第48話 ディートシウス、ショックを受ける(ディートシウス視点)
(あー、カルリアナの部屋に行きたい)
朝早くからディートシウスはうずうずしていた。
せっかく同じ建物内で起居しているのだ。できることなら今すぐカルリアナの部屋に赴いて、まだ寝間着のままベッドの上でぼんやりしている彼女のそばに座り、「おはよう」と言いながら目覚めのキスをしたい。
(うーん、でも、まだ結婚前だし、そんなことをしたら怒られちゃうかな?)
最近はずいぶんと甘えてくれるようになってきたカルリアナだが、さすがに寝起きにそんなことをすれば、本気で機嫌が悪くなるかもしれない。そうなれば、朝食時は地獄だ。
ディートシウスはクラウスを呼び、自分の構想と懸念を話してみた。
「……やめておいたほうがいいでしょうね。婚約中なのですから、節度を持つべきです」
「クラウスはメラニーちゃんにそういうことをしたい、とか思ったりしないのー?」
クラウスは顔をあらぬ方向に向けた。
「……思いませんよ。そもそも彼女とは友人同士ですから」
「ほー、クラウスはそう思っているんだー。メラニーちゃんに言ってやろー」
「心の底からやめてください! そもそも、なぜ彼女を『メラニーちゃん』などと呼ぶのですか。彼女が汚れるような気がするので、本気でやめてください」
(クラウスはメラニーちゃんが絡むと、とたんに愉快になるなー)
クラウスに好意を持つ女性は結構多いのだが、彼自身は恋愛に疎く、「どうして自分なんかに惹かれるのか全く理解できない」と首をひねる始末だ。
ただ、先ほどの反応からも察せられるように、メラニーに限っては特別な感情を持っているのではないか、とディートシウスとカルリアナは思っている。
〝クラウスが恋に溺れたら面白そうだよねー〟と思いつつ、ディートシウスはカルリアナの寝室に行くことは諦め、食堂に向かう。シュテルンバール城は王都の屋敷よりも広いので、ちょっとした運動になる。後ろからは、念のためクラウスもついてくる。
食堂に入ったディートシウスは、真夏なので火の入っていない暖炉を背に、長いテーブルの端に座った。この席が主人の座る上座となる。
執事が持ってきてくれた水を飲み、ナッツをつまみながらディートシウスはカルリアナを待つ。
(習慣だからしょうがないけど、朝が早すぎるってのも考えものだなー。結婚したら、思う存分カルリアナの寝顔を眺められるから役得だけど)
待ちわびること二十分。ついにカルリアナが現れた。
ただし、ギュスターヴを連れて。
それはいい。問題があるとすれば。
(なんで手を繋いでいるんだ!?)
カルリアナは出会って間もない子どもと手を繋ぐようなキャラではない。
ディートシウスが驚愕している間に、カルリアナは「おはようございます、ディート」と挨拶して斜め向かいの席に座る。
ディートシウスは戸惑いつつも応えた。
「お、おはよう」
「お待たせしてすみません。ギュスはわたしの隣に座ってください」
ギュスターヴはこくんとうなずき、言われたとおりにした。
なぜ手を繋いでいたのか、いつの間にそんなに親しくなったのか、ディートシウスが聞くのを迷っているうちに、食事が運ばれてきた。
ディートシウスとカルリアナの前に配膳されたのはチーズや野菜などの具を挟んだパンとゆで卵だが、ギュスターヴはハムとソーセージだ。事前にカルリアナが彼の好みを聞いていたようだ。
こういう細やかな心配りができるところが実にカルリアナらしい。
「……あのさ」
「ディート」
ディートシウスが先ほど聞き損ねたことを切り出そうとしたとき、カルリアナと声がかぶさった。
「カルリアナが先でいいよ」
とっさにディートシウスはそう言ってしまった。
「そうですか? では。あのですね、ギュスの服を用意してあげたいので、あとで服屋と仕立屋を呼んでもよろしいですか?」
カルリアナはなんだかウキウキしているように見える。
(なーんか、昨日までと様子が違う……?)
引っ掛かりを覚えつつも、ディートシウスは珍しい本の到着を待っているかのようなカルリアナの雰囲気に圧倒されてしまった。
「う、うん。いいよ」
「よかった。ギュス、あとで服を選びましょうね。どんなものが好きか、遠慮なく言ってください」
「……うん」
男の子だからなのか、そもそも服にあまり興味がないのか、ギュスターヴの反応は鈍い。
(カルリアナが自分から服を選んでくれると言っているのに……!)
ディートシウスはついつい二人を凝視しながら、具を挟んだパンを口に運ぶ。
「そういえば、ディートは何をおっしゃりたかったのです?」
カルリアナにそう問われ、ディートシウスはとぼけるしかなかった。
「あー、忘れちゃった。気にしないで」
ギュスターヴはお腹がすいているらしく、黙々とハムとソーセージを食べている。途中で思い出したように、カルリアナを見上げる。そのまなざしがいちいちあざとい。
「……城の人が言っていたけど、カルリアナはケルツェンの伯爵なの?」
「そうですよ。ディートのことも聞きましたか?」
「うん。王弟なんでしょ? 王の臣下だよね。もう大人だもん」
(俺、王族なんですけど? 称号を剥奪されない限り、死ぬまで王族なんですけど?)
カルリアナはおかしそうに笑う。
「違いますよ。確かに国王陛下をお支えする立場ではありますが、ケルツェンではシェジュと違って、王子として生まれたお方は成人になっても臣籍降下せず、基本的に一生王族の身分が保障されていらっしゃるのですよ」
「……ふーん。変わってるね」
(変わっているのはお前の国だよ!)
ふだん突っ込みを入れられる側のディートシウスは、まだ朝だというのになんだかどっと疲れてきた。
ギュスターヴが食事を平らげてしまうと、カルリアナが言った。
「あら、ギュス。口元にソースがついていますよ」
カルリアナはナプキンを手に取ると、ギュスターヴの口元を拭った。ギュスターヴが慌てる。
「あ、いいよ、カルリアナ。自分で拭ける」
「そうですか? こういうときは子どもの自主性に任せるべきでしょうね」
カルリアナは満面に笑みを浮かべている。ギュスターヴは自分で口元を拭き直しながらも照れているようだ。
ディートシウスは表情だけでなく、自分の全身が凍りついてしまったような気がした。
軍人の習いで朝食を胃に詰め込むと、よろよろと立ち上がる。
「……ごちそうさま。カルリアナ、俺、部屋に戻るよ」
「え、食後のコーヒーはお飲みにならないのですか?」
「あー、あとで飲む。それじゃ」
ディートシウスは力なく手を振ると、食堂を去ろうとした。
(カルリアナは変に思っただろうな……)
それでも、あの場所にいるのは、彼女の婚約者として居たたまれない。
執事の開けた扉から出ていく自分の姿を、ギュスターヴがじっと見つめていることに、ディートシウスは気づかなかった。




