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第10話 出発

明け始めた空の下、騒ぎが大きくなる前に小走りで目的の場所へ向かう。

放火なのか、犯人は誰なのか、幇会の奴らにかかればすぐに判明するだろう。

それに、他の奴隷と違って真っ先に疑いが向くのは俺のはずだ。

急がなければ。


薄気味悪い住宅街から夜の喧騒と明かりが消えたネオン街へ。

波紋のように広がる騒めきを遠ざけるように、なるべく体力を温存しながら、ちらほらと道を行く人々の影に隠れるように駅へと向かい、ようやくネオン街を抜けようとした時。


「そいつを捕まえろ!捕らえた奴にはいくらでも褒賞を出す!」


背後から聴こえた怒声に振り向くと、殺気を孕んだフェイがこちらへ走ってきていた。


「くそっ!」


ここは奴らの庭と言えども対応が早すぎる。

慌てて前を向き全力で足を動かし始めたところで、目の前に幇会の連中や一般人らが俺を捕らえようと束になって現れる。

考えろ、こんなところで終わっては笑い話にもならない。


──その瞬間、道の脇から現れた赤い閃光が目の前の障害物を吹き飛ばした。

その物体は黒の切符を渡してきたあの、旗を掲げていたイかれた女だった。


「進みなさい!あなたはここで死ぬ運命ではない!」


彼女はその長い旗で人々を次々に薙ぎ払っていく。

アイツが俺を助けた理由はどうだっていい、彼女の脇を走り抜け蹴散らされた人間どもを踏み台にし、さらに前へと進む。

駅までの距離はそう遠くなく街の大通りへ出ればあとは道なりに進んで到着する、このまま行けば問題ない。


ただひたすらに走れ。

足が折れようとも、肺が潰れようとも、心臓が破裂しようとも走り続けろ。

あの女一人でできる足止めなどたかが知れている。

狗に捕まれば今度こそ終わりだ。

死にたくなければ足を止めるな。



駅前のビルに囲まれた大広場にたどり着き俺は絶望する。

目の前には隙間がないほどの人間で埋め尽くされた駅舎が堂々と佇んでいた。

希望号を見に来たのか、それとも乗車でもするつもりなのか、皆が我先にと怒声を上げながら前へ進もうとしている。


こんなところで足踏みしていられない。

このままではフェイたちに追いつかれてしまう。


「どいてくれ!急いでいるんだ!」


「おい!割り込むなよ!」


駅舎の入り口前まで近づき強引に人の波を掻き分けようとするも半歩すら進めない。

それでも力を込め前に進もうとすると群衆に押し出され尻餅をついてしまう。

くそ、こんなところで終わるのか?


「青年よ!地べたを張っている場合じゃないぞ!」


唐突に響く耳をつんざき地面を揺るがすような低く芯のある大声に顔を上げると、そこには巨人がいた。

その姿は異質、燕尾服にシルクハットを身に着け白いひげを蓄えた二メートルはあろうかという白人の大男。


「あ、あんた、誰だよ」


「そんなことはどうでもいい。青年よ、お前も黒の切符を持ってここにきたのだろう」


「あ、ああ。いや、なんで知って」


「然らば!こんなところで立ち止まっていてはいけないだろう!希望号の発車まで余裕はないぞ!」


そんなことを言われたって。


「この状況を、どうしろってんだ」


「そんな顔をするな!君らはもう十分に地を這い苦しみもがいた!そして、今ここに現れた希望号はまさに一筋の光!そう、今こそ!群衆を尻目にあの大空へと羽ばたく時なのだ!」


五月蠅い声で訳の分からないことを言いながら彼は何故か俺の首根っこを片手で掴み、もう片方の手で俺の尻を押し上げ、いとも簡単に俺の身体を持ち上げる。

なんて馬鹿げた力、いや、それよりも。


「おい、なにを!」


「さあ、目指すはこの世の果ての終着点!愛の翼に勇気を込めて、はばたけ雲を切り裂いて!」


ジジイは右足を後ろに大きく下げ、俺を抱えたまま投球フォームをとる。

まさか。


「続け!この世のあらゆる絶望に、風穴開ける希望号へ!」


あろうことか、俺はそのまま大男にぶん投げられた。

思考を巡らす暇もなく訳も分からず宙を舞い、視界がある程度定まった時には目の前に駅舎の窓ガラスが迫っていた。

生存本能が働いたのか俺はとっさに身体を丸め、腕で頭部を覆う。


その瞬間、ガラスが割れる甲高い音と衝撃が全身に響く。


遅れてきた思考が真っ先に全身の痛みを確かめるも、運良く出血した箇所はなさそうだ。

放心状態から正気を取り戻し立ち上がり後ろを見ると、窓の外、眼下には民衆がうごめいていた。

どうやら駅舎の二階まで投げ飛ばされたようだ。

色々と気になることはあるが、これはチャンスだと再び駆け出す。

とにかく、前へと。



汽笛が聞こえる。

外より比較的空いている構内の隙間を縫いながら走り続け人の波に潰され機能しなくなった改札を抜け、ようやくプラットフォームへと辿り着く。

そこから視線を前へ向けると、広がる空の下、朝日を一身に浴び光り輝く白の列車が停まっていた。

微かに見える先頭車両は見慣れぬ純白の外装を纏い、その姿は遠くから見ても荘厳であると思わせる、まさしく希望という名にふさわしい姿をしていた。


あとは乗車するだけ。

しかし、希望号前のホームには広いスペースができており、周辺の人々は立ち止まり戸惑いの声を上げている。

それもそのはず、希望号の前に複数の黒スーツを身に着けた人物らが拳銃を持ち立ち並んでおり、その足元には血にまみれた人々が倒れていた。


あの姿から察するに、おそらく幇会の連中で間違いはないが、なぜあんなことをしているのか見当もつかない。

いや、それよりも急がなければ。


「おい、アンタ日ノ国人だろ」


立ち止まる人々を押しのけ前に進もうとしたところ、見知らぬ男に肩を掴まれ制止される。


「邪魔しないでくれ」


「親切心で言っているんだぜ。あいつら、日ノ国人とみるや無差別に殺しているんだ」


まさか、俺を狙っているのか?

そうでないにしろ、このまま出ていけば殺されるのか。

どうすればいい。


「青年よ、なにをしている!」


聞き覚えのある大声に振り向くと、そこには先ほど俺を投げ飛ばしたジジイが立っていた。

まずい、こんなデカい奴がいたら、あいつらに気付かれてしまう。


「こんなところで立ち止まっている暇はないだろう!」


「黙ってくれ。アイツらが見えないのか」


「ならば、青年よ、また逃げるのか!」


「俺だって、逃げたいわけじゃ」


ああ、くそ。

これじゃあ、今までと何も変わらないじゃないか。

環境のせいにして何回諦めれば気が済むんだ。


「今、目の前にあるのは絶望か?否!一心に日の光を浴び、今にも広い世界へ飛び立たんとする希望である!然らば、青年よ、どうする!」


「……押し通る!」


「そうだ!それでこそだ!」


逃げる選択肢なんて、とうに捨ててきたんだ。

例えここで死んだとしても、みっともなく逃亡してあいつらに殺されるよりは幾分かマシだ。

意思を固め群衆を抜けると幇会の連中が機械的な動きでこちらへ銃口を向ける。


「勇気ある青年よ、露払いは私に任せたまえ!」


そう言うと彼は一直線に走り響く発砲音を気にも留めず、その巨大な拳で敵を吹き飛ばしていく。

その混乱に乗じ俺も再び走り出す。

仮に、奴らの狙いが俺なら、このまま乗車したとしても危機は去らない。

アイツらを一人残らずぶっ倒さない限り。


「勇者の旅立ちを邪魔するでない!」


俺は暴れるジジイの取りこぼしにきっちり片をつけていく。

倒れているが意識がありそうな奴には蹴りを、ジジイに気を取られ注意散漫になっている奴にはタックルから馬乗りになり拳を頭部へ叩きつける。

痛みと恐怖を押し殺し、ただ拳を固めて今までの欝憤を晴らすように。

そして、気づいた時には、辺りは静まり返っていた。


「さあさあ、早くしないと出発するよー!」


突如、静寂を裂くように希望号の側構の扉から身を乗り出す白いスーツを身に纏った人物がハンドべルを大きく鳴らしながら、目の前の悲惨な光景が見えていないかのような飄々とした様子で大声を出している。


「さぁ、行こうではないか、青年!」


まさか、こいつも列車に乗るのか?

なんて考えている暇はない、俺とジジイは急いで一番近くの扉へと向かい列車に転がり込む。

そして、今まで二の足を踏んでいたホームの人々も続くように慌てながら乗車し、再び、けたたましい汽笛を鳴らした白の列車は乗り遅れている人々も気にせず走り出す。


ああ、まったく、滅茶苦茶だった。


「安心するでない、青年。ここから、ようやくスタートしたのだ」


「ああ、そうかい。いや、とにかく助かった」


「気にするな。私は前に進む若者は応援してしまう性質でね」


肩で息を切る俺とは対照的に一つも呼吸も乱さず姿勢よく立つ姿に不覚にも尊敬の念を覚えてしまいそうになる。


「あんた、名前は?」


「エイブと、そう呼んでくれたまえ」


「ああ、わかった」


一段落ついたところで、彼は後方の車両に向かおうとする。


「念のため、私は警戒にあたる。青年も、くれぐれも気を抜かぬように。では、またな」


彼を見送った後、行き場をなくした俺は立ち尽くすと、ふと扉の小窓から流れていく景色が視界に入る。

そうだ、もう、走り出したのだ。

俺の迷いも後悔も関係なく、この列車はただ進んでいく。

このまま呆けていてはいられない。

ただ、窓の外を眺め何もしないままなら、また何も行動を起こさず涙を流すだけなら彼女の死に全くの意味がなくなってしまう。

アイの生きた証を、存在を、少しでもこの世界に残したいのならば、俺は生きていかなければならない。

罪滅ぼしのつもりか、胸に溢れるこの感情は確かに彼女のために行動することを望んでいた。

そして、これは俺の人生を変えるために彼女が生み出した最後のチャンスだと。


進まなければ。

とにかく、今はこの状況を理解しなければ。

俺は前方の車両へ向かい歩み始めた。


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