第68話 本の精霊
シュテルンバール公爵邸での皆との生活にも慣れてきたので、カルリアナは休日のディートシウスにも手伝ってもらい、初めて図書室の曝書を行うことにした。
「『ばくしょ』って何?」
自ら手伝うと言ってくれたギュスターヴに、眼鏡を掛けたカルリアナは図書室の台帳を手に説明する。
「この台帳と図書室内にある本を突き合わせて、紛失したものがないかどうかなどを調べる作業のことですよ。元々は蔵書を虫干し――虫食いやカビを防ぐために陰干しすることで、現代の曝書でも本の汚れを取り除きます。わたしも王室図書館に勤めていたときに一度しか経験していないのですが、図書館にとって大切な業務です。終わるまでに数日はかかってしまうでしょうが、気長にやりましょう」
本来なら、カルリアナとディートシウスが夏休みに入る盛月(八月)に済ませたかったのだが、今年の夏休みは婚前旅行に充てたので実現できなかった。
涼月(九月)もいろいろと忙しかったので、紅月(十月)の中旬近くになってようやく取りかかれたという次第だ。
曝書中は図書室が使えなくなってしまうので、できるだけ早く終わらせなければならない。そんなわけでディートシウスには悪いが、カルリアナの陸軍総司令部への出勤は、しばらくお休みすることになっている。
すでに前掛けをして準備万端のディートシウスがうなずく。
「なるほどねー。ところで、そんな台帳あったっけ?」
「わたしがコツコツと作成しました」
「さっすが、凄腕司書。で、まずは何から始めるわけ?」
「まずは整架――書架整理からですね。そのほうが、台帳と突き合わせやすいですから。本にはあらかじめ、触れると番号が浮き上がってくる魔道具のラベルが貼ってありますので、ギュスでもできるはずです」
「僕、書架整理するの初めて!」
カルリアナは書架整理の仕方を二人に説明する。承知した二人は指定された書架の前に陣取り、本が順番どおりに並んでいるかどうかを調べていく。
カルリアナたち三人は、しばらく無言で書架整理をしていた。
「カルリアナ! この本、ラベルが貼ってなかったよ。どこに置けばいいんだろう?」
ギュスターヴがカルリアナのもとに、一冊の大きな本を抱えて持ってきた。本を受け取り、表紙を見たカルリアナは首をひねる。
「あら? 見覚えのない本ですね。こんなに豪華な装丁なら、気づかないはずはないのですが。しかも古すぎて小口のタイトルが読み取れませんよ」
ディートシウスも覗き込んでくる。
「ほんとだー。この図書室、何代も前のシュテルンバール公爵が収集した魔道書なんかが保管してあるから、こういう不思議な本が多いんだよねー。ほら、前に俺が買った『本の魔物』みたいな類の」
「これもあんなに怖い本だったら困ります」
「じゃあ、俺が開いてみようか?」
「……開くことが前提なのですね。まあ、開かないことには内容がわかりませんが」
ディートシウスに本を渡そうとして、カルリアナは胸がちりちりするような感覚を覚えた。
〈――ヤメテ〉
(え?)
〈君ガ、君ガ開イテ〉
不思議と強制力のある声だった。頭の中に響いているような気がするのに、実際には何も聞こえていないような気すらする。
気づくと、カルリアナはこう言っていた。
「気が変わりました。わたしが開きます」
カルリアナは本を開いた。
直後、神々しいまでの光が本からあふれ出る。
カルリアナはこらえ切れず目をつぶった。光の種類は違えど、『本の魔物』を開いたときと似た展開に、カルリアナは内心で焦る。
(今回はディートがいるから大丈夫……な、はずです)
恐る恐る目を開けると、目の前に小さな小さな、背中に透明な四枚の羽を生やした人が立っていた。髪は水色で少女のようにも少年のようにも見える。身にまとう服は中世のもので、足には脚衣を履いていた。さらに全身が淡い光に包まれている。
その姿は以前に図鑑で見た、天界に住むという空想上の存在、妖精に似ていた。
ディートシウスもギュスターヴも息を詰め、あぜんとした顔でこの光景を見守っている。どうやら二人にも見えているようだ。
「妖精……?」
カルリアナがつぶやくと、妖精(?)は針のように細い人差し指を左右に振った。
「ちっが~う。僕は本の精霊。本の精霊、インテリツァ」
「本の……精霊?」
そんな精霊、本で見たことも聞いたこともない。精霊といえば地水火風を司るものたちが一般的で、万物に宿るとされてはいるが、そもそも人族で精霊と交流できる者は召喚士と同じく希少で、研究書の類も少なかった。
インテリツァは空中でくるりと一回転する。光の軌跡が生まれ、なんとも奇麗だった。
「君のように博識な人族でも、僕のことは知らないみたいだね。まあ、無理もないか。僕は精霊っていっても、少し特殊でね。この本は千年前に作られた、各地に伝わるたくさんの物語を収めたものなんだけど、さまざまな人の手に渡ってね。そのうちに読み手の感情をたくさん吸い取って、それが蓄積されて……僕が生まれたのさ」
「そんなことがあるのですね……この世界には、まだまだ知らないことがたくさんあるようです」
「ふふっ、君は謙虚だね。いつもこの図書室の本を大切にしてくれてありがとう。君が来るまでは、結構適当な扱いだったんだよ」
ディートシウスが微妙な表情をする。カルリアナは思わず吹き出した。インテリツァは楽しげに続ける。
「でね、この本は図書室内のいろんな場所を移動していて、普通は見つからないんだ。そこのライオンの王子さまは、まだまだ魂が純粋な子どもだから見つけられたんだね。それはともかく、この本を見つけて開けたら、素敵な特典があるんだよ」
カルリアナは嫌な予感がした。
「特典?」
「そう! 僕と契約して、主になれるんだ。そうすれば、好きなときに僕を呼び出して力を借りられる。すごいでしょ?」
「確かにすごいのかもしれませんが……対価として何を要求するのですか? その手の契約は、無条件になされるものではありませんよね?」
例えばゲーアハルトによると、幻神は自らが認めた者としか召喚の契約を結ばないのだそうだ。どうしてもその幻神と契約を結びたい場合は、彼らの要求を聞く必要がある。
彼らと戦って勝利したり、頼み事を聞いたり、謎かけに答えたり――とその要求は多岐に渡るという。
インテリツァは愉快そうに笑った。
「さすが、よく知ってるね。もちろん、僕も【試し】をするよ。君は主となるのにふさわしい知識量の持ち主だけど、僕が同じくらい重視するのは精神力だから。ということで、いってらっしゃ~い!」
インテリツァの声はよく聞こえているのに、視界がにじみ、歪み、ディートシウスとギュスターヴの姿が見えなくなった。
気づくと、カルリアナは図書室ではなく、何もない空間にいた。
インテリツァの声が響く。
「ここは君の精神世界。ここから自力で出られれば、僕は君を主と認める。もし出られなかったら、そのときはお楽しみだね」
語尾に音符でもつけていそうな弾んだ声だった。




