第12話 カタリナ
あの女がいる車両から次へ移ると、先程の出来事が嘘のような暖かな空間が俺を迎える。
内装が明らかに豪華になり、乗客も少なく静謐な空気に満ち溢れている。
元々、希望号はここが最後尾で、後方の車両は後付けされたのではないかと思うほどの変わり様を眺め不思議に思いながら歩みを進める。
食堂車や共有スペースなどが次々と顔を見せる中、厄介事が起きないようになるべく気配を殺しながら。
そして、ようやく寝台列車へ辿り着き、人一人が通れるほどの狭さの通路を、右手にある個室の扉の番号と切符の番号を照らし合わせながら進んでいく。
それにしても、今の時代にしては随分と古い、いや、クラシックな造りをした列車だ。
こんなものが、何故この国を走っているのだろう。
それに、乗客の国籍があそこまで多様なのもおかしな話だ。
次々と疑問が溢れてくるも、いくら考えても意味はないと思考に蓋をする。
そして、ようやく目的の部屋を見つける。
ドアノブに手をかけ、赤黒い光沢を蓄えた扉を開くと、そこには目を疑うような光景があった。
──美しい。
そう息を呑んだ原因は、左右に設置されたベッドの片方に腰を掛けた先客の存在だった。
世界から切り離され清廉さに満ちた空間で窓から差し込む光に照らされながら外の景色を眺める彼女は、絵画に描かれた聖女のように眩い姿に見えた。
長袖の白シャツに黒いロングスカートと服装は至って普通だが、そのおかげで三つ編みに束ねられた金色に輝く長い髪が一層際立っている。
そして、止まった時を動かすように彼女はゆっくりとこちらに顔を向けた。
その顔には確かに見覚えがあった。
「あまりにも遅かったので、乗り遅れたのかと思っていました」
「お前は、あの時の宗教女」
幇会の追手を蹴散らしていたというのに、どうやって俺より早く乗車したのだろうか。
「随分と失礼な物言いですね。さぁ、入り口に立っていないで、そちらにお座りください」
「何を我が物顔で、ちょっと待てよ。まさか、お前もこの部屋を割り当てられたのか?ああ、そんなわけがない、何かの間違いだ。乗務員に確認して変更してもらおう」
「その程度のことで一々騒がないでください。黒の切符に書いてあることは絶対です。同じ部屋になったのもこれからの旅に必要なこと、運命なのです」
これは、気にするなという方が無理がある。
「あなたは何も知らずにここへ来た。それなら、少しでも見知ったものと一緒にいた方が安全です。それに、荷物すら持っていないようですし、あなたを援助するものがいないとどうしようもありません」
「援助だと?」
「なによりお金も必要になりますし、私が融通してあげることも出来ますから」
「馬鹿を言うな。終点は国内、長い旅じゃないんだ。金なんて、どうとでもなる」
「そう簡単に終わるはずもないでしょう。まず、終着点はこの国内ではありません。ですから、今のあなたでは到底この旅を乗り越えることはできない。素直に、施しを受け入れてもらえませんか」
そんな馬鹿な。
俺が今乗車しているのは、地を這う列車のはずだ。
「何を言っている?列車が、海を越えるとでも言うのか?空を飛ぶとでも言うのか?」
「あなたには、そうですね、今ここで説明しても信じてもらえないでしょう。でも、すぐにその時は訪れるので、実際に自分の目で見れば理解できると思いますよ」
勝手に人を巻き込んでおいて、いざ質問すれば煙に巻くような回答にうんざりする。
「ああ、そうかい。なら、余計なことはいい。勿体ぶらずに、俺に切符を渡した理由を教えてくれ。それだけでいい」
「初めに言った通り、皆の願いを叶える、それが目的です」
反射的に苦虫を噛み潰したような顔をしてしまう。
「そんな顔をしないでください。これは、あなたにとって、決して悪い話ではないのです」
「それで俺が納得できると思っているのか」
「いえ、それに関しては心苦しく思っています。でも、あなたの為にも、全てを明かすことはできないのです」
その物言いで理解してくれなんて無理がある話だ。
「まだ時間はたくさんあります。あなたは自分の意思でこの列車に乗った。その理由を、余計な憂慮をせずに探せばいい。私たちがしていることは、ただのお節介だと思ってください」
これ以上、何を聞いても無駄なようだ。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。わたくしは、カタリナと申します。あなたは?」
先程のやり取りの直後で自己紹介なんてものに素直に応じると思っているのなら、彼女はよっぽどおめでたい頭をしているのだろう。
しかし、黙っていても追及されるのは目に見えている。
「日本人に名前があると思っているのか」
「あなたは特別だと、そう伺いました」
「誰に」
「あなたの近くに住んでいた人に。あなたはいろんな意味で有名でしたから」
それなら、俺の名も知っていそうなものだが。
それとも、俺の口から言わせたいのだろうか。
どちらにせよ、この名を呼ばれてしまうとあの女の顔が毎回ちらついてしまいそうで気が引ける。
しかし、ここで嘘の名を名乗ったとしても馴染みのないそれは意味をなさないだろう。
気にすることはない、もう、あいつらと関わることはないんだ。
いつか、この不快な感情も時間と共に消えていくだろう。
「……ユウキだ」
「ユウキさん、ですね。わかりました。これから、よろしくお願いします」
「ああ」
ため息を一つ、俺はようやく空いているベッドに腰を掛け、目の前の彼女と視線が合わないように窓の外を眺める。
灰色と緑が織りなす世界を青空が包み、ただ眺めているだけでも荒んだ心に少しは落ち着きを取り戻すような気分になる。
そのまま、この女と一緒の部屋ということはなるべく考えずに、無心で時が過ぎるのを待つ。
しかし、ここで俺の腹が鳴る。
気まずさを感じ何事もなかったように素知らぬ顔をしていると目の前の彼女が口を開く。
「食堂車に行きましょうか」
「気にしないでいい」
「駄目です。少しでも体調を整えておかないと」
「聞く耳を持たない奴だな。お前の思惑通りに動くなら、俺の意思はどうでもいいのか?とんだ聖女様だ」
「そんなこと、言わないでください。私、だって……」
落ち込んだ様子を見せるが、凛とした声色は少しも変化しない彼女。
いや、もういい。
タダ飯が食えるんだ、余計なことを考える必要はない。
無言で立ち上がり部屋を後にすると、カタリナは俺の後に続いた。




