第46話 獣人族の国(後半アレクサンドラ視点)
できるだけ早く、シュテルンバール城に戻れるように進んだカルリアナたちは、行きにも立ち寄った町の宿に泊まった。婚前旅行なので、もちろんディートシウスとは寝室が別々だ。
ギュスには彼の希望で、マルクという青年と同じ別室に泊まってもらった。カルリアナはディートシウスとともに、自分と彼の寝室に挟まれた居間で食事を摂る。
煮込み肉料理のアイスバインを切り分けながら、ディートシウスが突然言った。
「カルリアナ、俺さ、あのギュスって子はシェジュの王室関係者なんじゃないかと思うんだけど」
カルリアナ以外の者なら、「出し抜けに何を……」と反応するところだ。しかし、カルリアナは驚かなかった。
「わたしもそう考えていたところです」
「やっぱりそう思うよね。テルマッセ図書館で君が介入した、シェジュ王室のしきたりについてのレファレンス結果を聞いたから、いろいろ思い出してさ。俺、戦争のとき、シェジュ王に会ったことがあるんだ」
「シェジュは昔からケルツェンの同盟国で、戦時中に援軍を送ってくださいましたからね」
「そうなんだ。で、シェジュ王はあの子と同じ黒髪のライオン族だったんだよね。ライオン族は茶褐色の髪や金髪の人が多いって聞いていたから、よく覚えてる。顔立ちまで似ているかは、ちょっとわからないけど」
「母君や祖父母似ということもあり得ますからね。わたしはあの子の持つ気品のようなものと堂々とした態度が気になります。彼のケルツェン語は、ほとんどなまりのない標準語に近いですから、きちんとした教育を受けていることは間違いありません。それに、あのマルクという青年は、なんらかの事情で種族が違うのに一緒に暮らしている家族、というわけではないのなら、おそらくは従者でしょう」
「国境を超えるときに何があったのかまでは、本人たちが語ってくれるまでは謎のまま、か」
「はい。ですが、ギュスの正体は推測するまでもないと思います。確か、シェジュの王子はまだ八歳で、名前は『ギュスターヴ』でしたから」
***
「こちらの部屋にお入りください。この塔が、これよりしばらくは女王陛下のお住まいとなりますゆえ」
シェジュ王国の共同君主の一人、女王アレクサンドラ二世は、自分に声をかけてきた男を睨み上げた。夫とは違う金髪のライオン族。筋骨たくましい彼の名は、ヴァランタン・ド・バルテレミー公爵という。先代女王の兄の長男で、アレクサンドラの従兄に当たる。
自分の態度にもバルテレミーが表情を変えなかったので、アレクサンドラは扉の方に身体を向けた。バルテレミーの部下が落ち着いた装飾の扉を開ける。
殺風景な室内が目の前に広がった。この塔は本来、高貴な身分の政治犯などの収監に使われている。クーデターを起こされた女王であるアレクサンドラには似つかわしい場所だ。
アレクサンドラが室内に入ると、後ろからこれ見よがしなバルテレミーの声が聞こえてきた。
「引き続き、王と王女・王子の捜索を続けさせよ。生死は問わぬ」
「は!」
鉛玉を胸に押し込まれたような苦しさが襲ってきた。
シェジュ王室に生まれた王子は、成人すると一人の例外もなく臣籍降下して新たな姓と爵位を賜る。そうして誕生したバルテレミー公爵家の二代目当主であるヴァランタン・ド・バルテレミーは、王室の血を引く男子の中でも模範的な性格で、女王にも王にも従順だったため、今まで問題視されたことすらなかった。
シェジュの歴史上、臣籍降下した王子の子孫の中には野心家も多く、王に決闘を挑んで王位を勝ち取った者もいた。その場合、当代の女王は決闘者が三親等内の親族でない限りは、彼と結婚することになる。バルテレミーはそのような叛意など、全く表に出さなかったというのに。
今回のクーデターは国王夫妻も側近たちも、誰一人気づかぬほど周到に行われ、気づいたときにはすでに王宮に攻め込まれていた。
王である夫ラウルは、逃亡するか、それとも王室の一員としての誇りを選ぶか決断する寸前、こう言った。
――バルテレミー公爵はしきたりどおり、わたしに決闘を申し込んでくるだろう。ただ、裏では汚い手を使って。
アレクサンドラも同意見だった。
――わたしもそう思います。このままではあなたはおろか、子どもたちもしきたりに従い、殺されてしまうでしょう。わたしはそれだけは嫌です。ですから、あなたが子どもたちを連れて逃げてください。
――だが、君は!
――大丈夫。わたしはヴァランタンが次の王位を得るために必要な身。殺されることはないでしょう。
そう説得すると、子どもたちを愛するラウルは折れ、すぐさま彼らを呼び寄せ、王宮を脱出したのだった。
つい昨夜の出来事だったのに、もう何年も前のことのように感じられる。
家族と別れた苦しみが表情に出ていたのかもしれない。バルテレミーが口角をつり上げた。
「わたしは必ず王と王女・王子を見つけ出し、その死体をあなたの前に持ってくる。そうしたら古くからのしきたりどおり、わたしと結婚していただく」
アレクサンドラはバルテレミーを睨みつけた。
「わたしの家族は、そう簡単にあなたごときの手にかかったりはしません」
「アレクサンドラ、その気の強さは幼いころから変わっていませんね。さすがは女王陛下であらせられる。ですが、同時にあなたが情にもろいこともわたしはよく知っています。家族の死体を目の前にしても、果たしてその気丈さを保っていられますかな」
アレクサンドラは歯がみしたいほどの怒りに襲われた。
そのとき、バルテレミーの部下が彼の後ろから声をかけた。
「公爵閣下、ご報告がございます!」
振り向いたバルテレミーはアレクサンドラにニヤリと笑ってみせながら、部下に問うた。
「よい知らせか?」
部下の表情が曇った。
「それが……国境に配置された兵からの報告なのですが、ギュスターヴ王子とその従者たちがケルツェンとの国境を超えようとしたところを発見したそうなのです」
(なんということ……ラウルはギュスとはぐれてしまったのだわ……!)
立ちくらみがしそうなくらい動揺しているアレクサンドラの様子にも気づかず、バルテレミーが部下に問う。
「それで?」
「従者たちと戦い、そのうち数名は討ち取り、一人に重傷を負わせたそうなのですが、山に逃げ込まれました。これは推測ですが、ケルツェンのシュテルンバール州に逃げた可能性が……」
「捜せ」
低められたバルテレミーの声に恐縮しながら、部下は去っていった。
アレクサンドラは息子の無事を祈らずにはいられなかった。
ライオン族であるシェジュ王室には、古くから獣のライオン社会のような厳しいしきたりがある。
だが、誰が腹を痛めて産み育ててきた子どもたちを、しきたりだからといって喜んで処刑台に差し出すだろうか。しかも、自分の夫と子どもたちを殺そうとしている者と婚姻するなど、天地がひっくり返ってもあり得ないことだった。
代々しきたりを守ってきた祖霊に呪われても構わない。どうか家族には無事でいてほしい。
バルテレミーが部下に命じて部屋の扉を閉じさせたあと、アレクサンドラは窓辺にひざまずき、星が瞬く夜空におわす神々に祈り続けた。




