第19話:一方その頃
ハルナがとある冒険者パーティーを助けたり、ドラゴンの家にお宅訪問していた頃、ネフェリウスは少し落ち込んでいた。
父親であるバッヘルンが雇った家庭教師である、ゼラニウム。そのゼラニウムが連れてきた、人形の様な白いメイド。
そのメイドは、ネフェリウスが嫌いな姉の専属となっているメイドだ。
一目見た時は何とも薄気味悪く、微動だにしない表情は、メイド長を彷彿とさせた。
関わりのないまま終わるかと思いきや、何故か入試テストの点数で競うことになり――惨敗した。
対抗心からか、魔法の威力でも競い合ったが、結果はテストよりも酷いものだった。
たかがメイドと侮ることなく、全力で戦った。
同世代の中では、確かにネフェリウスは優れていた。
しかし相手が悪すぎたのだ。
魔法少女と呼ばれていた彼の少女は、世界を滅ぼすことが可能な存在なのだ。
その癖勤勉であり、微妙に常識人でありながら、目的のためならば手段を問わない冷徹さがある。
「ゼラニウム」
「どうかしましたか?」
魔法での戦いで負け、ハルナの魔法の余波で吹き飛んだまま寝そべるネフェリウスは、ゼラニウムを呼んだ。
「あのメイドは何者なんだ? 適当に選んで呼んできたわけではないのだろう?」
貴族らしく傲慢で平民を見下すネフェリウスだが、今のところは決して愚かではない。
敗けを敗けと認め、貴族の強権を振るわない程度の理性はある。
そんな倒れ伏すネフェリウスを見下ろし、ゼラニウムはクスリと笑う。
「メイド長に聞いてみたらどうです? 何か知っているかも知れませんよ」
落ち込む少年を内心で嘲笑い、ちょっとした提案をする。
魔法少女ゼアーである、ゼラニウムの命題はハルナの手助けだ。
それが最優先であり、果たさなければならないことだ。
だが本当ならば使命から解放され、悠々自適に暮らす筈だった。
なのに上司に当たる存在から怒られ、気付けば異世界である。
少し位愉悦のために、ハルナの周りを引っ掻き回しても、バチは当たらないだろう。
まだこの世界に来て日が浅いゼラニウムだが、ゼアーと呼ばれる存在にはアルカナとは違った、特典的な能力がある。
最初から世界に馴染んでいる状態でいられるのだ。
例えるならば、異世界なのに戸籍がしっかりと存在しており、出生などを疑われる事が無い。
更に一般常識を知識として受け取ってきているので、ハルナの様に失敗することもない。
「メイド長か……そうか」
ネフェリウスはくしゃりと顔を歪めた。
メイド長はこの家の中で、リディスとは違った理由で嫌いな相手なのだ。
常に澄まし顔をしており、ネフェリウスをあくまでもバッヘルンの息子として扱う。
メイド長なだけあって仕事は完璧であり、しかも実力も確かである。
正直話しかけたくないが、どうしても先程のメイドが頭から離れない。
白い老婆の様な髪に、似つかわしくない程整った顔。
吸い込まれるような黒い瞳は、ネフェリウスが見ていた限り、一度として揺れ動くことはなかった。
「さて、いつまでも寝てないで、負けたのですから、私の指示には従ってもらいますよ」
「分かっている。貴族に二言は無い」
とある理由で多少性格が歪められてるとしても、ネフェリウスには貴族たる矜持がしっかりと残っている。
立ち上がったネフェリウスはゼラニウムと共に部屋に戻り、勉強を始めた。
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夜までゼラニウムに扱かれたネフェリウスは疲れ果てた身体を動かし、屋敷の中を歩いていた。
メイドなのでネフェリウスが呼べば普通来るのだが、メイド長であるゼルエルは、バッヘルン以外からの呼びつけには応えないのだ。
執事長であるジャックは柔軟に対応するのに、ゼルエルはその線引きを頑なに変えないでいた。
なので、メイド長に用がある時は居場所を聞いて会いに行くか、バッヘルンに頼むしかない。
「おい」
「これは坊ちゃんではありませんか。どうかなさいましたか?」
坊ちゃん呼びされて、ふと脳裏に自分を見下ろす白いメイドがチラついたが、直ぐに頭から追い出す。
メイド長が居たのは、本館にあるメイド用の休憩室だった。
本館から東館までは距離があるので、一々戻るのが面倒なメイドや使用人のため、数ケ所休憩室がある。
「少し聞きたい事があってな。父様が雇った、あの白いメイドについてだ」
「ほう」
ゼルエルは驚きながらもその素振りを見せずに、ネフェリウスを椅子へと座らせ、紅茶を淹れる。
珍しくネフェリウスから話しかけられたのもあるが、ハルナが一体何をしでかしたのか興味がるので、話を聞くことにした。
「それで、ハルナの何を知りたいのですか?」
「全てだ。どこの誰で、これまで何をしてきたのか。どうして出来損ないのメイドになったのかだ」
不機嫌そうなのは相変わらずだが、まるで好きな子の全てを知りたがる男の子の様な様子に、本当に何をやったのか気になり始めた。
「私が知っている事はあまり多くありませんが、どうしてですか?」
「……負けたんだ。完膚なきまでにな」
ネフェリウスは昼間行った、ハルナとの勝負についてゼルエルに話した。
テストではぶっちぎりで点数に差が出て、魔法では見た事もない魔法で事実上の満点を出して見せた。
話を聞いたゼルエルは当然の結果だろうと、少し遠い目をした。
鬼のメイド長と言われる自分の教育を、弱音を吐くことなくやり遂げる程の胆力があり、その教育を全て吸収できる頭脳がある。
挙句、本気の戦いで完膚なきまでに負けている。
あくまでもメイドとしての本気だが、騎士として本気で挑んでも、勝つのは不可能だろう。
最近鎖を自在に操って仕事をしているハルナを見ると、その事を痛感する。
悪魔の子供達だとしても、その性能はゼルエルが知っている物よりも数段上だ。
王国の黒歴史として全て闇へと葬った筈だったのに、どこからともなく現れ、何故かメイドをしている。
「そうですか。ならば、私と一緒ですね」
「――はっ?」
「当主様がハルナをメイドとして雇うと発表した日、実力を見るために戦ったのですが、手も足も出ませんでした」
何故メイドを雇うのに戦う必要があるのか疑問に思うが、ゼルエルに常識が通じないのは、痛いほど理解している。
しかし、ゼルエルが負けたと言うのはにわかに信じ難い事だ。
ゼルエルとジャックの戦いを見たことがあるネフェリウスは、ゼルエルが自分では手も足も出ない程強い事が理解出来ていた。
そのゼルエルを、自分と変わらない少女が下したなんて、本人から聞いても信じられない。
「どこの誰か……については分かりかねますが、相当辛い人生を歩んできたのは確かでしょう。坊ちゃんはこれまで、白髪の者に会った事はありますか?」
「……いや、あのメイドが初めてだな。今思えば不思議な存在だな……」
「そうでしょうね。何せ、白色の髪は王国からしたら黒歴史的存在ですから。私の口からはお話しできませんが、十年前にあった事件を調べれば、分かるかもしれませんね」
十年前の事件に当たった当事者達はゼルエルも含め、精神に深い傷を負っている。
作り出された存在とは言え、無垢な少年少女をその手で惨殺しているのだ。
語らなくて済むならば、語りたくなどない。
ある意味、ハルナがどう足掻いても勝てない程強かったのは、ゼルエルからすれば好都合でもあった。
もう、子供を殺すのは嫌だから。
「しかし、坊ちゃんが異性に興味を持つとは意外でしたね」
「なっ、別に興味がないわけではない! その内婚約をしなければならぬ身だしな!」
急に妙な事を言われたネフェリウスは、顔を赤くしながら言い訳を並べる。
だがいくら言葉を並べても、ゼルエルは「分かってます」的な雰囲気を出すだけで、まともに聞いていなかった。
貴族の務めとして、世継ぎを残すのは当然だとネフェリウスはバッヘルンから教えられてきた。
相手がどの様な相手であれ、自分の感情よりも優先しなければならない。
そんな父が周りからどの様に言われているかを知らないネフェリウスは、鵜呑みにしながらも、両親の様に仲睦まじい将来を夢見ていたりもする。
学園に居る姉の策略で染められていた貴族主義な思想は、ハルナに心を折られたため、鳴りを潜め始めている。
「そう言えば、今日から新しい家庭教師が来ていたと思いますが、どうでしたか?」
「あいつか……まだ勉強だけだが、優秀だと思う。悔しいが、僕一人で勉強するよりも効率が良い」
「それは良かったです。生憎まだ会えていませんが、坊ちゃんがそう言うのでしたら、問題なさそうですね」
その家庭教師のせいでネフェリウスは地面を舐める羽目になったが、おかげでメイド長への苦手意識も少し和らいだ。
結局ハルナの事はほとんど知る事が出来なかったが、ゼルエルよりも強いという事と、十年前に起きたと言われる事件に関係がある事を知れた。
少しだけもやもやする中、ネフェリウスはゼルエルに礼を言ってから私室へと戻った。
そんなネフェリウスを見送ったゼルエルは夜の鍛錬をするために裏庭へと向かうのだが、ハルナがもたらす爆弾に頭を抱える事になるとは、この時は考えもしなかった。