第61話 二人の出会い(ゲーアハルト視点)
太陽学院に特待生として入学したばかりのころ。あと一か月ちょっとで十一歳になるゲーアハルトはいまだに一人の友達もいなかった。
(まあ、しょうがないよなあ……周りは王侯貴族なのに、僕だけ準貴族だし)
王族といえば、現在、太陽学院に在籍しているのは同学年のディートシウス王子だけだが、遠くからしかその姿を拝んだことがない。
そりゃそうだ。王子殿下が自分なんかと関わりを持とうとするはずがない。
とはいえ、男爵令息とか、自分と比較的身分が近いのではないか、と思われる生徒も、こちらに話しかけてくるようなことは一切なかった。
勇気を出して話しかけてみようとしても、ぎょっとした顔でこちらを見るので、結局一言も交わせずじまいだ。やはり、有爵者の令息と地主階級である準貴族の息子では身分が全く違う。
しかも、ほんの少し前、他の生徒たちは遠巻きにこちらを見て、「あれが例の……」「召喚士って、なんか怖いよな」「準貴族だっていうし、声はかけないでおこうぜ」とささやき交わしていた。
ゲーアハルトは学院の広い庭の中でため息を一つつく。そのあとで灌木の茂みの内側に入り、芝生の上に座った。
落ちていた木の枝で、芝生が植わっていない大木の根本に魔法陣を描く。すると、魔法陣が光を発し、この世のものとは思えないほどに美しい、銀髪の女性が中から現れた。彼女はほほえむと、たしなめるように言う。
「ゲア、また妾を呼び出して。人の友達を作れ」
「でも、誰も友達になってくれなそうで……」
幻神ブルーンヒルトは、幽幻界に迷い込んだゲーアハルトを保護し、この世に送り届けてくれた恩人だ。兄姉のいないゲーアハルトはブルーンヒルトを姉のように慕っており、ついつい甘えてしまう。
召喚の契約を交わしたこともあり、ブルーンヒルトもゲーアハルトが幼いうちはこちらが頼るとうれしそうにしてくれたが、最近は小言をこぼすことが多くなってきた。
「よいか? そなたは現し世に帰ることを選んだのだ。ならば、この世界の者たちと折り合っていくしかなかろう」
「話し相手になるくらいならいいでしょう?」
「ゲア――」
言いかけて、ブルーンヒルトは不意に顔を上げ、灌木の陰にかがんだ。
複数の人声が聞こえてきたからだ。
こちらから見える寮の建物の裏に、四人の少年が歩いてきた。立ち止まるなり、他の三人より少し小柄な少年が口を開いた。顔はよく見えないが、髪は日の光を浴びてきらきらと輝くホワイトブロンドだ。
「なんですか? 人をこんなところまで連れてきて」
おそらく上級生であろう三人の少年たちは下品な笑みを浮かべた。
「殿下ならもうおわかりなんじゃありませんか?」
「そうそう」
「普通わかるよな」
「殿下」と聞いて、ゲーアハルトは息を呑んだ。この上級生たちは、あろうことか王子さまを舎弟にしようとしているのか。
ゲーアハルトの心配をよそに、挑発的な返答があった。
「さあ? とんとわかりませんね。僕にもわかるように説明していただけませんか?」
真ん中にいる上級生の顔がいらだちに歪んだ。
「おとなしく俺たちの下僕になれば、いい目を見せてやるって言ってるんだよ。じゃなきゃ、第三王子で形ばかりの王位継承権しか持ってないお前なんか、誰が心から敬意を払うもんかよ!」
「そうそう」
「その奇麗な顔に傷をつけられたくなかったら、言うとおりにしろ」
「ふーん」
小バカにしたような王子の声。気分を害したのか、上級生の腕が動いた。王子が殴られるか、と思った瞬間。
王子は無言で身体を沈めた直後、上級生の顎に拳を食らわせた。
上級生は顎を両手で押さえてうずくまる。二人の上級生がわめいた。
「な、何をするんだ!」
「そうだ! この方は公爵令息で――」
王子の低めた変声期前の声が返答する。
「あ? ついさっき、お前らは第三王子をなめくさったよな? その論法でいけば、公爵令息なんてゴミ以下だろうが。それとも何か? お前らも同じ目に遭ってみたいのか? さっきは手加減したが、俺の固有魔法は物質や身体を強化できる。つまり、生身でも武器並みの攻撃力が出せるんだよ。――お前らで試してみるか?」
すっかり気勢をそがれた上級生たちは「ヒッ」と声を上げる。「も、申し訳ございませんでしたー!!」と叫びながら、ついに泣き出してしまった公爵令息を連れ、一目散に逃げ去っていった。
後に残された王子は右腕をぐるぐる回しながら、「あー、めんどくせえ。これからの一人称は『俺』のほうがいいよなー。そのほうがああいう奴らにも絡まれにくくなるだろうし」などと、ピント外れなことを大声で言っている。
ブルーンヒルトが小さく笑う。
「なんとも威勢のよい童だのう。そなた、声をかけてみてはどうだ?」
「……絶対に嫌だ」
やばい相手だ。近づかないようにしよう(元々、接点なんかないけど)。
そう思ったゲーアハルトだったが、翌日、身も凍るような思いをすることになる。
「ねえ、君が例の召喚士でしょ?」
なんと、教室に入るなり王子が声をかけてきたのだ。
「え……」とか「あ……」とか口をもごもごさせながら、ゲーアハルトは王子の顔をぼんやりと眺めた。
恐ろしく整った顔立ちだった。ブルーンヒルトに比肩する――いや、それ以上かもしれない容姿の人族など、ゲーアハルトは今まで見たことがなかった。
猫のような緑がかった青い瞳は無邪気そうな光をたたえているが、彼が猫ではなく、猛獣であることをゲーアハルトはすでに知っている。
昨日の返り討ち事件を目撃されていたとは気づいていない王子は、小首をかしげた。
「あ、もしかして、俺が王子だから緊張してる?」
「……いえ、そうではなく……」
ゲーアハルトがようやく言葉を絞り出すと、王子はニパッと笑った。
「俺はディートシウス・ザシャ。あ、『フォン』がついていないからわかると思うし、知っているかもしれないけど、『ザシャ』は姓じゃないよ。直系の王室メンバーや一部の傍系王族は姓を名乗らないからね。君は?」
「……ゲーアハルト・フォン・シュノッル」
「そっか、よろしく、ゲーアハルト。ねえ、幽幻界ってどんなところ?」
(……まずいことになったなあ)
そう思いながらも、ゲーアハルトの胸は不思議な予感にざわめいていた。自分の人生が、これから決定的に変わっていくだろう、という予感だ。
これまでに、自分の人生は大きく二度変わった。
一度目は神隠しに遭ったとき。
二度目は現し世に帰り着き、準貴族でありながら特待生として太陽学院への入学を命じられたとき。
今回もそれらを体験したときと同じく、奇妙に現実味のない感覚がした。
そして、ゲーアハルトの予感は見事に的中したのである。




