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第15話 声

翳りのあるオレンジ色の海原を眼下に、俺の不安を余所に滞りなく希望号は走っていた。

地に足がついていないような錯覚を覚えながらも夢のような時間は過ぎていく。

対面で同じように窓の外を眺めるカタリナに対して、何か話でもすべきかと考え始めた頃、部屋の扉からノックの音が響く。


「はい」


「失礼します」


そこに現れたのは、あの白スーツの乗務員だった。


「夕食の準備ができました。余程のことがない限りは食堂車にお集まりください」


「お待ちください、アレは、いつ頃始まるんですか?」


「ご安心ください。ゆっくりと、食事をとる時間はありますので」


他人の不安を無駄に煽るようなやり取りをし去っていく乗務員。

カタリナにその会話の意味を聞いたとしても教えてはくれないだろう。


そして、立ち上がったカタリナはベッド下の収納から何かを取り出す。


「なんだ、それは」


「念のため、護身用に携えておくだけです。お気になさらず」


彼女が取り出し腰に下げたそれは鞘に納まった細い剣だった。


「それでは、行きましょうか」


「……ああ」


これから何かが起こると言わんばかりのその様子に嫌な予感がする。

それでも、今の俺にできることは何一つとしてない。

そのまま、俺は素直に彼女の後をついて部屋を出た。



昼間の雰囲気とは打って変わり、オレンジの電灯が点き暖かな空気が流れる食堂車。

そこは乗客で一杯となり天井のスピーカーから小音量のクラシックが流れる中、ガヤガヤとした賑わいが響いている。


「ここに居るのは皆、切符持ちか」


「そうですね。そうでないものは、そもそも立ち入ることすら許されていません」


「慈愛溢れるどこかの誰かさんが聞いたら、怒り出しそうなもんだが」


「彼ら全員に感情移入してしまっては、心が持ちませんから」


憤るような素振りも見せずにそう述べるカタリナ。

確かに、あれだけの人数を相手にしては身が持たないのは間違いないだろう。

しかし、事あるごとに皆の願いを叶えると言っていた彼女がそう簡単に割り切るのか。

それに、彼女の淡々としたこの物言いには何か含みがある気がしてならない。


「どうやら、空いている席はあそこしかないようですね」


四人掛けのテーブルが並び、その殆どが埋まっている中、ちょうど二つだけ空いた席がある。

しかし、すでに着席している二名の姿を見て俺はすぐにでも踵を返したくなる。


「なぁ、夕食を摂るのはここでなくてもいいんだろ」


「……いえ、今の時間はここ以外で食事の提供はされないでしょう。それに、そもそもこの車両から移動することを許されていないようです。御覧ください、この車両の両端の扉を」


前方には何度も目にした白スーツの乗務員、後方には初見の前髪が頬までかかった無骨で無表情な巨体の男が立ち塞がっている。


「部屋に戻るくらいなら許してくれるだろ」


「駄目です。お願いですから言うことを聞いてください」


「いい加減にしてくれないか。理由すら教えてもらえないのに、素直に従えるわけないだろ」


いや、呼吸を一つ、一旦落ち着こう。

彼女の物言いに、つい怒りの矛先がずれてしまった。

別に、ここで食事をとることに異論はなく、そこまで怒りを顕わにすることでもないんだ。

一つだけ厄介なことを除いて。


「お前もわかるだろ、あの空席の対面に座っているのはアリスだ」


偶然の賜物だろうが空席の対面にはなんとアリスが座っていた。

そして、カタリナは知らないだろうが、そのアリスの隣にはあろうことかエイブまで座っている。

彼女一人ならまだしも、これでは混沌とした状況になるのは目に見えている。


「そうですね。それでも、私たちの安全のためですから、素直にここで過ごした方がいいでしょう」


「あっ!お兄ちゃん、こっちこっち!」


その時、こちらへ気付いたアリスがこちらへ大きく手を振っている。

皆が座っている中、こんなところで突っ立て話し込んでいたら見つかるのも当然だろう。


「諦めましょう」


「ああ」


アリスと対面になるというのにカタリナは先に窓側の席に座る。

まぁ、それでいいのなら俺もその方が幾分か気分が楽であると通路側の席に腰を下ろす。


「ちょっと、あなたはお呼びじゃないんだけど」


「ここしか席が空いていないのですから仕方ありません」


「それならせめて、対面に座らないでくれるかしら」


「お断りします」


「ぶー」


水と油のように相いれない二人のやり取りから視線を外すと、傍らで珍しく大人しくしていたエイブと目が合う。


「青年よ、今朝ぶりだな。しかし、たった一日でこんな見目麗しいお嬢さんを連れ歩くとは見直したぞ」


「連れ歩くって、人聞きの悪いことを言わないでくれ。むしろ、俺は振り回されている側なんだから」


「おじさんってば、何にも事情を知らないくせに、すぐにそうやって偉そうにぺちゃくちゃ喋るんだから。いい?お兄ちゃんはね、この頭のおかしい宗教マニア女につきまとわれているのよ」


この二人はどのような関係なのだろうか。

見ようによっては爺さんとその孫にも見えないこともない。


「随分、変わった方とお知り合いなんですね」


「まぁ、そうだな」


そのまま皆と適当な雑談を交わしていると給仕人が料理を載せたワゴンを運んでくる。

そして、着々と夕食の準備は進んでいく。

机上のワイングラスには葡萄酒が注がれ、目にしたこともない鮮やかな前菜や分厚い肉料理など豪華な料理が現れる。

いつの間にか深まった夜の中、窓の外に輝く橋の欄干が美しく、それを眺めながら美味な料理を味わう、まさに夢見心地の時間を過ごす。

しかし、それでも、能天気に舌鼓を打つことなんてできなかった。

あの過去が、どこまでも俺を惨憺な気持ちに縛り付ける。

それと同時に、美味くもないアイの手料理の思い出が鮮明になる。


「お兄ちゃん、こんな上等な料理を食べて、どうしてそんな暗い顔をしているの?そんな姿を見ていたら、アリスも食事を楽しめないわ」


「別にいいじゃないですか。迷惑ですから、食事中は静かにしていただけませんか」


「一々、突っかからないでくれるかしら。せっかくこの列車に乗ったのだから、今までの悩みなんて忘れて楽しむべきなのよ」


よせばいいのに、またもやカタリナとアリスの間にピリピリとした空気が流れる。

ああ、口に運ぶ肉が味のしない塊に変わる。

しかし、そんなぎこちない空気も、一時を経て起きた車内の異変によってかき消される。


車窓に目を向けると、なぜか希望号が走る速度が目に見えて遅くなっている。

そして、次第に速度は落ち、遂には徒歩の方が速いのではないかと思うほどに。


「いよいよか」


そう、エイブが一言漏らす。

いつの間にか賑やかだった車内は少しの話し声がするだけで、どこか重苦しい雰囲気が漂い始めている。

やはり、ここで何も知らずに間抜けな面をしているのは俺だけのようだ。


「ところで、ユウキさん。この旅の計画は立てていますか?」


「は?」


唐突な、カタリナの空気を読まない発言。

対面の二人も驚いた顔を見せている。


「これから世界中を旅するのです。少しくらい、欲を出して観光でもしてはどうでしょう」


誰が聞いても違和感を感じるちぐはぐな会話。

秘密主義の彼女のことだ、この異常なことが起こりそうな場面から俺の意識を逸らそうとしているのだろう。


「いや、いきなりそんな話題を振ってくるなんて、何か都合の悪いことがあると言っているようなものじゃないか」


「いえ、他意はありません。ただ、せっかくの機会ですから話し合ってみてもいいかと」


「そんな話で、この状況を無視できると思うのか?」


少しだけ困り顔を見せるカタリナ。

そして、訪れた沈黙の隙間を狙ってアリスが口を開く。


「お兄ちゃん、本当に何も知らないの?だったら、アリスが教えてあげるわ。これから起こることも、この旅の目的も」


「お待ちください。そこから先、口を開くことは許しません」


「許さないって、あなた、何様のつもりなの?何も知らずに過ごせるほど甘い旅じゃないのよ?それに、隠そうとしても隠し通せるものでもないわ」


「順序があるのです。彼の本当の願いを叶えるために、必要なことなのです」


「お兄ちゃんは人形じゃない。赤ん坊でもない。状況を教えれば、ちゃんと自分の意思で願いを掴み取るはずよ」


その口を挟む隙もないやり取りを、俺とエイブはただ観察している。


「ん?」


二人の会話、車内の小さな喧騒の中に混じった違和感を感じる音が聞こえる。

耳を澄ますと、それは確かにこの空間のノイズとなって存在している。


「声?」


「ああ、もう始まったのですね。ユウキさん、あまり耳を傾けないように」


アリスとの言い争いを中断し、こちらへ話しかけてくるカタリナ。

そう言われても勝手に耳に入ってくるものは仕方がない


「なんだ、この、叫び声みたいな音は」


「青年よ、気になるのなら、窓の外を見てみるがいい」


外、確かに、この音が聞こえるのは車外からだ。

カタリナも無言のため、エイブの言う通りにしても問題ないだろう。

少しだけ気温が下がったような肌寒さを感じながら、席から少しだけ身を浮かせてゆっくりと進む希望号の車窓から橋の下を覗く。


──その光景に、言葉を失う。

暗闇に包まれた夜だというのに、海は赤く光り、海面には蠢く無数の人間のようなものが浮いていた。

距離があるため見えづらいが、おそらく、あれらはこちらを見上げている。

この希望号を見つめながら叫び声、呻き声、金切り声を上げている。

そう認識した途端、環境音に僅かに紛れていた彼らの声がはっきりと、恐怖となってこの身を包む。


「あれは、なんだ」


「そうですね、わかりやすく言えば、地獄、でしょうか」


「は?」


観念したのか、それとも、ここまでは予定通りなのか俺の質問に答えるカタリナ。

信じられない言葉、しかし、あの光景にそれほどしっくりくる言葉はない。


「ここからが試練の始まりです。私たちは、これを乗り越えなければならない」


「何を言っているんだ。地獄だと?もっと詳しく話してくれ」


「いえ、これ以上、説明することはありません。ユウキさん、ただ、あなたは時が来たら与えられた役目を果たしていただくだけでいいのです」


その物言いに痺れを切らした俺は、アリスに話しかける。


「アリス、この状況について、知っていることを教えてくれないか」


「ユウキさん!」


「当然よね。わかったわ、アリスがお兄ちゃんにちゃんと説明してあげる」


その瞬間、あろうことか立ち上がったカタリナが傍らの剣を抜き放ち、アリスの首へとそれを当てる。

しかし、アリスは少しも動じず毅然としている。


「わかってる?この場において、邪魔者はあなたなのよ?あなたさえいなければお兄ちゃんも何も心配せずにいられるのよ。それとも、あなたはお兄ちゃんを奴隷のように扱いたいのかしら?」


カタリナの剣を持つ手が怒りで震えだす。

彼女をそこまで駆り立てるものは何なのか、そんなことを悠長に考えている暇はないだろう。

俺はその状況に待ったをかける。


「わかった。状況説明なんていらないから、その物騒なものを納めてくれ」


「お兄ちゃんはそれでいいの?」


「腹は立つが、こんなところで殺し合いをされるよりはましだ」


そして、ようやく場が収まる。

何度か深い呼吸をして刀を納めたカタリナと、不貞腐れたままのアリス。

何食わぬ顔で腕を組み座るエイブ。

ただただ気まずい時間が訪れようとしたところ、カタリナが口を開く。


「時間になれば、あちらの乗務員から通達があると思います。それまで、ここで待機しましょう」


「そうか」


やはり、これはカタリナだけでなく、この希望号を運行するものらが何かを企んだ旅で、俺はそのための都合のいい駒だということだろうか。


それにしても、車外から聞こえてくるおぞましい声が段々と大きくなっているような気がする。

このような中でじっとしていると、頭がどうにかなってしまいそうだ。


「ユウキさん、気をしっかり」


少しだけ顔をゆがませていると、気を使ったカタリナが話しかけてくる。

しかし、今の俺にはそれどころではない事態が訪れていた。


「――ちょっと、黙ってくれ」


どこからか聞き覚えのある泣き声が聞こえる。

これは。


「ユウキさん?なにを」


俺の身体は無意識に動き、席から立ち上がり声が聞こえる後方車両へと向かおうとする。

すすり泣きの声がそんな遠くから聞こえるはずはない、どこかおかしいと冷静になればわかること。

それでも、俺の足は明確に方向を定め動いていた。


「お待ちください!」


席から立ち上がったカタリナが俺の腕を掴み引き留めようとする。


「ここで大人しくしていないと危険です!それに、ユウキさん、あなたには別の役目が」


「あいつの、泣き声が聞こえるんだ。だから、確かめないと」


「それはただのまやかしです!奴らは、どんな手段を使ってでも生者を引きずり込もうとしているのです!気をしっかり持ちなさい!」


奴ら?

海に浮かぶ亡者のことか?


「それなら、都合がいい」


「駄目です!ここから先へは行かせません!」


巨躯の乗務員が立ちはだかる後方車両への貫通扉に強引に近づいたところで、カタリナが間に割り込むように立ち塞がる。

強行突破しようとしても、この二つの障害を突破することは難しそうだ。


その膠着状態の場面で、エイブが俺の傍へ現れる。


「あなたも、見てないで手伝ってください!」


「行かせてやればいい」


「な、なにを」


ああ、そうだ。

彼ならそう言ってくれると思っていた。


「青年よ、遺恨があるなら、捨てきれない過去があるのなら、確かめてくるがいい。そうでなければ、明日が生まれないのだろう?」


「ああ」


扉を塞ぐ巨躯の男をいとも簡単に押し退け、扉を開けるエイブ。


「お、おい!」


俺は、そのチャンスを逃さないようにカタリナの不意を突き手を振り払い勢いよく走りだし、驚き困惑する乗務員の脇を抜けた。


「ユウキさん!!」


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