、すべすべでぷにぷにとしていた。
とても気持ちよく、いつまでも触っていたくなるような、魔性の肌触り。
「これは……凄いわね。私より肌が綺麗だわ」
色々と酷い目に遭っているリディスだが、これでも貴族なので肌の手入れをしっかりとやっている。
本来ならば使用人にやらせるのだが、東館に追いやられていたリディスは自分でやっている。
「クエンテェ様がハルナを着せ替えて遊んだらしいのですが、それはそれは素晴らしいものだったそうです」
「……見てみたかったわね」
三人揃ってハルナで遊び、リディスは少しだけゼルエルへの苦手が薄れた。
その感情は偶然ではなく、ゼルエルが意図して薄れるように動いたのだ。
今もハルナについて調査を進めているが、全く進展していない。
バッヘルンに探りを入れたり、書類を盗み見てもそれらしい情報が一つとして見当たらないのだ。
なので調べる対象を変える事にした。
どうしてリディスのメイドになったか分からないが、現状でハルナが興味を持っていると思われるのはリディスだけだ。
ならばリディスとの仲を深め、ハルナの事を探すのが妥当……。
これから先王都では数年間一緒になるが、ハルナの出生を知るのは急務である。
もしもハルナの様な存在が他にも居て、何か目的のために動いているのなら…………恐ろしい未来が待っているかもしれない。
これまでハルナと一緒に過ごす中で、昔殺した少年少女と違い、個別の意思があるのは分かっている。
そして自分達を害する気がない事も。
しかし戦いの際に見せる殺意や、身体を厭わない戦い方は、殺してきた悪魔の子供達に通ずるものがある。
ちぐはぐ……日常生活と戦いでは全く違う面を見せる。
最近は無理な戦い方をしていないが、だからこそ不審に思ってしまう。
一体どちらの姿が本当のハルナなのだろうか?
もう二度と、あの様な惨劇を繰り返したくなどない。
だから、王都に戻る決意をした。
「出来れば、平和を謳歌したいのですが……」
「? 何か言った?」
「いえ。アインリディス様は入試の準備は大丈夫なのですか?」
「ハルナとヨルムには負けるけど、主席については問題ないわ。点数も魔法もね」
ゼルエルはリディスがどの様な勉強や訓練をしているか知らないが、正直なところ不安である。
特に今年は王家や公爵家からも子息が入学予定であり、圧倒的な差を見せつけなければ、首席入学は無理だ。
ほんの数ヶ月前までは貴族の面汚しとまで言われた少女が、何故ここまで自信を持っていられるのか、ゼルエルは少し不思議に思う。
「それなら宜しいのですが、杖などは持ち込まなくて良かったのですか?」
「杖? 杖ならハルナから貰っているわ。これよ」
リディスは何を言っているのか不思議に思いながら、手元に杖を召喚する。
ヨルムはその様子を見て口を挟もうかと考えるが、見なかったことにする。
ハルナは魔法を誰かに見せることは禁止していたが、杖に関しては何も言っていなかったからだ。
そしてゼルエルは固まった。
リディスが取り出した杖。そのプレッシャーに当てられたのだ。
それは昔、騎士団長の聖剣を見た時に感じたものに似ていた。
今リディスが持っている杖は、聖剣と同等かそれ以上の武器であるとゼルエルは分かってしまった。
しかも、武器を収納しておく魔導具の様なものを装備していないので、全く未知の方法で武器の出し入れをしているのだと予想する。
「ねっ? 無くても魔法は使えるけど、これがあれば満点も夢ではないわ」
「……そうですね」
自分がどれだけヤバイものを持っているのか理解していないリディスを、ゼルエルは少しだけ哀れに思う。
それと同時に、ハルナの危険度と重要度が数倍はね上がった。
もしもリディスが持っている杖を量産できるならば……。
(一体あなたは誰なんですか? ハルナ)
すやすやと眠るハルナの頬を突きながら、ゼルエルは自分が置かれている状況を再確認するのだった。
因みにアクマは全てを知っているが、あえてハルナに伝えることはしなかった。