第69話 【試し】
(……まずいことになりました)
カルリアナはため息をつく。そうしたところで、事態が好転するわけではないが。
と、再び視界が歪み始めた。
(今度はなんですか)
視界が切り替わったあとに広がっていたのは――領地のアルテンブルク伯爵邸の玄関ホールだった。一年以上も帰っていない、自分が生まれ育った場所。
カルリアナはひどい郷愁に襲われ、玄関ホールを抜けて廊下を歩き始めた。ここがカルリアナの精神世界だというのは本当のようで、中には誰もいなかった。
精神世界だというのならいっそ。
(お父さまに会いたい……)
無理だとわかっていながら、カルリアナは一階にある父の部屋に向け歩き出した。
父の部屋の前に立ち、扉をノックする。返事はない。カルリアナは半ば諦めて中に入った。
黄昏どきの西日が入る室内は薄暗い。目を凝らすと、人影が立っているのがわかった。
(お父さま……?)
人影が振り向く。それはまさしく、一年前に亡くした父の姿だった。
「お父さま……!」
カルリアナが駆け寄っていくと、父は生前の優しい表情で口を開いた。
「カルリアナ、お前のせいで、わたしは幸せになれなかった」
「え……」
父なら絶対に言わないであろう言葉に、カルリアナは絶句した。
父の笑みが深くなる。
「お前がいたせいで、わたしは再婚できなかったんだ。もし、お前が継母にいじめられたら……もし、後妻との間に男の子が生まれたら、賢いお前を後継者にできない……すべてをお前中心に考えたあげく、わたしは結局病で死んだ。お前のことなど考えず、もっと自由に生きるべきだった」
「お父、さま……」
それは、カルリアナが父の死後、時折ふっと考えていたことだった。仕事をしているときは忘れられる。ディートシウスやギュスターヴといるときは忘れられる。
だが、夜中に目が覚めたとき、父の最期を思い出したとき、ふっと胸のうちに入り込んできて、心を闇に沈めようとする。「後悔」とはこのような感情を指すのだろう。
これは精神世界の幻だ。そうわかってはいても、胸が押し潰されそうな気持ちには勝てない。
カルリアナは消え入りそうな声でつぶやく。
「ごめんなさい……」
「はい、第一ラウンド、終了~!」
インテリツァの声が響いた。
カルリアナは驚いて顔を上げる。そのとたん、胸がズキンと傷んだ。
「今、身体が傷んだでしょ? それはね、君が受けた精神的なダメージさ。ダメージに耐え切れなくなると、君は精神的に死ぬ。つまり、元の世界には戻れなくなるってことだよ。じゃあ、引き続き頑張ってね~」
(戻れなくなる……?)
胃の辺りから恐怖がせり上がってきた。
嫌だ。ディートシウスとギュスターヴに会いたい。
強くそう思ったとき、目の前の父がぐにゃりと姿を変えた。背の高い誰よりも美麗な青年――ディートシウスに。
今度は何を言われるのだろう。カルリアナは身構えた。あらかじめ心の準備ができていれば、何を言われても動揺せずに済むかもしれない。
ディートシウスが口を開いた。
「カルリアナ、君さ、魅力ないよ」
やはりそうだ。この幻影は、現実の人物とは正反対のことを言って、挑戦者(勝手にそうされたのだが)の心を傷つける。
冷静になって考えてみれば、父があんなことを言うはずはないのだ。それは、父だって人間だから、たまにはカルリアナのことを疎ましく思うこともあったかもしれない。それでも、父は自分のことを愛してくれていた。その事実に変わりはない。
だとすれば、対処方は一つ。幻影の言葉を正反対に置き換えること。
「つまり、あなたにとって、わたしは魅力的だということですね?」
幻影のディートシウスが眉を上げた。
「どうしてそうなるのかなあ? だって言われなくてもわかるでしょ。君は年中怒ってばっかりだし、いつ愛想を尽かされてもおかしくないよ? わたしはいつもニコニコ笑って、こっちを全肯定してくれる女が好みなんだよね。わたしなら今から君と別れても、他にいくらでも相手は見つかるしさ」
幻影の一人称は「俺」ではなく「わたし」だ。どこまでもカルリアナにダメージを負わせたいらしい。
だが、現実のディートシウスならそんなことは言わない。彼は時々失言することはあっても、基本的に自分を褒めてくれるし、何より悪いことをしたと思ったら、ちゃんと謝ったうえで改善してくれる人だから。
「つまり、あなたはわたしがよく怒るのを内心では心地よく思っていて、むしろ全肯定してくれるような女性には面白みを感じられない、というわけですか。そして、わたしと別れたらもう相手は見つからない、と思っているわけですね。少し性癖が歪んでいるうえに、結構、自己評価が低いですね」
ディートシウスが聞いたらショックを受けて二、三日は立ち直れそうにないことをカルリアナは口にした。
幻影のディートシウスが見るからにたじろいだ。カルリアナはさすがに申し訳ない気持ちになる。
(ごめんなさい、ディート。再びあなたに会うためです)
「そ、そんなこと言っても無駄だよ。君は小賢しすぎるし、男を立てられないから、わたしの妻には向いていない。憎たらしいギュスターヴの母親面をするところも目障りだ」
「……なんだか、言っていることがオイゲーンのようになってきましたね」
「よりにもよって、オイゲーン……?」
「はい、第二ラウンド終了! カルリアナの快勝! さすがの僕も幻影がかわいそうで、途中からは見てられなくなったよ」
インテリツァの声が心にもなさそうなことを告げる。
幻影のディートシウスの姿が歪んだかと思うと、今度はオイゲーンに変わっていく。オイゲーンは晴れやかな表情で口を開いた。
「カルリアナ、離れてみて君の素晴らしさがよくわかったよ。もう一度、わたしと婚約してくれ」
「お断りします」
「ぐぎゃあ!」
「はい、第三ラウンド終了~! カルリアナの一撃必殺! 君にとってはボーナスステージだったかな? おめでとう。これで君は現実世界に帰れるよ」
インテリツァの声が響くとともにオイゲーンの姿が塵となり、西日がさす中、水に溶けるように消えていく。
気づくと、カルリアナは図書室の椅子に座っていた。そばではディートシウスとギュスターヴが心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「……ディート? ギュス……?」
カルリアナがつぶやくように呼びかけると、二人の表情がパッと輝いた。ディートシウスがカルリアナの手を握る。
「よかった! もしカルリアナの意識が戻らなかったら、あの精霊に生まれてきたことを後悔させてやろうと思っていたところだよ」
「ディート、物騒ですよ」
ギュスターヴもカルリアナの腕にしがみつく。
「よかった……! よかったよお」
「ギュス……心配をかけてしまいましたね」
ギュスターヴにほほえみかけていると、インテリツァが空中に光の軌跡を描きながらこちらに飛んできた。
「改めておめでとう、カルリアナ。僕は君を主だと認めるよ。これで、君は好きなときに僕を呼び出して使役できるようになった」
「基本的に幻神を呼び出して使役するのと同じようなイメージですか?」
「ちょっと違うかな。幻神は契約者の命令に応じて行動するけど、僕は呼び出されると同時に、契約者に魔力を付与する感じだね」
「そうなのですね。実に興味深い。具体的には、何ができるようになるのですか?」
「攻撃でも防御でも、無属性の魔法を発動できるようになるよ。僕を呼び出したあとに何をしたいのかを念じるか宣言するかすれば、詠唱の呪文は自然に頭の中に浮かぶはずだから、使い方も簡単。ね、僕がそばにいると、今までとは身体に流れる魔力の質が違わない?」
「ふむ?」
カルリアナは試しに魔力を身体中に循環させてみる。確かに、今までとは違う強い魔力がみなぎっていた。というより、気を抜くと内側から外側にあふれ出そうなくらいだ。
「すごいですね……インテリツァ、あなたを呼び出すときは、この本を開けばよろしいですか? 少し持ち運びには不便ですが」
「本来ならね。でも、君は便利な固有魔法を持ってるでしょ?」
「【知識具現化】のことですか?」
「うん、そう。その【知識具現化】を使って、この『精霊の本』のページを開けば、僕を呼び出せるようにしておくよ」
「それはありがとうございます。……ところで、先ほどから気になっていたのですが、あなたは人の心が読めるのですか? あまりよい気持ちはしないのですが」
「人の心が読めるっていうより、全種族の無意識を読み取れるんだよ。知ってる? 人って種族ごとに、無意識下で繋がってるんだよ。僕は集合的無意識って呼んでるけどね」
「なるほど。それで、わたしの精神世界なのに、こちらが抱くイメージとは真逆の人物が現れたのですね。あの発言は実際、彼らの本音とは正反対だった、と」
皆まで言うとディートシウスが回復不能なダメージを受けそうなので、あえてぼかしておく。
「そういうこと。あの幻影は集合的無意識から抽出したデータを元に、正反対の言動をとらせたものなんだ」
インテリツァもカルリアナが隠しておきたいことをほじくり返そうとはしなかった。奔放なようで、意外に空気の読める精霊である。
「カルリアナ、もしかしてその精神世界に俺が現れたりしたー?」
ディートシウスに聞かれ、カルリアナは即答する。
「いいえ。オイゲーンなら現れましたが」
ディートシウスは少し残念そうな顔をする。
「あいつは現れたんだ……。あれ? でも、正反対の言動をするってことは、奴の場合、一体なんて言ったんだろ?」
カルリアナはそれ以上言及しないことにした。
「じゃ、僕はそろそろおいとまするね~」
インテリツァは机の上で開きっぱなしになっていた『精霊の本』の中に飛び込むと、消えてしまった。カルリアナは立ち上がり、本を閉じる。
「この本はある意味危険なので、わたしが預かっておきます。ディート、それでよろしいですね?」
「うん、俺もそれがいいと思う」
ディートシウスは首を縦に振ってくれたが、ギュスターヴは浮かない顔をしている。カルリアナは尋ねた。
「ギュス、どうしました?」
「あの……ごめんね、カルリアナ。僕がこの本を見つけたせいで、なんだか大変なことになっちゃって……」
カルリアナは笑ってみせた。
「わたしなら大丈夫ですよ。こうして戻ってこられましたし。それに、これからは向いていない武術ではなく、魔法に専念すれば自分の身くらいは守れるようになれそうですから」
ギュスターヴも安心したように笑った。
再び書架整理に戻ろうとしたところで、ディートシウスが思いついたように言う。
「そうだ。曝書が終わったら、休日に三人で腕試しに行ってみない? カルリアナの新しい力がどの程度の敵に通用するのか確かめるためにさ。ギュスも腕を上げてきたし、ちょうどいいんじゃないかな」




