第119話:ハルナの営業回り
「本日は少し出掛けてきます」
「分かりました。大丈夫かと思いますが、お気を付けて」
お茶会があった次の日の朝。
朝食を食べ終えた後に、メイド長に外出する事を伝える。
今日はバッヘルンで遊んだ後に、魔界に行く予定となる。
アラクネのシルクが思いの外良いものだったので、追加で買いに行こうと思う。
通貨なんて持っていないので、物々交換か何かしらの手段を使うことになるだろうが、あのライネならば頼めば用意してくれるだろう。
そして今回は、誰も連れていく気はない。
話が拗れると面倒だからな。
取り敢えず屋敷の外に出て、適当に歩く。
(バッヘルンの様子は?)
『今から執務室で、仕事を始めるみたいだね。ただ、今はジャックが居るからもう少し待ってからの方が良いね』
(そうか)
仕方ないが、このまま少しばかり散歩でもするか。
貴族街と言っても端だが、ここら辺は歩いている人間はほぼ居ないため、かなり静かだ。
道路から屋敷まで距離もあるので、視線を感じることもない。
出来れば市街地に出るまでの間に、ジャックが居なくなってくれれば良いが……。
そんな風に思いながら歩いていると、市街地方面から一人の少女が歩いてくるのが見えた。
見るからにお上りらしく、視線をさ迷わせながら歩いている。
まだ俺には気付いていなさそうだが……面倒な臭いがするな。
鎖を取り出して、一番近い屋敷の屋上まで跳び、隠れて少女を観察する。
見た目はリディスやアーシェリアと同じくらいで、歩き方を見るに貴族ではなさそうだ。
まあ服の質が平民のそれなので、動きから判断する必要はないのだが。
髪が金色なので光の魔法が使えるのは分かるが、平民で金髪とは相当珍しい。
(あれが誰か分かるか?)
『分かるけど、知らないでいた方が多分面白いよ』
ふむ……つまりあの少女が、俺のクラスが変わることになった原因か。
ならば、これ以上知らなくても良いな。
(なら教えなくて良い)
『そう答えると思ったよ。それと、今ならバッヘルンの所に行けるよ』
(なら送ってくれ)
しかし、あの少女は何の用事で来ていたのだろうか?
何やら面白そうな事が起きそうだが、今日は見逃すとしよう。
1
アクマに転移して貰った先は、前回と同じくバッヘルンの背後である。
俺に気付いていないバッヘルンは黙々と書類を読んだり、或いは書いたりとしながら、執務を進めている。
このまま見ているのも良いが、そろそろ声をかけるとするか。
「お久し振りです。少し忙しい様ですね」
「…………お前か。出来ればアポイントを取ってから来て欲しいのだがな」
「他に誰もいないのを確認してから来ていますので、ご安心ください。私との関係が執事長に知られるのも嫌でしょう?」
バッヘルンは顔を苦々しく歪め、持っていたペンを置いた。
このまま後ろから話のもマナーが悪いので、前へと回り、ついでに鎖で紅茶を淹れる。
「今回は何の用だ?」
「リディス様や私の、試験結果の報告は来ましたか?」
「まだだな。そもそも、合否が出る日から考えれば、私の所に報告が来るのはまだ先だ」
「それは上々です。流石に早馬でも出されていたら間に合わなかったかもしれませんので」
「御託は良い。結果は?」
打てば響いてくるバッヘルンの会話は、楽で良い。
小物だが決して頭が悪いわけではなく、野望はあるが、大きな悪事を働く程腐ってもいない。
けれど、チャンスを逃がさない決断力を持っている。
「先ずはリディス様ですが、宣言通り首席合格を成りました。此方は学園長直々に話を伺ったので、覆る事はないでしょう」
「そう……か。本当に成し得るとはな……。色々と思う所もあるが、私の目が曇っていたというわけか……」
「逆ではないですか? 他家とは違い、一応とはいえ娘として育てていたのですから」
紅茶をバッヘルンに差し出し、俺はミルクと砂糖を入れて飲む。
ここで「馬鹿な」とか、「ありえない」と反論してくれれば面白いのだが、バッヘルンも人の子であり、親としての心を持っているのだろう。
だからスティーリアに良いようにされたのだが、それでもギリギリまでリディスとの縁を切らなかったのは、愛情があったからなのかもしれない。
調べた情報では、魔法が使えないと分かった時点で、縁を切られるか売られるのが大半みたいだからな。
「それと、シリウス公爵家のアーシェリア様主催のお茶会に招かれ、第四王子との繋ぎを作ることが出来ました」
「……それは上々だが、一体何があったのだ? あまりにも出来すぎている」
「リディス様とアーシェリア様は、どうやら馬が合ったようです。お互いに人と距離を取りたがるタイプなので、お茶会に招かれる程度の仲になりました」
先程まで黄昏ていたバッヘルンは、今度は頭を抱える。
バッヘルンにとってはありがたい出来事だが、もっと時間を掛けて進めたかったのが本音だろう。
バッヘルンはリディスの親なだけあり、人付き合いが苦手なのは見れば分かる。
野心はあるくせに、ほとんど領地から出ないで内政をしているのは、そのせいだろう。
王都の貴族街について調べた時に、領地で常に暮らしている当主は少なかった。
基本は王都で暮らし、たまに領地に帰る。
大体そんな感じだ。
戦争も起きずに平和なのだから、態々田舎の領地に帰らず、都会である王都に居たいと思っているのが大半なのだ。
無論これを出来るのは金のある貴族だけだが、バッヘルンもやろうとすれば出来るだけの収入はある。
伊達に侯爵ではないのだ。
「第四王子……マフティー様は何か言っていたか?」
「最低でも嫌われるような態度を取られてはいませんので、学園生活次第ですね。私もそれなりに動くつもりですが」
「入学前の時点で繋がりが出来たのだ。これ以上高望みをする気はない。縁と言うのは少しずつ紡いでいく方が、大輪の花となるのだ」
ブロッサム家らしい例えだが、言いたい事は分かる。
俺の場合は自分から太い縁を作る事はしなかったが、仕事上の繋がりはそれなりに作っていた。
デザイナー兼設計だが、個人の設計事務所なんてのは横の繋がりが八割だ。
何かを作る際に図面は絶対に欠かせない物であり、失敗は許されない。
そして初めての相手よりも、馴染みの相手の方が頼みやすいってのもある。
リテイクもそれなりにあるし、場合によっては年単位の仕事になるからな。
「そうですか。一応報告するまでもないと思いますが、私とヨルムも学園には合格しています。また、王族が少し動いている可能性があります」
「――動くとは、一体何故だ?」
「理由は色々とあると思いますが、それなりに有名なリディス様についてと、コランオブライトのせいかと思います。前者はともかく、後者で実害が及ぶ場合は、私の方で対処しますので安心して下さい」
「……どちらも貴様のせいという事か……まあいい。結果として上手くいくのなら、そちらに任せる。どの道降りると言う選択肢は無いのだからな」
俺の淹れた紅茶に口を付けたバッヘルンは俺を睨むが、そのまま紅茶を味わった。
それなりに紅茶の淹れ方を練習したので、クエンテェの紅茶の味と九割方同じで淹れられるようになった。
なので、俺がどうしてクエンテェと同じ味の紅茶を淹れられたのか気になったのだろう。
そしてそれは俺ではなく、クエンテェに聞くつもりだろう。
「取りあえず報告は以上になります。何かご質問は?」
「……転移だが、他の人を連れて行くことは出来るのか?」
「相応の料金を頂ければ可能です。それと、守秘義務を守るのでしたら」
「分かった。聞きたかったのはそれだけだ。また何かあれば連絡してくれ」
「それでは失礼します」
飲んでいた紅茶を飲み干し、洗ってからそのまま部屋を出て行く。
そして窓から鎖を使って外に出て、ゼアーの居る客間へと移動する。
鍵は掛かっていないようなので、そのまま部屋の中に入ると、ゼアーは書類が積まれたテーブルの上で紅茶を飲んでいた。
「あら、来たのね」
「顔を出せと言われましたからね。営業回りみたいなものですが、調子はどうですか?」
「向こうに居た時よりも暇で有り難いわ。アロンガンテの手伝いなんて、するもんじゃないわね」
アロンガンテさんの仕事量は、おかしいを通り越してクレイジーだからな。
例えとして使わない方が良い。
俺も手伝ったことがあるが、当たり前のように一日では終わらない量を寄越された。
多分出来るところまでで良かったのだろうが、アクマが居たおかげで、事実上定時上がりをする事が出来た。
「それで、何をして欲しいのかしら?」
「受かった生徒の大まかな情報と、第四王子の個人的な情報。それから暗躍している連中の面白い情報があったら下さい」
「三日後位には纏めて送っておくわ。話は変わるけど、そっちの方は何か面白い事はあった?」
面白い事か……。
「少し前に魔界へ行ってきました」
「何やってるのよ」
何と聞かれたら、ただのストレス発散である。