第112話:ジュラバルとの契約
「それにしても、本当に素晴らしいお菓子でしたね。宜しければ、個人的にお願いしたい事があるのですが?」
毒見という名のお茶会モドキが終わった所で、ジュラバルが話しかけてきた。
王家が絡まない個人的ってのが少々気になるが、まあ話を聞くだけならばタダだ。
「何でしょうか?」
「このリコッタパンケーキのレシピですが、売って頂く事は可能でしょうか?」
……売ってしまうのは構わないが、どうしたものか……。
おそらく断ったとしても、ジュラバルは仕方ないと諦めるだろう。
だからこそ個人的と言っているわけだし。
逆に売った場合だが……俺のデメリットは全く無い。
強いて言えばレシピを紙に書き起こさないといけない事と、契約書を交わさなければならない位だな。
「金額と内容次第ですね。因みにリコッタチーズの作り方は別となりますので」
「……なるほど。でしたら金額はパンケーキのレシピは二十万。チーズに付きましては更に二十万で如何でしょうか?」
「他は?」
「ふむ……私個人とはなりますが、貸しという事で如何ですか? 下手な貴族よりは出来る事は多いので、力になれるかと」
悪くない条件だな。値段とすれば高額な方だし、貸しと言うのは馬鹿に出来ない報酬だ。
ジュラバルの爵位や立ち位置は後で調べるとして、王家のメイドをやっているのだから、いつか役に立つ日が来るだろう。
「大丈夫です。レシピの方は今から作成しますので、契約書の作成をお願いしても?」
「構いません。話の出来る方で助かりました」
ペコリと頭を下げてから、ジュラバルは厨房から出て行った。
この場にライコフとクルルが居なければ、紙をアイテムボックスから取り出すのだが、流石にそんなことは出来ない。
面倒だと思っていると、話を聞いていたライコフがいつの間にか紙とペンを用意しており、そっと差し出して来た。
なるほど、これが出来る執事と言うものか。
「ありがとうございます」
「いえ、タダでこれだけの料理を食べる事が出来ましたので、これ位気にしないで下さい」
俺もメイド長から習ったが、主が求めるモノを先回りして用意しておくのが、一流の使用人だ。
主の一手間を請け負うとも言えるが、これが案外やってみると面白い。
俺の場合はアクマの読心術モドキを使ってズルをしているが、バッヘルンすら俺の先回りに表情を変えていた。
まあ俺の趣味はおいといて……。
(レシピを頼む)
『私って報酬を貰えるのかな?』
(後でリンゴジュースを作ってやるよ)
『私って安いねー』
戯言は無視しておくとして、右手の動作をアクマに任せる事で、二枚のレシピをアクマに書かせる。
パソコンがあれば自分で書いても良いが、レシピを紙に書くのは結構面倒のなので、全てアクマに任せたのだ。
そんな俺がレシピを書いている間、ヨルムとクルルには後片付けを頼んである。
洗い物だけは鎖が使えないので、面倒なのだ。
自分で淹れた紅茶を飲みながら書いていると、契約書を持ったジュラバルが戻って来た。
ボールペンがあればもっと早く書き終わっているのだが、時代の違いが恨めしい。
最後だけ少しアクマを急かし、ジュラバルが座る前に書き終える。
普通ならば乾くまで待たないといけないが、火の魔法を使えばあっという間に乾くのである。
ただ変に乾かすと色々と問題が起こるので、溶剤を蒸発させて滲まない程度にしておく。
「……素晴らしい執筆速度ですね。それに、魔法の腕も素晴らしい。本当にあなたが惜しくなってきました」
「お褒めいただきありがとうございます。そちらが契約書ですね。拝見しても?」
「はい、問題なければサインをお願いします」
さてさて、契約書の内容は……。
先程の金額を払うことと、パンケーキのレシピを許可なく配布する事の禁止。
それと、ジュラバルが個人で兼ねられる範囲のお願いを一つ聞く事。
俺が契約違反した場合、違約金はないがお願いについては無効にし、先にお願いを聞いていた場合、等価の償いをすること。
特に問題のない内容だな。
簡潔であり、遠回しな表現もない。
チーズの方を禁止しなかったのは、逆に広めてもらって貰いたいって事だろう。
裏の事情も何となく読めるが、この場で話す事ではない。
書かれている契約名は、家名を載せていないが、証印として王家のマークが使われているので、信頼性は問題ない。
なんでこの場で持っているのか気になるが、それだけ高い地位にいるということだろう。
若いとは思っていたが、若作りして年齢を誤魔化しているのだろうか?
俺に人を見る目はないので、とりあえず正体については考えるのを止めるとしよう。
何だって構わないし。
「問題ないようですね。写し等は貰えますか?」
「サインしていただくと、自動で複製されますのでご安心下さい」
流石ファンタジーな世界だと思うが、こう言った契約はファンタジーよりSFの方が楽だと思う。
何なら書類仕事も効率化が図られ、かなりの速度で…………うん、仕事が早くなった分、さらに仕事が増えるんだよな。
時代が進めば進んだ分仕事が増えるのだ。
少しだけアロンガンテさんの無事を祈ってからサインをすると、煙を噴いてから二枚に増える。
増えた方を手元に残し、レシピと共にジュラバルに渡す。
「確かに。それでは私はこれにて帰らせていただきます。当日は来ることが出来ませんが、何事もなく終わる事を祈っています」
レシピを流し読みしたジュラバルは、スッと立ち上がってからライコフとクルルに一言断ってから帰って行った。
あれだけ出来る人だと言うのに、シルヴィーの偽装には全く気付く事が出来ていない。
神を名乗っているだけの力は有るんだなよな。あんなんでも。
それにしても、当日に来ないって事は第四王子付きのメイドと言うわけでもないのだな。
来てくれれば、何かあった際に直ぐに貸しを使えたのに。
「いやはや、何とも忙しない方でしたね。先程の契約ですが、無理を強いられていないでしょうか?」
俺も帰る準備を始めようとしたところで、ライコフが心配そうにしながら寄って来た。
ライコフが心配する理由は分かるが、流石のシリウス家の使用人でも契約に口出しを出来なかったのだな。
どこかしらで口を出してくると思っていたのだが、予想が外れた。
「問題ありません。何でしたら契約書を見ますか?」
「少し拝見させていただきます……確かに問題ありませんね。相場よりも高めですが、材料の製法の事も合わせれば妥当とも言えます。しかし……いえ、すみません」
少しだけ悩んだライコフは一言謝ってから契約書を返し、それ以上は契約については触れて来ない。
いや、本当にあの人は何なんだろうか?
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「本日はありがとうございました。当日もよろしくお願いしますね」
片付けまで終わり、帰りの馬車へと乗り込むところでライコフが頭を下げて、それから扉が閉まり、パカラパカラと再び馬車が動き始めた。
後はまた当日作れば良いのだが、アラクネのシルクが結構いい味を出していたな。
パンケーキは目が細かくなり、クッキーは舌触りがとても良くなっていた。
今度魔界に行った際に、纏まった量を買うのもありだな。
「本日はお疲れさまでした。戴いたクッキーから最低限の腕はあると思っていましたが、想定を大幅に上回る味でした」
会った頃には考えられないような笑顔で、クルルは頭を下げる。
パンケーキとクッキーが美味しかったせいか、随分機嫌が良い。
いつの世も、女性は甘いものが好きということだな。
……ふむ、少し懐柔しておくか。
アーシェリアの庇護があるとはいえ、細事まで口を出してくることは間違いない。
全てを敵に回す立ち回りもありかもしれないが、それは魔界だけで十分だ。
雑魚を相手にチマチマとやるのは、俺の趣味ではない。
減らせる負担は、なるべく減らしておきたい。
「お褒め頂きありがとうございます。当日ですが、クルル様はどの様になっているのですか?」
「私はアーシェリアの近くで、控えさせていただく予定ですね。ライコフを含めて数名が控える予定です」
確かお茶会に来るのはリディスを含めて侯爵から三名で、全体で言えば俺達を含めて七人。
少し人数が多い気はするが、それは俺とヨルムが居るからであって、五人だけとして考えれば妥当な人数とも言える。
「そうですか。聞き忘れていましたが、私は予定よりも先に行った方が宜しいですか?」
「……そうですね。確認して後でお知らせします」
「分かりました。それと、クルル様に渡したいものがありまして」
前回と同じくメイド服の前掛けの中から取り出す振りをして、クッキーが入った袋を取り出す。
クルルの目が細められ、獲物を狙う獣の様な雰囲気を出す。
クッキーの袋をクルルに差し出し、手に取る瞬間、ひょいと上に上げる。
「……」
「……少し、お願いがあるのですが、聞いていただけますか?」
「内容次第ですね」
「貴族の間で流れている、リディス様の噂を集めて頂きたいのです。色々と言われているようですので」
「…………承知しました」
クッキーをクルルの手に乗せて、契約完了である。
事実を知るならばアクマに調べてもらえれば事足りるが、噂程度を調べるのは流石に難しい。
そもそも噂の大元を知ってしまっているのだが、流石にどんな内容かは分からない。
まだ入学までは余裕があるし、調べる時間はあるだろう。
「ありがとうございます。私も頼れる人が少ないので、クルル様のような方が居るのはありがたいです」
「いえ、それと……」
「分かっています。学園にもたまに持って行きますので、その時はお渡しします」
これで主従揃ってこちら側に引き込む事が出来た。
やはり賄賂で解決するのは楽でいい。
「これからも、良い関係を続けられる事を祈っています」
「こちらこそ。学園でもよろしくお願いします」
少しだけあのシルクに中毒性があるのか疑いたくなるが、ただ美味しいだけだろう。
ヨルムの視線が珍しく痛いが、これが人間ってものだ。




