第31話:諦める事も、時には大事
「……」
日が暮れ始めた頃、リディスが倒れて動かなくなってしまった。
輝いていた鎧は、血や泥で汚れていない場所を見つけるのが難しいくらい汚れ、このまま帰るのはあまり良くない。
「渦巻く水よ。全てを流したまえ」
一度魔法少女に変身し、水球にリディスを閉じ込めで綺麗にする。
何度もやって来たので、攻撃魔法ではないが、魔力の消費はかなり抑えられ始めている。
最後に熱風で脱水し、多少綺麗なリディスの完成である。
因みに俺が洗濯している間ヨルムは、焚火で殺した魔物の肉を焼いて食べていた。
流石魔物だけあり、ヨルムの戦いはリディスと比べ物にならない位素晴らしいものであり、さっくりと首を落として倒していた。
「もうそろそろ帰るとしましょう。暗くなってきましたからね」
「うむ。雑魚とは言え、多少楽しめたな」
「あんた達は…………」
倒した魔物はそこまで多くないが、森の中での戦いは精神や体力をかなり消耗する。
たまに俺から魔物を嗾けてたりしていたので、通常より酷い状態となっていた。
何度も倒れたり、自分で斬ってしまった木に、押しつぶされそうになったり。
森なだけあり大型の魔物は殆ど居なかったが、クマ型の魔物との戦いは見ていて中々面白いものだった。
そんな回想をしている間にリディスはよろよろと立ち上がり、ヨルムは焼いていた肉を完食する。
(頼んだ)
『了解ー』
リディスへの部屋へと戻ると、リディスはそそくさと鎧を脱ぎ始め、下着のままベッドへと倒れこむ。
この様子では、今日はもう起きる事はないだろう。
「夕飯はどうしますか?」
「我は大丈夫だ。たらふく食ったからな」
満足そうに腹を擦るが、確かに殺しては捌いて食べていたからな。
小さな身体のどこに入るのか不思議だが、元はあの巨体だから入ってもおかしくないのか……。
「そうですか」
「うむ。それと、今日の夜は少し出掛けてくる故、何かあれば呼んでくれ」
それだけ言い残し、ヨルムは姿を消してしまった。
(今のって転移か?)
『厳密には違うけど、似たようなものだね。私と違って知っている場所にしか跳べないけど』
若干自慢気に聞こえるが、アクマの転移には助けられてきているし、何も言わないでおこう。
小腹空いてきたし、軽く夕飯を作るとしよう。
ついでに、アースドレイクの肉を煮込む準備もするか。
圧力鍋がないのが残念だが、多分なんとかなるだろう。
メイド長の部屋に戻り、ジャムを塗ったパンを食べながら肉を捌いていく。
メイド長が居れば、行儀が悪いと怒られていただろう。
『肉は一度全面を焼いた後、弱火で五時間煮込めば良いらしいよ。つけ汁の味は豚の角煮とかと同じがオススメみたい』
(どうも)
五時間か……まあ魔法でどうにかすれば良いか。
時間的に食べるのは明日となるが、味見はヨルムにしてもらうとしよう。
アクマの指示に従い焼いてから鍋にぶちこみ、煮込み始める。
後は放置で問題ない。
(バッヘルンは?)
『珍しく私室の方に居るね。ネフェリウスと……あっ、今一人になったよ』
良いタイミングだな。ならばさっさと報告しに行くとしよう。
今日も長い時間外に居たので、早く風呂に入って寛ぎたい。
(そんじゃあ送ってくれ)
『はいはーい』
メイド長の部屋から、少し豪華だが落ち着きのある部屋へと視界が変わる。
いつも通りバッヘルンの後ろに転移したが、アクマが言っていた通り、メイドも執事も居ない。
僅かにアルコールの匂いが漂っているので、酒を飲んでいるのだろう。
エメリッヒと共に、部屋の外に出たのだろう。
「こんばんは。晩酌ですか?」
「ぶふぅー!」
後ろから声を掛けたら驚いたのか、飲んでいたものを吹いてしまったようだ。
汚い。
「お、お前か……急に話し掛けないでくれ」
「これは失礼。早速ですか、昨日の件の報告書と、討伐証になります」
町長から貰った報告書と、 アースドレイクの爪と魔石を渡す。
報告書を受け取ったバッヘルンは、眉間に皺を寄せながら読み進め、魔石を手にする。
「この魔力……本物みたいだな。本当にアインリディスが倒したのか?」
「はい。辛勝ですが、魔物から怪我を負うことなく勝つ事が出来ました」
「それは凄いな……昔ならともかく、今の私なら勝つのは無理だろう。あのアインリディスがな……」
僅か一ヶ月で底辺から卒業し、ネフェリウスを実質倒し、遂にはA級の魔物を単身で討伐。
バッヘルンからすれば、鯉が龍になったようなものだ。
そしてその龍は、これから公爵という宝玉を握るかもしれない。
既にバッヘルンの頭の中に、リディスを売るなんて思いは無いだろう。
……そう言えば、町長にリディスの事を喧伝しないように言うのを忘れていたな。
まあ領地の中でも端の方であり、王都からはかなり離れているから大丈夫だろう。
「最初の話通り、報酬は結構です……いえ、一つありましたね」
「何だ? 可能な限り叶えよう」
「おそらくリディスを戻そうと考えていると思いますが、学園に入るまでは今のままでお願いします」
「……それ位問題ないが、どうしてだ?」
「先日話したのと同じですよ。急にお嬢様の待遇が変われば、どこからか話が漏れるかもしれませんからね」
実際はそんな事なんてどうでもよく、メイド長の部屋から近い方が良いからである。
今は部屋まで数分だが、もしも中央に戻れた場合、片道十分は掛かる。
転移すればそれで済む話かもしれないが、アクマに頼りすぎるのは良くない。
「確かに……だな。わかった。クエンテェが反対するかもしれないが、何とかしよう」
「ありがとうございます」
「ところでだが……妙に甘い匂いがするが、どうしてだ?」
おっと、どうやらつけ汁の匂いが、染みついていたようだな。
「少々料理をしていまして。匂いが染みついていたようです」
「そうか……えっ、料理?」
一度往々しく頷いた後に、間抜けな顔をする。
『あっ、もうそろそろ戻った方が良いかも、ゼルエルが部屋に向かっているみたい』
(了解)
「それでは私はこれで失礼します」
「あ、ああ。今回は本当に助かった」
軽く頭を下げ、転移して鍋の前に戻る。
弱火なのであまり湯気は出ていないが、それなりに匂いが立ち込めている。
一応換気用の小窓を開けているが、こればかりはしかたない。
魔法少女になって風の魔法を使えば匂いは無くなるだろうが、料理だけにそこまでするのも気が引ける。
まあ過去に掃除の為だけにアルカナを開放した頃があったが、それはそれだ。
「おや、何か作っているのですか?」
煮込んでいる鍋をしばらく眺めていると、メイド長が部屋にある厨房までやって来た。
ふむ。折角だし、少しだけリディスの情報を漏らしておくか。
「はい。少し珍しい肉が手に入ったので」
「珍しい肉ですか?」
「はい。アースドレイクの肉が手に入ったので、煮込んでいます。明日には食べられると思います」
「なるほどアース…………アースドレイクですか?」
バッヘルンと同じような反応をして、メイド長は鍋の中を覗き込む。
鍋は鍋でもパスタを茹でるような大きな寸胴鍋に、大量に肉を入れてある。
生姜っぽい物やネギっぽい物もちゃんと入れてある。
「近辺にそんな魔物が出たなんて聞いていませんが、一体どこで?」
「バッヘルンさんに聞けば答えてくれると思いますよ。それと、討伐したのはお嬢様となります」
「……色々とやっているとは知っていましたが、もうそこまで?」
「装備のおかげでギリギリといった感じですがね」
少しの間メイド長は考え込むようにして、鍋の中を見つめる。
あっ、折角なら卵も入れれば良かったな……今からでも入れるか。
鶏の卵ではないが、それらしい卵を確か食堂から貰ってきていたはずだ。
鍋に水と冷蔵庫にあった卵を入れて、火を付ける。
「ハルナは、魔物ならどれ位まで倒すことが出来ますか?」
魔物ねぇ……。
元の世界ならば最強というか、最悪の魔物である星喰を倒している。
こいつは高濃度の魔力を撒き散らし、人が住めない環境に変える厄介な魔物だ。
本体も外殻と内殻に分かれており、基本的に一人の魔法少女では勝つ事は不可能とされている。
そもそも倒すと地球の大半を汚染する魔力を放つので、倒せないだけではなく、通常手段では倒してはいけない。
まあそんな化け物な魔物ともこれから戦わなければならないが、それはおいといて、この世界に来てからだが、まだ魔物とは一度も戦っていない。
今日も魔物をリディスに嗾ける事はあったが、殺してはいない。
ヨルムとの戦いも倒す前に待ったを掛けられているので、ノーカンである。
「此方では魔物を倒した事は無いのでなんとも」
「――冗談ではなく?」
「はい」
マジマジと俺を見つめてくるが、まだキルスコアはゼロである。
どうせその内、不運な事故に巻き込まれて増えるだろうけどな。
「不躾ですが、人は?」
「そちらも此方ではゼロですね。まあ、好き好んで殺すものでもないと思いますが」
こちらも元の世界ではってやつだ。
数えるのも面倒な程殺している。
最低でも十万以上だろう。
「……それもそうですね。失礼しました」
「何も殺していないのに、どうしてこれ程の力があるのか気になったのでしょう? 力とは、奪うことで得られるものである。そう考えるのは普通の事です」
程よく茹でた卵を取り出して、殻を剥いていく。
剥き終わった奴から順番に、鎖で鍋に放り込んで沈める。
俺の力は与えられたものだが、強くなるために文字通り血反吐を吐いてきた。
俺を殺した魔法少女を殺す……命を奪うために手に入れたわけだが、戦いそのものに魅入られてしまった。
結局復讐を果たす事になったわけだが…………人の心とは分からない。
「そう……なりますね」
表情は変わらないが、胸の中では一体何を考えていることやら……。
知ることは出来るが、簡単に答えを知るのはつまらない。
まあアクマが教えてくれればと、頭に付くのだがな。
基本的に教えてくれないし。
(まだ結構肉が残っているが、煮込み以外だと何があるんだ?)
『うーん。しぐれ煮とか?』
それも結局煮込みなのだが、固い肉だから仕方ないのか。
挽き肉にしてハンバーグなどもいけそうな気はするが、合い挽きにする必要があるか。
「そう言えば、ヨルムはどうしました?」
「少し用事があるらしく、出掛けています」
「……こんな夜更けにですか?」
見た目は俺と変わらない小さな少女だから、メイド長が言わんとすることも分かる。
だが、俺を除いた屋敷のメンバーの中では一番強い。
ヨルムが本気になれば、メイド長が十人居ても傷一つ付けられないだろう。
「あれでもこのアースドレイク程度なら、片手間で倒せるくらい強いので心配無用です」
「あの子については任せますが……そう言えば、お金は大丈夫ですか?」
「お金ですか……」
何かあればリディスが持っているのを使えば良いだろうし、アカシアの町ではそのつもりだった。
直ぐの直ぐ必要になる事はないだろう。
「直ぐには必要ないので、先日の宝石が売れたらで構いません」
「分かりました」
さてと、卵も全部入れ終わったし、シャワーを浴びて寝るとしよう。
メイド長が居る前で転移するわけにもいかんしな。
「このまま放置しておくので、食べないで下さいね」
「そんな事はしませんよ。それに、アースドレイクの肉は珍味ですが、あまりおいしくないと言われていますから」
「なら結構です」
「どこに行くのですか?」
つまみ食いするなら忠告して厨房を出ようとすると、何故か呼び止められる。
「シャワーを浴びて寝ようかと。後は明日の朝まで放置しておけばいいので」
「ふむ。でしたら、一緒に入りませんか? 使用人用の大浴場方なら、ゆっくりと湯に入れますよ?」
「結構です」
リディス程度の小娘ならともかく、他の成熟している女性の裸を見たいとは思わないし、見られたくもない。
「良いではないですか。使用人が風呂に入れるのは、此処位なものですよ」
「あまり人に裸を見られたくないので」
昔の俺ならば力が弱く、抱えられたりしたら逃げる事が出来なかったが、今は違う。
このままシャワー室に逃げ込めば……。
「そう言わずに行きましょう。人との付き合いは、しておいて損はないですからね」
逃げようとする俺をひょいとメイド長は持ち上げ、部屋を出て行く。
確かに一般人並みの力を手に入れたが、この世界は生身で剣を振ったりしているため、身体の基礎能力が違う。
鎖を使えば抗う事も出来るが、魔法を使ってまで逃げるのは流石に気が引ける。
元の世界で一つ学んでいたことがある。
諦めるのも、大事だって事を。
『ぷぷぷ』
(……)
アクマは後で念入りに磨いてやろう。
きっと、大きな声で喜んでくれるはずだ。