第58話 ゲーアハルトの頼み事
こうして、カルリアナとディートシウス、ギュスターヴの新生活が始まった。
とはいえ、問題もあった。
カルリアナとディートシウスが長期休暇を終え、仕事に復帰したからだ。カルリアナとディートシウスは、自分たちが陸軍総司令部に出勤しているときはギュスターヴが寂しがるのではないか、と懸念した。
シュテルンバール公爵邸に住み込みで働いている使用人には、子どもと一緒に暮らす者もいるので、その子たちに遊び相手を任せるにしても、時間を持て余してしまうだろう。
そうなると、シェジュや家族のことを考えて、重苦しい気持ちになってしまうかもしれない。
ディートシウスが聞いた。
「ギュス、シェジュにいたときは、毎日何をしてた?」
「遊ぶとき以外は将来のために勉強していたよ。武術も習っていたし」
「じゃあ、家庭教師をつけるか。武術の先生もいたほうがいいよね?」
「うん! 武術はシェジュの王子にとって重要だもん」
こうして、ギュスターヴは勉強と武術を再開することになった。教師はカルリアナとディートシウスが共同で選んだ。こういうときは王室の伝手があることがありがたい。
ギュスターヴの日課も決まり、安心してディートシウスとともに陸軍総司令部に出勤したその日。
昼食直前にゲーアハルトが総司令官執務室に現れた。
「二人の甘い生活に水を差すようですまないが、今日は昼食を一緒に摂ってもいいかな?」
「いいよー。お前と食事なんて久しぶり。カルリアナもいいよね?」
ディートシウスに聞かれ、カルリアナは「もちろんです」とうなずいたが、内心で小首をかしげた。
(それにしても、普段はわたしたちに気を利かせてくださるシュノッル准将が、こうおっしゃってくるなんて……何かお話でもあるのでしょうか?)
そして、昼食の時間がやってきた。ディートシウスは部下たちの声を聞くために、総司令官専用の食堂でも、高級将校用の食堂でもなく、一般将校用の食堂で食事を摂ることにしている。だが、今回は総司令官専用の食堂にゲーアハルトを招いた。
やはり、ディートシウスもカルリアナと同じく、何かを感じ取ったらしい。
三人分の料理が運ばれてきた。給仕が去ってしまうと、ゲーアハルトが口を開く。
「実は、二人に折り入って話があるんだ」
「そうだろうと思った。なになにー?」
軽い調子で問いかけるディートシウスに、ゲーアハルトは照れたように笑った。
「今まで黙っていたが、最近、恋人が出来てね。結婚も考えているんだ」
カルリアナも驚いたが、ディートシウスは一瞬固まり、次いでただでさえぱっちりとしたヒョウのような目を見開いた。
「えー! 俺にも黙っていたってひどくない? 俺たち親友だよね? 親友だよね? 俺はあんなにカルリアナとのことを相談したのにー。なんで? どうして?」
ひとしきり騒いだあとで、ディートシウスはゲーアハルトの反応を待つように黙った。
(やっぱり、ディートはわたしとのあれこれをシュノッル准将に相談していたのですね……まあ、今こうしていられるわけですし、別にいいですが)
ゲーアハルトは苦笑する。
「君が一番の親友なのは間違いないよ。ただ、もう少し時間がたって、わたしたち二人の関係が固まってから報告したかったというか……人に話したら彼女がわたしの前から消えてしまいそうで怖かったんだよ」
ディートシウスは真顔になった。
「……本気なんだな」
「もちろん」
「相手はどんな人で、どんなところを好きになったの?」
あらかじめ回答を考えていたのか、ゲーアハルトはよどみなく答える。
「とにかくしっかりしている人だよ。騎士階級で、元々はお嬢さま育ちだったらしい。でも、元夫がとんでもない男だったらしくて、離婚したあとに子どものためにも変わったんだって。今は戯曲や小説の翻訳をして、生計を立てているよ」
これにはカルリアナもディートシウスもびっくりして、カトラリーを使う手を止め、思わず顔を見合わせてしまった。ディートシウスが恐る恐る問う。
「え……バツイチ子持ちなのか?」
ゲーアハルトは野菜スープを飲み下したあとで、「あはは」と笑う。
「予想どおりの反応。わたしはあまり気にしていないよ。二歳年上だからかな、一緒にいると、すごく落ち着くんだ。彼女の娘もすごく可愛いし、わたしに懐いてくれているよ」
カルリアナは何度もうなずく。
「わかります。人様の子でも、懐かれると可愛いですよね」
一方、ディートシウスは少ししゅんとしている。
「落ち着く……俺といるよりも?」
ゲーアハルトは困ったように、それでいておかしそうに笑った。
「なんで、そう張り合おうとするの?」
「別に張り合ってないって。どこで出会ったの?」
「『出会いを求めているんだ』って言ったら、知人たちがその知り合いの女性たちを紹介してくれてね」
「お前相手なら、紹介しがいがあってみんな張り切るだろうなー。俺が声をかけても、誰も女の子を紹介してくれないだろうけど」
「あなたはもうそんな必要はないでしょう?」
カルリアナがディートシウスを睨むと、彼は「ごめん。君と出会う前の話」と素直に謝った。そのあとでゲーアハルトに向け、ニヤッと笑う。
「それはともかく、お前のスペックを前にして一番ガツガツしていなかったのが、彼女だったってわけだ」
「それもあるかなあ。とにかく話や食の好みも合うし、何より尊敬できる人だから」
(出来た人の代名詞、シュノッル准将が尊敬……よほど素敵な方なのでしょうね)
そう思ったカルリアナは、はたと気づいた。ゲーアハルトは恋人に惚れ込んでおり、その娘ともよい関係を築いている。だからこそ結婚を前向きに考えているのだろうが、その報告だけなら自分を同席させる必要もないのではないか。
「あのさ、ゲア。彼女のこととかお前の気持ちはわかったけど、何か問題でもあるわけ?」
どうやら、ディートシウスも同じ疑問を抱いたらしい。
ゲーアハルトは「参ったなあ、ディートに隠し事はできないね」とつぶやいたあとで続けた。
「実をいうと、結婚を妹たちに反対されていてね。それで君たちの助けを借りたいと思って」
「お前の妹ちゃんたち、『お兄さま命』だもんねえ」
「両親は『お前の選んだ相手だ。連れ子は跡取りにはできないが、好きにしなさい』って言ってくれたんだが……妹たちは二人して、『絶対だまされています! お兄さまなら、もっと条件のいい相手と結婚できます!』って言い張っていてね」
「まー、お前なら十代の貴族令嬢との結婚も狙えるからねー」
「そうはいうが……『いい条件』ってなんだ? 家柄でいうなら、わたしは準貴族、彼女は実家が小さな領地を持った騎士階級、そこまで大した差異はないし、ディートのような王室の方々のように、きっちり結婚相手の条件が決まっているわけでもない。彼女の最初の結婚だって見合いで決まったし、元夫からひどい暴言を浴びせられていたそうだから、離婚だって彼女が悪いわけではないのに……」
ゲーアハルトは珍しく憤りをにじませた顔と声音をしている。
カルリアナはそんな彼に声をかけた。
「わかります。彼女はきっと、お子さんを守ろうとしたのですね。そのうえ、今ではお子さんを育てながら自立していらっしゃる。お会いしてはいないわたしでも、立派な方であることが想像できます」
ゲーアハルトは焦げ茶色の目を丸くした。カルリアナは思わず尋ねる。
「失礼なことを申し上げてしまいましたか?」
「いえ、逆です。正直、ディートはともかく、伯爵閣下がそうおっしゃってくださるとは思わなかったので……。上流階級を含め、まだまだ離婚は少ないでしょう?」
「わたしも父子家庭で育ちましたし、離婚とはいわないまでも、一応、婚約破棄された女ですから。それに、王室図書館時代に親しくしてくださった女性の同僚が、嫁姑問題で離婚したあとに司書になったという経歴の方でして……そこまで離婚に偏見がないのです」
「ディートはよい方と婚約したね」
「でしょ? 俺の自慢の奥さんだもん。まだ結婚してないけど」
ゲーアハルトはドヤ顔のディートシウスにうなずいてみせたあとで、真剣な顔でこちらを見た。
「ディート、閣下、改めてお願いします。恋人と彼女の娘に会ったうえで、妹たちを説得するのを手伝ってほしいのです。こんなことを頼めるのは、二人だけですから」




