クリスマス当日
朝の八時には目が覚めた。
まだ違和感の残る顔を冷水で洗い、気合を入れる。あり合わせの食材で味噌汁や炒め物を作り、ご飯を食べる。
着替えを済ませて彼女は気分を一転した。
「よし、掃除でもしよ!」
うじうじしてても始まらない。もう、終わったことだと割り切って、彼女は部屋の掃除を始める。キッチンや浴室の水廻りはもちろん、寝室やダイニングなども一気にやっていく。
昼も過ぎて、すっかり綺麗になった部屋で昼食を取り、やることがなくなる。
「どうしよう」
もともと予定などない。すっぽりと何もなくなるとどうしていいかわからなくなる。
割り切ったといっても、完全ではない。だから考えないように必至に掃除をしていたが、それも終わってしまった。
「こんなことならバイト入れとけばよかった」
今更後悔しても遅い。仕方なく彼女は目的がないまま外に出ることにした。
ぶらぶらと意味なく歩き、賑わう店をただ通り過ぎる。
何も楽しいことなどない。全てが別世界のような感覚で遠い目しか向けれなかった。
ルイ、元気かな…?
ふと思ったのはそんなこと。はっとして首を振る。
自然と出るのは溜め息で、朝に切り替えた気分はすっかりどっかへ行ってしまった。
「…会いたいな」
「ほら、見ろ! やっぱり会いたいんだろ!」
当然のように後ろから声を掛けられてくるみは目を丸くした。弾かれたように振り返ればそこには案の定赤いジャンパーを着た黒髪の少年。
にっこりと、変わりない笑顔をくるみに向けていた。
「う、そ。何で!」
「何が? 約束しただろ、願いを叶えるって」
当然のように言う。当然のように笑う。
何だかそれが嬉しくて、とっくに枯れたはずの涙が溢れる。
「ほらほら、泣くのはまだ早いぞ!」
「バカ、違う…」
「いいから、俺についてこいよ」
彼女の右手を掴んで有無を言わせずに引っ張る。その温もりに胸がいっぱいになって、頷いた。
駆け抜けるようにビルを通り過ぎて、前に行った廃墟ビルの屋上へと辿り着く。
「ここで会えるの?」
「バカ、んなわけないだろ! こっから移動だって」
ぐい、と彼女の腕を引いて、抱き寄せる。何が起きているのかわからないうちにくるみはルイに横抱きにされていた。
文句を言おうとした瞬間、身体は浮遊感を覚える。
「え、きゃぁああああ!!」
「あはははは! そんなにこわがんなよ! 落とさないって!」
「ちょ、そ、そういう問題じゃないでしょ!」
空を飛んでいた。
ルイはまるで透明の道があるかのように足を動かして、空を歩く。しかも、その速度は自動車並だ。怖がらない方が難しい。
違う意味で涙目になってきたくるみを気にする様子もなくルイは嬉しそうだった。
「よっと」
やっと地面に着地して、下ろされる。瞬間その場所で腰を抜かした。まだ背中を這い上がるような異様な感覚が残っている。
ゆっくりと息を整えて、顔を上げると、そこは木々が生い茂る山の中だった。
「ここは…?」
「この奥にあるんだ」
座り込む彼女を優しく立たせて、ルイは先に進む。それに素直についていくと、急激な坂道に突き当たった。
転ばないよう気を配り、必至に前を行く彼についていく。
「ねぇ、どこまで行くの?」
「もうすぐさ」
しばらく歩くと、前方に木々の間から眩い光が漏れていた。誘われるようにその場所に向かう。そして、一瞬光の中に入ると、視界が白くなった。
その光に、目が次第に慣れる。見えてくる景色は言葉を失うほど綺麗だった。
ぽっかりと開いた空間だった。その中央に大きな木が生えている。まるで幻想世界。
「綺麗…」
「だろ?」
「でも、これがどう関係あるの?」
綺麗な場所に連れて来たとしても、それは願いとは何ら関係もない。
ルイは無言で大木を指差す。そこに行けと捕らえて、ゆっくりと近付いた。
一メートル以上もあるだろう幹に触れて、くるりと無意味に一周する。そして、見つけた。
「須藤桃香と、宮本宗矢」
幹に彫られた名前に目を見開く。それはまさしくも両親の名前。相合傘と、二人の旧名。
しかも、更にその下に最近彫られたような文字があった。
くるみと共に、いつまでも幸せの日々が続きますように───
宮本宗矢・桃香
「───っ、何で…」
「事故の当日に来てたの、ここなんだよ」
ルイの言葉にくるみは座り込んだ。茫然とその場所を見つめて、涙を零す。
『くるみ、今日ねお父さんと思い出の場所行ってくるから』
『帰りにケーキ買ってくるから、待っててな』
クリスマスイブの朝、確かに二人はそう言って出て行った。その後の事故のショックですっかり忘れていた。
「し、らないよ。そんなのっ!」
俯いて、完全に泣いてしまっている彼女に、ルイは近付く。そして、隣りに座って頭を撫でた。
「くるみ、そこの根元…掘ってみて」
「え?」
「いいから」
差し出されたスコップでゆっくりと土を掘る。しばらくすると、何かにぶつかった音がした。土を払えばそこには缶の箱。
そっと取り出して、蓋を開ける。
「しゃ、しん?」
入っていたのは、三人で撮った写真。いくつも、いくつも、数え切れないくらいの写真がそこには詰まっていた。そして、最後にくるみだけの写真。
不意に裏返せば、両親の字で書かれた文章。
誰よりも、貴方を愛してる。
だから、明るく、元気に育ってね。
たった一人の僕の娘。
君が光ある未来に進むことを願う。
写真に込めた二人の想い。
まるで、これを見る時はもういないかのような口ぶりにくるみは顔をくしゃくしゃにした。
「うん、そうだね。これからは…ちゃんと、歩くよ」
二人に顔向けが出来るように。
沢山の写真を胸に抱いて、くるみはそのまま静かに涙を流した。
○ … ○ … ○
「ありがとう、ルイ。二人に会わせてくれて」
腫れた目をしながらも、彼女はすっきりとした笑顔をルイに向けた。今回ので本当に吹っ切れた様子に安心して、ルイも微笑む。
「よかった。元気になって」
「ルイのおかげ。これで、ルイもサンタになれるね」
「あぁ、そうだな…」
シンと、妙な空気が二人の間に流れる。くるみは写真を缶の中に戻して、元の場所に埋める。そして、勢いよく立ち上がって振り返った。
「ルイならいいサンタになれるよ! 私、応援してるから」
「おう、サンキューな」
「…でもね、ちょっと淋しいな。ルイがサンタになったら、もう私の所に来ることはないんだね」
声のトーンが下がっていく。そっと彼の手を掴んで、引き寄せれば驚いたようにルイは首を傾げる。
「これは、最後の私のわがまま」
「え?」
そっと、唇を重ねて、くるみは笑う。今までで一番切なく、儚く、綺麗に。
その笑顔に言葉が詰まり、声が出なかった。茫然と見つめていれば、視線はすぐに外されて、背中を向けられる。
「ありがとう、ルイ。大好きだよ」
そして彼女は想いだけを伝えて、逃げるようにその場所から走っていった。
叶うことのない、恋をした。
想いだけを告げて、彼女はクリスマスを終えたのだった。