第37話:アインリディスの一日
ハルナがヨルムの要請で朝から唐揚げを作っていた頃、リディスは外でランニングをしていた。
インドア派のリディスだが、ハルナに体力を付けるように言われ、毎朝走るようにしている。
たまにハルナと一緒に走る事もあるが、基本的に一人で走っている。
屋敷から離れた森の中を木々を避けながら走り、たまに弱い魔物が現れるが、剣を召喚して追い払う。
ランニングというよりはパルクールの様に走り、柔軟性や瞬発力も一緒に鍛えている。
ヨルムが居る時はたまに強襲してくることもあるが、その時は地面に転がる事となる。
「今日はこんな所かしらね」
身体に付いた葉っぱや木の枝を払い、部屋へと戻る。
部屋に備え付けられているシャワーで汗を流し、着替えてから朝食を食べるために本館へ向かう。
昨日の夜ハルナにより素晴らしい料理を振舞われたが、朝食は何時もの料理だ。
決して不味いわけではないが、少し物足りないと思ってしまうのは、仕方ない事だろう。
朝という事で、家族全員で食べているが、昔ほどの疎外感をリディスは感じていない。
バッヘルンの対応は大きく変わらないが、ネフェリウスの雰囲気が若干柔らかくなり、クエンテェは最近機嫌が良いままである。
「アリスももう少しで学園だけど、大丈夫なの? 魔法も使えるようになったの?」
「心配には及びません。結果にて証明させていただこうと思います」
下手なことを話すなとハルナに釘を刺されているため、政治家のように名を明言避けるようにする。
「そう……あの白いメイドの子とは仲良くやっているの? 最近屋敷の中で見かけないのだけれど?」
クエンテェの疑問に、リディスとバッヘルンは揃って苦い顔をする。
親子なだけあり、その表情は似ている。
「良くして頂いてます。ハルナのおかげで、首席合格の可能性が見えてきました」
「王子や公爵を差し置いてか?」
「はい」
ハッキリと断言するリディスだが、バッヘルンは俄かに信じられないでいた。
ハルナが大丈夫とは言っていたが、これまでのリディスを知っていれば、仕方のない事だろう。
これまでのバッヘルンならば、馬鹿も休み休み言えと吐き捨てるだろうが、結果としてリディスがアースドレイクを倒した事を知っている。
「そうか……ならば、期待させてもらうとしよう。だが、大口を叩くのだから、駄目だった場合責任を取ってもらうからな」
「……分かっています」
まさかの言葉にリディスは驚きそうになるも、冷静に返事をする。
リディスが期待された事はほとんど無かった。
忠告も一緒がだが、それでも嬉しい物は嬉しい。
「それと、例の魔物の討伐だが、本当にお前がやったのか?」
ふと、リディスは遠い目をした。
突然辺境の街に連れていかれて、森まで走らされた後、いきなりA級の魔物と戦わされた。
今思えば、本当によく生き残れたものだ。
「はい。手紙で確認していただければ、私だと分かる思います。挨拶もしておきましたので」
「魔物とは、何の話ですか?」
気になる単語が出て来たため、ネフェリウスが横槍を入れる。
リディスに大敗したネフェリウスはクエンテェに対しては相変わらずキツイ目を向けるが、リディスへは年相応の視線となっている。
「少しあのメイドにお願いした事があってな。今のリディスがどれほどなのか、試金石として魔物の討伐を依頼したのだ」
事実と異なる事をさも真実の様に語るが、本当のことを知るのは、此処には誰も居ない。
ハルナもリディスにはただ討伐に行くとしか言わず、部屋の端で待機しているメイド長も、アースドレイクが退治された事実だけしか知らされていない。
そこに至る前の過程を知るのは、今頃三人で唐揚げを食べているハルナだけだ。
「そうだったのですか。その魔物の名前は?」
「……まだ正式な書類が出来上がっていないので、出来上がったら教えてやろう」
少しだけバッヘルンは悩み、言葉を濁すことにした。
ネフェリウスは聡いとは言え、まだ子供だ。
リディスが倒せたからと、無茶をされても困る。
「ご馳走様でした。私は先に失礼しますね」
ネフェリウスの倍以上のご飯を食べたリディスは、さっさと東館の自室へと戻っていく。
「おや、アインリディス様ではないですか」
急いでると思われない程度に歩いていると、珍しく声を掛ける人物が居た。
「ゼラニウムさん。何か御用でしょうか?」
「たまたま見かけたので。魔法の練習や勉強は捗っていますか?」
「魔法は先日見て頂いた通りです。勉強は……ハルナに一度として勝てていません。ヨルムにも」
「あれらと比べるのはよくありません。どちらも人外ですからね」
落ち込むリディスに対して、ゼアーはバッサリと切り捨てる。
本人が聞けば自分は人間だと言うだろうが、魔女に勝てている時点で人とは言えない。
分類上は人間であるが、ゼアーとしてはハルナを人間として見たくない。
「……ゼラニウムさんはハルナの事を知っているのですか?」
ゼアーの言い回しに違和感を持ったリディスは、 疑問を零す。
人外なんて言葉は、リディスからしたらハルナの正体を知っていなければ出ない言葉だ。
「さあ。ですが、あの子とは少々付き合いがありまして。色々と苦労させられています」
「そうなん……ですか?」
「ええ。連絡の類いはしないし、独断専行は勿論、我が強くて……強さだけで言えばずば抜けているのですが、困った子なのです」
ここぞとばかりにゼアーはハルナの悪口をリディスに聞かせ、株を下げようとする。
謝って貰ったので溜飲を下げたが、だからと言ってこんな世界へ来ることになった原因を作った、ハルナを簡単に許す気は無い。
いや、別に怒っているわけではないが、少し位おちょくってやろうと思っただけだ。
そんな愚痴を聞かされているリディスだが、ハルナの事よりも、ゼアーの正体が気になってほとんど話を聞いていなかった。
そもそも悪魔と知り合いという時点で、ゼアーが普通ではないと考えつく。
しかもあのハルナに悪口をこれだけ言えるのだから、それなりに親しい間柄なのだろう。
あのハルナの悪口なんて、リディスは言う事が出来ない。
言ったら最後、どんな目に遭うか……。
「……しかも何かあればすぐに逃げるし、その癖あちこちに手を出すから、要らぬ苦労を背負うし」
「あのー。ゼラニウムさんは人間なんですか?」
いつまで待っても終わらないゼアーの愚痴に、とうとう口を挟む。
とりかくハルナに対して色々と思うことがあるのは分かったが、その分ゼアーの謎が深まるばかりだ。
「私? うーん。ここでは人間よ。ちゃんと経歴もあるしね。さてと、そろそろ坊っちゃんの授業だから行くわね」
何となくはぐらかされ、ゼアーは手を振りながら去ってしまった。
(ハルナは召喚したから、間違いなく悪魔だわ。じゃあ、そのハルナの事を知っているゼラニウムは? ……確か悪魔は平気で嘘を吐くと書かれていたし、もしかしてゼラニウムは……)
いや、そんな何体も悪魔なんて居るわけが無いと、首を振る。
それに、悪魔は残虐非道が基本だ。
延々と愚痴をこぼすなんて事はしないだろう。
気を取り直して、自室へと帰って来たリディスは、分厚い教科書を取り出す。
今日はハルナが、用事があるとの事で自習となっている。
これまで魔法が使えない事で散々虐められてきたリディスは、家に籠って勉強ばかりしてきたので、一人で勉強をするのに慣れている。
しばらく戦術について書かれた本と睨めっこしながら、思った事や気になった事を紙に書きだしていく。
ハルナやヨルムが特殊なせいで、同世代の少年少女の中では、ずば抜けて頭が良い。
散々ハルナに苛められたおかげで、フィジカルは勿論メンタル面も……少し成長している。
ただ、貴族としての教育は幼少期に勉強しただけのため、少し常識が離れ始めている。
主に悪いのはハルナが連れてきたヨルムのせいなのだが、自分より見た目は幼いくせに、強さや頭脳で負けているので、上には上が居ると考えている。
ネフェリウスに勝ったのも、ハルナから貰った杖があったからと考えており、実力ではないと思っている。
つまり、親であるバッヘルンと同じく、小心者なのだ。
集中力が切れ、ふと時計を見ると丁度昼時となっており、リディスは勉強を切り上げる。
このまま昼食を食べないで勉強をしても良いが、ハルナからしっかりと三食食べる様に厳命されている。
その理由は大したことなく、食べなければ強い身体を作れないからだ。
そう話したハルナは小食であり、食べるスピードもかなり遅い。
東館の食堂に来たリディスは、いつもの様に受け渡し口から料理を貰い、パンを三個持って空いている席に座る。
今日の昼は肉をローストした物と、サラダと汁物となる。
肉と言えば昨日の夜食べた、ハルナ作のハンバークと、アースドレイクの角煮の事を思い浮かべてしまう。
一口肉を食べるが、ハルナの料理の味には到底及ばないが、いつもよりは美味しいと思える。
「これはアインリディス様。隣……宜しいでしょうか?」
「空いていますので、どうぞ」
むしゃむしゃとパンを頬張っていると、後ろから声を掛ける人物が居た。
リディスとしてはあまり関わりたくない人物であるが、この人物のおかげで、昨日の夜は美味しい料理を食べることが出来た。
基本的にメイド側から、リディスに声を掛けるの禁止されているのだが、何か用があるのだろうかと、内心で首を傾げる。
「小耳に挟んだのですが、最近剣を扱い始めたとか?」
「……ええ。ハルナが魔法だけではなく、剣も扱えるようになれと言っていたので」
リディスが剣の訓練をしたのは、実質的に半日だけだ。
前の日に剣を片手に森の中で魔物を倒しまくったが、あれは訓練ではなくハルナからリディスへの虐めである。
何とか漏らしはしなかったものの、涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃとなった。
「剣を教えているのは、ハルナですか?」
「…………ヨルムよ」
思っていたのと違う名前が出たので、ゼルエルは食事の手を一瞬止める。
突如としてハルナが連れてきた謎の少女。
国宝クラスの宝石を養育費と渡しきたり、教養は無いが、教えた事は直ぐに覚えてしまう。
仕事は勿論、マナーにおいてもそれなりの水準に達している。
ハルナの鎖に吊られて運ばれている様は、東館の一種の風物詩となっており、微笑ましいものである。
その実、常に魔法を発動したままでいるハルナに畏怖を抱いてしまうが、ハルナの恐ろしさに気付く使用人は今の所現れていない。
流石に寝る時や剣の訓練をする時は解除しているが、ゼルエルが見掛けた時は、常にだしっぱにしていた。
ヨルムはたまに一人で屋敷内をうろついている事があるが、見た限り年相応の少女としか言えない。
「つかぬ事を聞きますが、腕の方はどの程度か分かりますか?」
「……確か剣では一度も勝てたことが無いと、ハルナが言ってたわ」
「――それは」
突如背筋に悪寒が走り、リディスは身体を震わせる。
ほんの一瞬だが、ゼルエルが笑っていたように見えたのだ。
一言だけ呟いたゼルエルは、黙々と食べる。
「……今日は何の勉強をしていたのですか?」
「ハルナが一日いないので、一人で戦術学の勉強をしていました」
「戦術学ですか。また珍しいものを学んでいますね。…………午後のご予定は?」
「引き続き勉強の予定です」
一体ゼルエルが何を考えているのか分からず、リディスは早くいなくなってくれと祈る。
が、その祈りは儚く散ることとなる。
「それでしたら、私と剣の訓練をしましょう。今のお嬢様でしたら、当主様もなにも言わないでしょうから」
「へっ?」
思わずパンを落としそうになるが、何とか耐える。
何故急に訓練の話になったのか分からぬまま、ゼルエルは三十分後に裏庭に来るように言ってから席を立つ。
(ななななんでそうなるのよ!)
なし崩し的にゼルエルと訓練する事になったリディスは狼狽えるが、ゼルエルに逆らう勇気を、リディスは持ち合わせていない。
その後、夕方までゼルエルにボコボコにされたリディスだが、如何にハルナ達との訓練が非常で非情なのだと、改めて理解した。
ゼルエルはリディスが倒れれば攻撃を止めるが、ヨルムはハルナが止めと言うまで攻撃を止めない。
手足が折れようが、剣を手放そうがだ。
そのため、ゼルエルへの好感度が少しだけ上がった。
後日、その事をハルナに話すが、鼻で笑われるだけだった。