第44話:紅茶を飲もう
「クッキーも美味しいですね。ハルナが作ったのですか?」
「はい。先日ヨルムにデザートを作るついでに、余った材料で作りました」
「成る程。やはりハルナは有能ですね。……伝え忘れていましたが、リディス様とハルナは学園に入学しましたら寮ではなく、侯爵家の別邸から通うようにして頂こうと思っています」
当たり前のように言っているが、メイド長はリディスが入学できると思っているのだな。
だが別邸か……どうせ俺には入学するしか手がないし、寮なんて懲りごりなので、別邸はありがたい。
「そうですか。別邸はどれくらいの大きさなのですか?」
「少し大きな一軒家程度です。使用人も数人居れば事足りる程度です」
普通は使用人自体が不要だと思うが、おそらくあの町長の家位か。
正直日本にあるような普通の一軒家程度でも良いのだが、最低限の体裁を整える必要があるのだろう。
リディスはあれでも、貴族令嬢だからな。
あれでも。
「それと私も同行するので、宜しくお願いします。部屋も割り当ての関係で、また同室となります」
「…………私だけ宿屋で泊まると言うのはどうでしょうか?」
「宿屋では料理は作れませんよ? それに王都の料理と此処の料理は大差ありませんよ?」
それを言われると痛いな……毎日この屋敷に戻ってくることも可能だが、アクマに拗ねられた時が面倒だ。
エルメスに頼むという手もあるが、それこそ後々面倒なるので、頼むに頼めない。
かと言って、毎日この国の料理を食べるのはな……辛い。
無駄に調味料を使い過ぎなんだよ。
『まあ、あれ達に比べればマシなんだし、別に良いんじゃない? 一緒に寝るくらいなら、元の世界でもやってたわけだしさ』
確かに抱きつかれるわけでもないし、着せ替え人形にされているわけでもない。
これまで会ってきた女性の中では、メイド長はかなりマシな部類だ。
仕方ないが、寮や宿に泊まるよりはマシだし、諦めるとしよう。
「分かりました。それで良いです」
「良い返事です。一応聞いておきますが、リディス様は大丈夫ですか?」
「スティーリア様の妨害があったとしても、私とヨルムが手を抜けば首席合格は間違いないかと」
「……どこまで知っているのですか?」
「想像にお任せします。ただ、あれを放置するのはあまりオススメしませんよ」
流石のメイド長も、スティーリアがリディスにしてきたことは知っていても、学園で企てている事は知らないだろう。
嫌がらせも兼ねて、少し盤面を掻き回させてもらおう。
ついでに、メイド長の正体を知っていると匂わせておく。
精々あくせく働くがいい。
「……まあ良いでしょう。無理矢理聞き出すことも出来ませんからね」
剣だけならともかく、魔法があれば俺がメイド長に負けることはないからな。
攻撃を感知さえ出来れば、鎖で防ぐことが出来る。
それと、即死さえしなければ怪我を治せるので、格下に負けるなんて事はそうそう起こらないだろう。
「それが宜しいかと」
「……ふぅ。しかし、よく学園に行く事を了承しましたね。私が言うのもなんですが、断ると思っていました」
俺だって本当は行かないで、旅でもしたかったさ。
やることはほとんどやったし、後はリディスが自分で頑張れば、どうとでもなるレベルだ。
あの剣と杖さえあれば、将来はヨルムにだって勝てるようになるだろう。
俺と初めて会った時の、ヨルムを基準にしてだがな。
ヨルムはヨルムで勝手に成長しているので、リディスの成長スピードでは勝てる日は多分来ないだろう。
「私も出来れば断りたいのですが、事情がありまして……因みに学園へ入学ついでにメイドを辞めても良いですか?」
『駄目だよ』
「駄目です」
……二人揃って否定しなくてもいいじゃないか。
顔を隠す生活に慣れてしまったせいか、どうもこの姿はしっくりとこない。
やはりフード。フードが欲しい。
「そう言うと思いました。まあ隠れ蓑としては丁度いいので、このままこの職に就かせて頂きます」
「……言っておいてなんですが、良いんですか?」
「メイド長に思惑があるように、私にも思惑……事情があるのです。懸念していることもあると思いますが、最低でも、この世界にとって悪い結果にはならないでしょう」
この世界の管理者や神が敵対しない限り、俺からこの世界に対してちょっかいを掛ける気は…………あんまり無い。
一応互いに了承した上で戦う事はあるが、殺し合いまでは発展させる気は無い……気でいる。
特に管理者を怒らせて、この世界から追い出されても困るからな。
アクマ達が居る限りそんな事にはならないだろうとは思うが、向こうが俺の事をどう思っているかは分からない。
会って話をするついでに、尻でも蹴とばしたいものだ。
「そうだと良いのですが……。学園の卒業後、この国に残る気はありますか?」
「今の所は無いですね。本来ならリディスが入学するタイミングで、去る気でしたから。まあ、将来なんて誰にも分からないので、その問いは不毛かと思います」
メイド長が何を考えているか知らないが、最終的に俺はこの世界から居なくなることが確定している。
なので、なるべく突き放しておいた方が、この世界の人の為になるだろう。
「でしたら、ハルナの心が変わる事を祈っています。紅茶ご馳走様でした」
「お気になさらず。練習の結果が出ていたようで何よりです」
メイド長の立ち上がるタイミングで椅子を引き、廊下まで見送る。
客を見送るまでが、メイドの仕事だ。
たった一週間しか教えられていないが、妙に身体に染みついてしまっている。
「所作も申し分ないですね。それではまた。夕食を楽しみにしています」
「最近は指示を出すだけで、私自身はあまり料理をしていませんが、それでも良ければ楽しんで下さい」
メイド長が去って行くのを確認してから、部屋に戻る。
片付けをしたら、リディスの所に行って例の魔法を教えるとしよう。
威力と使い勝手。それから魔力の消費など、色々と検証していたら思いの外時間が掛ってしまった。
自分で使うのならばその場で、最適な魔法を適当に使えば良いのだが、他人に使わせるとなるとそうもいかない。
特に消費魔力が一番のネックとなった。
リディスの魔力を1とすると、俺の魔力は53ま……じゃなくて、約100で、毎秒10程度回復する。
一度に使える量はまた別だが、単純計算で100倍の魔法が使える。
魔法を作る際の判定はアクマに頼んでいたが、十回以上はダメ出しをされた。
面倒になって投げ出しそうになったが、言い出しっぺは俺なので、とりあえず完成には漕ぎ着けた。
おそらく、リディスへ見せるために使った後は、俺がこの魔法を使う事は無いだろう。
そんな事を愚痴っているうちに片付けが終わったので、部屋を後にする。
まったく……家事も昔以上に板に付いてしまったな。
1
ハルナの淹れてくれた紅茶を飲んだ後、ゼルエルはジャックの私室で紅茶を淹れていた。
スティーリアが学園へと戻った事で、少し休んでいたジャックは、突如入って来たゼルエルに驚くものの、特に何も言わなかった。
昔からゼルエルは我が強く、歳を取った今も変わらない。
別段人の迷惑になる行為をする訳でもないので、ジャックは暖かく見守っている。
「ふむ。ほぼ同等ですか」
「どうかしましたかな?」
紅茶を飲んだゼルエルは、ハルナの紅茶と比べてそんな評価を下す。
ハルナに対して良い出来だが、まだ上を目指せるなんて言ってしまった。
しかし、既にハルナの紅茶はこの屋敷でも四本指に入る。
今のレベルの紅茶を淹れられるようになるまで、ゼルエルは二年掛かった。
それからも腕が落ちないように、相応の練習を続けている。
あくまでもハルナが上手に淹れられるのは一種類だけだが、それでも僅か二ヶ月程度でここまで上達されると、ゼルエルのプライドに少なくない影響を与えた。
だが、プライドはプライドで一度置いておいて、何もこの為だけにジャックの所に来たわけではない。
「少々面白い情報を聞いたので、共有しておこうと思いまして」
「ほう。情報源は例の少女……ですか」
ゼルエルは中。ジャックは外担当だが、王国から見たゼルエル達の優先度は決して高くは無い。
あくまでも可能性の一つでしかない。
だがハルナの登場により、優先度は日を増すごとに高くなっている。
特に先日のコランオブライトの件で、うなぎ上りとなっている。
「おそらくですが、ハルナは私達の正体を知っているみたいです。それとスティーリアが何か画策している可能性があると」
「その情報の信用度はどれ位かと?」
「半々かと。そもそも、ハルナがどうやって王都に居たスティーリアの事を知っているのかが気になりますが、髪の事を考えればあり得ないくもないかと」
人造魔導兵器である、悪魔の子供達ならば有り得ないとも言えない。
「ハルナのバックにいる人物……ヨルムと呼ばれている少女とも、関係しているのでしょうか?」
「色々と探りを入れてみましたが、世間知らずのお嬢様が一番当て嵌まるかと。気になる点は多いですが、ハルナに比べればマシです」
マシとは言っているが、何も分からないから多分大丈夫だろうと思っているだけだ。
もしもヨルムの正体がレッドアイズスタードラゴンだと分かれば、二人揃って逃げ出すだろう。
勝ち目は絶対に無いのだから。
「何処から来て、何を目的としているのか……学園に行く事を承諾した事を考えると、何かしら考えがあるとは思いますが…………とりあえずスティーリアの件は掛け合っておきます」
「それが宜しいかと。それでは私はこれで」
「まあ待ちなさい。折角久しぶりに王都へ帰るのだし、もうそろそろ復帰しても良いのではないかね? 最近は熱心に鍛錬をしているみたいだし、少々騎士団も落ちぶれ始めているからね」
「……」
ゼルエルは返事をすることなく、部屋を出て行った。
一応ゼルエルとジャックは騎士団所属扱いとなっているが、実際には居ない者として扱われている。
戻る事は可能だが、ゼルエルは過去のトラウマから踏ん切りがつかず、長々とバッヘルンの監視を続けていた。
「やれやれ。まだまだ若いですな。あの子が良い薬となっているみたいですが……さて、手紙を送っておきましょうか」
昔はやんちゃだったジャックも年相応な笑みを浮かべ、王都に送る手紙を書き始める。
ハルナの存在は確かに脅威だが、ハルナによって少しずつゼルエルが成長している。
その事に、ジャックは感謝していた。