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第36話 ヘルヘイム

「厳しい状況だな」


隣から声が聞こえ振り向くと、そこにはいつの間にかミス・アナが立っていた。

彼女には色々と聞きたいことがあるが、今はそれどころではない。

体感で十分程度しか走っていないというのに、体温は奪われ俺の体に震えが現れていた。


「あれだけの人間の魂を用意して、ようやくまともに走る列車だ。人一人の命では賄えないのは当然。馬鹿な選択をしたな」


「……何を、しに来やがった」


目は霞み意識も朦朧とする中、茶化しに来たような魔女の発言に苛立ちを見せようとするも、まともに言葉を発せない。


「意気込むのは勝手だが、未熟で幼稚な馬鹿の空回りのせいで皆、死ぬ。膨大な魔力を持つ乗客の中から誰か一人だけ犠牲にしたのなら、助かる命もあっただろうに」


「馬鹿は、お前らだ。賢人を気取って、無限の可能性を、新たな未来の産声を、消してきたんだ」


「話にならんな。……だが、嫌いじゃあない。もしもその覚悟が本物なら、私が新たな道を示そう」


「新たな道、だと」


「そうだ。走り抜けることが出来れば皆の命は例外なく助かる。だが、奴らに捕まってしまえば例外なく全員死ぬ、そんな道を」


自分の無力さが憎い。

力があれば、こんな訳の分からない馬鹿げた選択肢に悩む必要もないのに。

だが、どれだけ突拍子のないことでも、この魔女が言うことに偽りがあるとは思えない。

いや、それが本当だとしても皆の命を預かるほどの価値が俺にあるのか。


まともに状況を把握できず、何も答えられない。

ただ、希望号が走る音が鳴っている。


『ユウキ、気楽に行こう』


突然、伝声管から聞こえるトーコの声。


『皆の命だとか、素敵な未来だとか、そんなもん、一人で抱えるには重すぎる。そんなもんを背負っていたら動けなくなってしまう。だから、何も恐れずに感情のまま、前に進め。大丈夫だ、お前の後ろには、お前よりよっぽど人生経験を積んだ大人が何人も控えているんだ。余計なことは気にしないでいい、既にお前の中にある答えに従って進むんだ』


こちらの会話だけでなく俺の心情まで見透かしたような優しい声が響く。

その声は間違いなく、俺の心の中に一本の筋を通した。


「さぁ、どうする」


「誰も、誰も死なせない」


振り絞った言葉。

今まで何度も繰り返してきた言葉。

今の俺に残されているものは、虚勢だろうが何だろうが、これしかない。


「よかろう。ならば、地獄の門を開こうではないか。確と見よ、この世の奇跡を」


そして、魔女は呪文を唱え始める。


「Limes inter viventes et inferos, hic et nunc dissolvitur atque connectitur.《現世と冥界の境界、今ここに解き繋ぐ》」


空気は冷え身体が凍える。

気温の低下は錯覚ではなく、現に俺の吐く息が白くなっている。


『何を呑気にしている。気を引き締めろ』


フォルティミアの声が聞こえ、俺は何が起きても対処できるように、希望号の意識に自分の意識を深く沈める。

視界は共有され、荒野に敷かれた線路を走る景色のみが映し出される。


「Apparere, Porta Inferni.《現れよ、冥府の扉》」


突然、線路の両脇から木の根が生え、ゲートを模る。


「Aperi, via ad Helheimum!《開け、ヘルヘイムへの道よ》」


そして、ゲートの中心に渦巻く深い闇が現れ、それより先が全く見えなくなってしまう。


「あの闇に向け、このまま進め」


ああ、きっと、この先には碌でもないものが待ち受けているのだろう。

俺は残り少ない命の火を燃やし、覚悟を決め突き進んだ。

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