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第2話 出会い

仕事終わり。

いつものように日が沈み始める頃に帰り道を進むと、工場地帯、ビル街を抜けネオンが眩しい繁華街に辿り着く。

ここは我が国から海を挟んだ西の大陸の一国である燐国(りんこく)の人々が営む店が立ち並ぶ、騒がしく雑然とした場所である。

八角や大麻の匂いに加えて下水の臭いまで、鼻を強く刺激する日常の香りにも慣れ、何の感慨もなく進んでいく。

しかし、唐突にいつもとは違う光景が視線の端に現れる。

オープンテラス、いや、店の外に机と椅子を用意しただけのみすぼらしい飲食店に人だかりができている。

そして、その中心にいる人物は何かを右手に掲げ大声をあげている。


「やった!!俺は!黒の切符を手に入れたぞ!!」


黒の切符。

そういえば、聞いたことがある。

黒の切符を手にしたものは白い列車に乗ってゆけ、なんて妙な歌に乗せられた話を。

その切符は前触れもなく、何者であるかに関わらず手に入るという。

望む望まぬに関わらず、それを手にした者は皆、例外なく白の列車に乗って旅立つことになる。

それは決定された運命であり、誰も拒否することはできない。

そして、その列車が七つの橋を乗り越え終着点へと辿り着いた時、その者の全ての望みが叶うという噂だ。


全く、馬鹿げた話だ。

どうせ、何も行動を起こさずに願いを叶えたいという、新興宗教にはまりそうな奴らが作った与太話だろう。

それでも、ここに住む奴らの羨望を集めるには十分すぎる話のようだ。

だからこそ、ここでそんなことをしては。


突然、群衆の中の一人が切符を持つ男に殴りかかった。

それを機に周囲の人間も一斉に切符目当てに襲い掛かる。

たちまち怒声と土煙が巻き起こり、辺りは騒然となる。


俺はそれを横目に、さっさとその場を離れる。

くだらない。

それでも、幻想だとわかっていても、皆、ここから逃げ出したいのだろう。

俺だって、それが本当なら。

そんなことを考えながら歩みを進めると、ようやく繁華街を抜けこれまた見窄らしい住宅街へと差し掛かる。

先ほどの貧しくも賑やかな雰囲気とは打って変わって、より一層乱雑に密に立ち並ぶみすぼらしい住宅に囲まれ陰湿な空気に包まれている。

嫌な臭い、嫌な視線、長居するだけで狂ってしまいそうな薄い狂気の膜が身体に張り付いていく。


「あ、ちょうどよかった~」


その時、背後から空気をさらに重くさせる、恐怖の声が聞こえる。

振り返ると、感情の読めない笑顔を張り付けたスーツ姿の長身の女性と、その傍に二人の女性が佇んでいた。

彼女の名はシン・イー、俺たち支配する燐国の組織、幇会(ほうかい)に所属している、この区域の管理者だ。

言い換えれば、日本人の飼い主のようなものか。

もう片方の女はスーツに黒い革のコートを着込んだフェイ・ウーという名で彼女の用心棒をしている存在だ。

身長は百四十程度と小柄だが、侮るなかれ大の大人を片手で簡単に捻り潰せるほどの力をもっている。

シンに逆らった日ノ国人(ひのくにじん)がフェイの手によって無残に転がっている様子はこの辺りではよく見られる光景だ。


「ユウキくん、ちょうどキミの家に行こうとしてたんだよ~」


ユウキ。

それは俺の名でもあり、彼女から与えられた名でもある。

本来、家畜に名前を付けないように日ノ国人にも名前などないため、非常に特別なことである。

しかし、これは彼女の優しさでも憐れみでもなく、この世界に適応できずに生きる俺に贈られた皮肉たっぷりの嫌味である。

さらに恥いるべきは、それを自分の名前と認識してしまっている点だ。

そんな自分にも腹が立つ。


「いつものことだけど、そんな親の仇を見るような目で僕を見ないでよぉ~。それに、今回はキミにとっても素敵な話を持ってきたんだから~」


嫌悪感を催す間延びした声に今すぐにでも彼女を無視してこの場から去りたくなったが、あの用心棒、いや、猟犬ともいうべきか、フェイが目を光らせている時点で逃げるという選択肢は潰されている。


「用があるなら、さっさと済ませてくれ」


「まったくもう、せっかちなんなだから~。まぁ、僕がわざわざ出向いた時点で察しはついているだろうけど、いい加減キミにも身を固めてもらおうと思ってね~」


そう、彼女がわざわざ俺を訪ねてくる理由は一つしかない。

それは、結婚だ。

俺たちは人材を増やすため、ある程度身体が成熟した時点で強制的に誰かと結婚し子を作らなければならない決まりがある。

拒否権はなく、相手を選ぶ権利もなく、くじを引くような感覚で適当な伴侶が割り当てられるのだ。

さらに結婚とは名ばかりで、定期的に性行為をし子を成すだけの関係を結ぶだけで他国のように婚姻し式を挙げることも許されていない。

しかし、他の区域ではありえない話だが、俺は彼女に下げたくもない頭を何度も下げて婚約を避けることができていた。

その度に痛めつけられ血尿が出るほどの厳しい労働を課せられたが、それでも意地を張っていた。

ここまで流され生きてきた俺に守るものなんてないはずなのに、なぜかそれだけは嫌だったのだ。


「ねぇ、前も言ったと思うけど、僕は他の地区の管理者と比べて随分と優しくしているんだよ。他では従わない者には暴力なんて当たり前だし、日ノ国人なんて道具として扱われ壊れたら買い替えだって常識、知らないわけないよね。まぁ、僕は人間を上手く扱うには生かさず殺さずが一番だって思っているからキミの意思も鑑みていたけど、限度ってものはあるんだよねぇ」


口調はいつもと変りないが、今回ばかりはいつものように駄々をこねた後に罰を与えられて終わり、なんて話にはならなさそうだ。

どうすべきか悩んでいると、彼女は傍にいたフェイとは別のもう一人の女性の身体をグイと前に押し、こちらへ見せつけてきた。

ぼさぼさの黒いロングヘア―に青白く細い手足。

顔立ちは端整で一瞬美しく見えるが、その割に表情は暗く酷く窶れて見える。

さらに、その薄汚れた白い長袖のワンピースも彼女が奴隷、いや、日ノ国人であることをありありと見せつけるようだった。


「この娘は小さい頃から娼婦をやっていてね~。結婚はしてないけど出産も既に何回か経験しているんだよ~。まだ二十歳ぐらいなのに、すごいよね~」


淡々と話す彼女と、何も言わずに佇んでいる彼女。

その姿を見ていると、俺の心は言い様もなく震え始める。


「精神的に不安定で反応が悪いからお払い箱になっちゃったけど、まだまだ美人だし器量もあるから、きっとキミのことも気持ちよくしてくれると思うよ~。それに、キミみたいな優柔不断で情けない男には経験豊富なこの娘がお似合いだと思うよ~」


「いつも言っているだろ、そんな気はないと。それが気に食わないなら、重労働を課すなり暴力をふるうなり好きにすればいい」


つい、いつもの癖で意地が顔を出してしまう。

そのおかげでシンの笑顔が少しだけ引き攣る。


「ね、そろそろ従ってもらわないと、どうなるかわかるよね?いい加減、キミの代わりはいくらでもいるってことを自覚したほうがいいよ」


フェイが一歩前へ踏み出す。

おそらくこれが最終通告だろう。

従わなければ、いや、それでも。

ここでそれを受け入れてしまえば、俺はもう自分を許せなくなってしまう。


「殺したいなら殺せばいい。すっぱりとこの世から別れさせてくれるんなら俺も楽だ」


「やれやれ、キミは本当に、何もわかっちゃいない。飼い主がペットに一番腹が立つ瞬間はねぇ、自分の言うことを聞かないことなんだ。キミらは私にとっていつも都合がいい存在でいなければならない」


「だから、都合が悪いのなら殺せばいい。お前たちの常套手段だろ?」


その言葉で彼女の笑顔は完全に消える。


「フェイ、丁寧に教えてあげて。クズが思い上がらないように、恐怖をね」


「はい」


その瞬間フェイの姿が視界から消え、気づけば背後から両腕を固められ、あっという間に地面に抑え込まれる。

うつ伏せになり上から押し潰され肺から空気が漏れ苦しみを感じながら、彼女は俺の右手の人差し指の爪と肉の間に冷たい何かをを沿わせた。

そちらを覗き何をするつもりかと考える暇もなく、その指に強烈な痛みが走る。

どうやら爪を剥がされたようで、腹の底から飛び出す悲鳴を堪え代わりに醜い呻き声をあげる。


「足も合わせて、あと十九回。それでダメならその必要のない性器も切り落とそうか」


「さっさと殺せ!」


「だめ〜」


気構える暇もなく、今度は中指の爪が吹き飛ぶ。

今度は耐えられずに人生で初めて大きな悲鳴をあげる。


「どう?気は変わったかな〜」


その問いに答える余裕はなく、涙を流しながら嗚咽を漏らす。


「そっか~。じゃあもっとやっちゃって」


少しも衰えはしない強烈な痛みが続き、何処の指の爪が剥がれたか分からないほど意識が朦朧とする。

遂に、痛みから逃れるために無意識に救いを求め顔を上げると、シンが連れている娼婦と目が合う。

彼女は今にも泣き出しそうな顔をしてこちらを見つめている。

それに気づいたのか、フェイは彼女の顔を覗き込む。


「ん?そんな顔をして、どうしたのかな?彼を救いたい?それなら、好きにするといい。僕はキミらが結婚さえしてくれたらそれでいいんだから」


そして、少しだけ迷ったそぶりを見せ、こちらへ向かってきた娼婦は地面に伏す俺の前にしゃがみ、おそるおそる手を差し伸べた。


「フェイ、右手だけ解放してやって」


「はい」


フェイに抑えられ一切の自由がなかった身体から右手だけ解放される。

それは救いの手か、地獄への誘いか。

この手を掴めば、結婚を受け入れたとみなされ、今まで俺が張ってきた意地と矜持は失われてしまうだろう。

しかし、手を差し出す彼女の憐みに満ちた目を見つめていると、またもや無意識に俺の右手は動いた。


「おめでと〜。それじゃあ、末永くお幸せに~。あ、結婚生活から逃げようとするなら、今度はもっと酷い目に遭うからね」


たったそれだけを言い残し、抑えられた体は解放され、そのまま二人は闇に消えていった。

それを見て俺は情けなくも安堵し、とにかく痛みが緩和し精神が落ち着くまで深い呼吸を行う。

殺せばいい、なんで大口を叩いておきながら痛みに屈し娼婦に助けられるなんて、今ここで自害したほうがよっぽど上等だろう。

そして、ある程度、頭が回るようになったところで、はっと、彼女と手を繋いだままだったということに気づいた俺は、ぱっと手を放し忸怩たる思いで立ち上がる。

そのまま、指の脈打つ痛みを抱えながら帰路につくと、娼婦は側にあったキャリーバッグを手に取り何も言わずに俺の後をついてくる。


なぜ俺は、あんな行動をしてしまったのだろう。

それは痛みから逃れるための防衛本能だったのだろうか。

いや、あの時に確かに沸き上がった感情は、嬉しさだった。

憐みだとしても、生まれて初めて向けられたその表情に感動すら覚えていた。

だが、それは何よりも自分自身の弱さを証明していた。

この場から逃げもせずに世の中に対して斜に構えるだけの毎日、そして力で抑圧されると自分の意思すら貫けない弱さ。

挙句の果てには、命の危機となれば見知らぬ誰かに救いを求める。

そんな、自分の不甲斐なさをずるずると引き摺りながら歩き続けた。


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