第59話 彼女たちの印象
「もちろんだよ」
「ええ、喜んで」
ディートシウスは即答し、カルリアナも笑顔でうなずいた。今までお世話になってきたゲーアハルトの頼み事を聞くのは当然のことだ。
ゲーアハルトはうれしそうに「ありがとう」と言ってくれた。早速、三人は恋人宅を尋ねる日程の調整を始める。
「次の休日はどうかな?」
「俺たちはそれでいいけど……あー、休みの日もカルリアナが長時間留守にすると、ギュスが寂しがるかな?」
「そうですね……」
王都に戻り、仕事に復帰してから初めての休日だから、ギュスターヴとは一緒に遊ぶなり、街に出るなりしたいものだが……。
ゲーアハルトが何かを思いついたように顔を明るくした。
「それなら、ギュスターヴ殿下にもわたしたちと一緒にいらしていただくのはどうかな? エーフィ――彼女の娘は九歳だから、歳も近いし、いい遊び相手になるかもしれない」
「ヨゼフィーネみたいに活発で物怖じしないタイプじゃないよね? この前会ったとき、ギュスはヨゼフィーネに圧倒されちゃったみたいでさ。ギュスは口数が多いほうじゃないから、カルリアナみたいな物静かなタイプのほうが合うような気がするんだよねー」
ディートシウスが確認すると、ゲーアハルトは手を左右に振りながら笑った。
「大丈夫だと思うよ。エーフィはすっごくはにかみ屋なんだ。でも、好奇心自体は強い子だから、きっと獣人族のギュスターヴ殿下と仲良くなりたいと思ってくれるよ」
(お二人とも、それぞれの子どもの性格をちゃんと把握していて素晴らしいです)
軽く感動するカルリアナに、ディートシウスが聞く。
「それなら大丈夫そうかな。カルリアナはどう思う?」
「わたしも問題ないと思います。一応、ギュスの意思も聞いてはおきますが」
その後、三人は、カルリアナとディートシウスが官舎までゲーアハルトを迎えに行く時間を決め、昼食は終わった。
***
当日、カルリアナは馬車に揺られてディートシウス、ギュスターヴとともにゲーアハルトを迎えに行ったあとで、目的地に向かった。ディートシウスの馬車は市民の目を引くので、人通りの少ない所で降車する。
私服姿のゲーアハルトに案内されて歩くと、四階建てのアパートメントが見えてきた。築十年といったところだろうか。
ゲーアハルトが振り返る。
「ここが、彼女たちが暮らすアパートメントだよ。部屋は二階にあるんだ」
アパートメントの正面玄関に入り、階段を上る。ゲーアハルトが、ある扉の前で止まり、ノッカーを五度鳴らした。もしかして、ゲーアハルトが訪れるときはこうする、という約束をしているのだろうか。
(なんだか……恋愛上級者の匂いがします)
初恋がディートシウスのカルリアナは、少しドキドキしてしまった。
ほどなくして扉が開かれ、アッシュブロンドの髪を後ろでまとめた女性が現れる。女性はゲーアハルトとほほえみ合い、すぐにカルリアナとディートシウスに会釈した。
「初めてお目にかかります。フィロメーラ・フォン・ベッシュと申します。皆さま、本日はわたくしたちのためによくぞお越しくださいました。狭いですが、どうぞ中にお入りください」
非常に感じのいい女性だ。ディートシウスも同じことを思ったのか、微笑して会釈を返しながら黄色いバラの花束を差し出す。
「はじめまして、シュテルンバール公爵ディートシウス・ザシャと申します。お邪魔させていただきます。よろしければ、これを飾ってください。婚約者と選んだものです」
「まあ……こんなに素敵なものを……ありがとう存じます」
ディートシウスは花束を受け取ってくれたフィロメーラと握手を交わした。
「はじめまして、アルテンブルク伯爵カルリアナと申します。どうぞお気遣いなく」
カルリアナも会釈を返し、フィロメーラと握手を交わした。そのあとで、ギュスターヴにも挨拶をさせる。
カルリアナはゲーアハルトとディートシウスに続き、ギュスターヴを連れ、部屋の中に入った。室内は片づいており、小奇麗だった。
ダイニングルームに六人用のテーブルセットがあり、カルリアナたちは席を勧められた。フィロメーラはテーブルの上に花束を置く。
「娘を呼んでまいりますね。少々お待ちください」
そう言って別室に向かったフィロメーラが、九歳くらいの女の子を連れて戻ってきた。フィロメーラと同じアッシュブロンドの少女は、最初こそ母親の後ろに隠れていたが、挨拶を促されるとその隣に並び、自己紹介する。
「――はじめまして、エーフィ・フォン・ベッシュです。お目にかかれてうれしいです……」
話に聞いていたとおり、恥ずかしがり屋らしい。ゲーアハルトがエーフィの前に進み出、目線が合うように腰をかがめた。
「エーフィ、この方たちは身分の高いお方たちだが、わたしの親しい友人でもあるんだ。あんまり緊張しないで」
「はい……ゲアお兄さま」
ゲーアハルトはエーフィの頭をなでると、カルリアナとギュスターヴに視線を向けた。彼の言いたいことを察したカルリアナは、ギュスターヴに「ギュス、ご挨拶なさい」と声をかける。
すでに帽子を取ったギュスターヴは、もじもじしながら尻尾を身体に巻きつけていたが、一歩前に出ると、エーフィに向けて手を差し出した。
「……はじめまして、ギュスターヴです。よろしく」
獣人族の子どもを間近で見るのは初めてだったのか、エーフィの頬が赤く染まった。おずおずとギュスターヴに向け手を差し出し、軽く握手する。
「……ギュスターヴ殿下が来たら、見せたいと思っていたシェジュの本があるんです……見ますか?」
「うん、見る。呼び方、ギュスでいいよ」
前もって、ギュスターヴがシェジュの王子であることはゲーアハルトを通してフィロメーラに伝えてある。もちろん、ギュスターヴの行方がシェジュのバルテレミー公爵派の知るところになってはまずいので、口外はしないよう頼んだが。そもそも、カルリアナとディートシウスの訪問もお忍びでのことだ。
ギュスターヴの正体は明かさない、という選択肢もあったものの、「八歳くらいでギュスという名のライオン族の子ども」というだけでも結構な情報であるため、それならばいっそ明かしたうえで口止めしたほうがよい、というカルリアナとディートシウスの判断だった。
エーフィは自室に本を取りに戻り、ギュスターヴと隣り合って座った。ギュスターヴに本を見せながらたどたどしく説明していたが、母親にお手伝いを頼まれると席を立ってコーヒーカップや大きなフルーツタルトを運んできてくれた。
ギュスターヴはシェジュの本が気に入ったらしい。再び席に戻ったエーフィと本の舞台について話している。
(幼い子たちが仲良くしていると、ほほえましいものですね)
ギュスターヴを連れてきてよかった。彼の帯同を勧めてくれたゲーアハルトに、カルリアナは心から感謝した。
当のゲーアハルトは、ごく自然にフィロメーラの手伝いをしている。慣れた手つきで花瓶に黄色いバラを生け、ダイニングテーブルに飾った。
ケルツェンのお茶会はカフェトリンケンといい、コーヒーと大きなケーキで客をもてなす。コーヒーポットを温める陶器のポット台の下で、ロウソクの火が美しく揺らめいている。
「伯爵閣下は司書をなさっていらっしゃるそうですね。シュノッル准将からお聞きになっていらっしゃるかしら。わたくしの仕事とも繋がりがあってうれしいです」
フィロメーラがコーヒーとフルーツタルトを勧めたあとで、話しかけてくれた。本当に感じのよい女性だ。カルリアナは笑顔で応える。
「はい。フィロメーラさんは戯曲や小説の翻訳をなさっていらっしゃるとか。わたしとディートシウス殿下は演劇好きで、よく観劇に行くのですよ。どんな作品を手がけていらっしゃるのですか?」
「一番有名な戯曲は『鳥のいない島』かしら。近年ケルツェンと戦争をした国の作品ですから、複雑な気分になりますけれど」
「まあ! わたしも舞台を観に行ったことがあります。クリューゲは現国王が野心家なだけで、文学作品は深いものが多いですからね」
「そうおっしゃっていただけると助かります」
話は弾み、話題はゲーアハルトのどこに惹かれたのかに移った。
「そうですね、こちらの話をとことん聞いてくださるところでしょうか……家族以外で深く関わった男性といえば元夫くらいだったわたくしにとっては、『こんなに出来た男性がいるのね!』ととにかく衝撃的で……」
「わかります。わたしの元許嫁も本当にどうしようもない人で、ディートシウス殿下が天使に見えるくらいですから」
「それって……褒めてるの?」
ディートシウスの突っ込みには構わず、カルリアナはフィロメーラと話し続けた。すっかり意気投合したといっていい。
(やっぱり、シュノッル准将の見立ては確かでした。身分が上のわたしと話しても全く揺らぐことのない芯の強さとあふれんばかりのこの教養……フィロメーラさんなら、准将と結婚してもうまくやっていけるでしょう)
問題は、どうやって会ったこともないゲーアハルトの妹たちを説得するか、だ。
カルリアナがフルーツの甘みが優しいタルトを口にしながら考え込んでいると、フィロメーラが微笑を浮かべた。
「実は、皆さまのような雲の上のお方たちがうちにいらっしゃることを聞いたときは、とても緊張したのです。ですが、今はとても安心しております。やっぱり、ゲアさまのお友達は素敵な方たちなんだなあ、って」
その述懐を聞いたディートシウスが、すっとフィロメーラに顔を向けた。彼の表情は真剣そのものだ。
「突然、重い話をすることをお許しください。ですが、これだけは絶対にフィロメーラさんに申し上げておきたくて。ゲアは誰かを幸せにできる男です。十六年来の親友として、わたしが保証します。ですから、どうかゲアを幸せにしてあげてください」
まるで父親のような口上と話の内容だ。想定外のその言葉に、カルリアナを含めた一同は驚きの目でディートシウスを見つめた。
最も早く笑顔になったのはフィロメーラだった。
「はい、わたくしでよろしければ、ゲアさまと幸せになっていきたいと存じます」
いつになく真面目な顔つきをしていたディートシウスも、黙って親友と恋人のやり取りを聞いていたゲーアハルトも、少し目をうるませていた。




